2-24
「うーん、いないねぇ」
2階に上がるなり、ハーヴェイがそう呟いた。
ぐるっと辺りを見回して、好都合なのか、そうではないのか判断がつかなそうな顔をしている。
「暴れ大牛、今日もいないのか」
ハーヴェイに続いて、階段を登り切ったグレイが尋ねると、ハーヴェイは背中とかが痒そうな顔をして頷いた。
「うん、多分いない気がするなぁ。でも首の後ろ痒い感じ。ミノタウロスって、こんな感じなのかな」
「いや、分かんないけど」
盗賊の特技『警戒』は、迷宮内の強敵の位置や存在を感覚的に把握できるようになるらしいが、首の後ろ痒いとか言われても、グレイには何とも答え難い。
マリアベル、ローゼリットも階段から出てきて、今日も牛いないらしいよぉ、とか、どうしてでしょうね? とか言い合っている。
「まぁ、進みやすいっちゃ、進みやすいだろ」
「そうだねー」
最後尾を歩いていたアランが階段から出てきて言うと、ハーヴェイは素直に頷いた。
マリアベルは相変わらずほにゃっとした顔で言う。
「ミノタウロスが出てきた日から、急にいなくなったよねぇ。何だろうねぇ、暴れ大牛が合体して、ミノタウロスになったのかなぁ」
「……それは、まさか魔法使い的な推測か?」
もしもそうだったら俺は魔法使いに絶望する、みたいな顔をしながらアランが言うと、マリアベルは首を振った。
「ううん。なぁんとなく、思い付いたから適当に言っただけ」
「なら良かった」
心底安心したようにアランは頷く。そのうち、マリアベルの言動が、魔法使いの言動と等しく思うようになる日が来るぞ、とかグレイは内心思って愉快になる。
「……グレイ、どうしました?」
顔に思い切り出ていたのか、ローゼリットに不思議そうに尋ねられる。なんでも、とグレイは答えて首を振る。
「じゃ、まずはこっちかな。みんな、兎とカボチャには気を付けてね」
言って、ハーヴェイが先頭を歩き出す。おう、とか、はーい、とか答えて、全員で移動を始める。
1階に比べて細い道が入り組んでいることと、1階ほどまだ慣れていないことから、ローゼリットが鞄から地図を取り出して歩く。
ちなみに、ローゼリットとマリアベルが大公宮へ報告して伝えられた兎と南瓜の正式名称はそれぞれ『跳ね兎』と『お化け南瓜』らしい。もはや見たままですらなくなったかつての冒険者の雑な命名に、グレイとしては、お化けってひでーな、とか笑うしか出来なかった。案の定、独自の感性を貫くマリアベルは気に入ったらしかったが。
しばらく歩いていると、ハーヴェイの特技に頼るまでも無く、近くの藪から音がしたのでグレイとアランは長剣を抜く。距離が近いからか、ハーヴェイは短剣を抜く。
「マリアベル、『火炎球』行けるか?」
「了解だよー! 修業の成果を見せるよー!」
ふと思い付いたようにアランが言い、マリアベルが勇ましく答えて詠唱を始める。
職業ギルドで新しい特技を教わったとはいえ、まだ使い方を知っているだけだ。実戦で役立てるためには回数をこなして自分のモノにしていくしかない。
「じゃ、俺も……」
飛び出してきたのは兎2匹。これならローゼリットの指示が無くても動ける。グレイも、今回教わった『盾強打』を意識して動く。これは、相手の攻撃に合わせて角度を付けて盾を打ち付け、攻撃を跳ね除けて相手の隙を作る特技だ。
『跳ね兎』が名前の通り、飛び跳ねながら襲い掛かって来る。カウンターで盾を叩き込むと、考えてみれば当然なのだが、戦士ギルドの教官より兎は遥かに軽くて、グレイの予想以上に後方に飛んだ。続けざまに放った剣戟が逆に空振りしてしまう。
「う、わわっ……」
兎は空中で後方回転して着地し、そのまま、体勢を崩しかけているグレイに向かってくる。
「ごめんねー」
しくじった、とグレイは一瞬思うものの、ハーヴェイの呑気にも聞こえる掛け声が聞こえて安心する。ハーヴェイは堅実に、新しく覚えた弓の特技を使うことなく、慣れた『背面刺殺』で兎を仕留める。
「ハーヴェイ、助かった!」
「どういたしまして!」
良い所に入ったのか、一撃で動かなくなった兎を見下ろして満足そうにハーヴェイが答える。
「Ärger von roten wird gefunden!」
マリアベルは景気良く『火炎球』を発動させ、アランが属性攻撃を決めた。
アランは以前から、雷精霊の術に追撃する『属性追撃』を覚えていた。そのため、炎精霊の術にもそれとなく追撃を行っていたのが、今回炎精霊の術に追撃する『属性追撃』を教わって来たところ、今までとは格段に威力が上がっていた。あ、やっぱり今までのは我流だったんだなとか、納得の向上具合である。
「にゅーん。アラン、今までと、ちょっと、だけど、全然違う感じだねぇ」
「ああ、微妙な差なんだけどな。『雷撃』に合わせる時より、じゃっかん遅く合わせる感じなんだよな。雷で斬る、と、火が付いたところを斬る、みたいな差が」
「うにゅー。なるほどねぇ」
マリアベルも気付いたのか、興味深そうな顔をしてアランに尋ね、アランもちょっと得意げな顔で答えている。
兎2匹で数が多くなかったことと、特技を惜しみなく使ったこともあり、あっさりと戦闘が片付いたためかローゼリットは微妙な顔をしている。怪我がないのは何よりだが、新しく覚えてきた『加護』を使う間も無かったという感じか。とはいえ、ローゼリットはすぐに小さく首を振って、斃れた兎に対して錫杖を掲げて額に当てた。
「それじゃ、行こうか」
アランとの会話が途切れると、もしくは、ローゼリットが祈りを捧げ終わったからか、マリアベルが魔法使いの杖を掲げて言う。それぞれ頷いたり返事を返したりして、再び歩き出す。
ハーヴェイが言った通り、今日も暴れ大牛は見当たらない。ローゼリットは時々ハーヴェイに道順を伝えて、まだ行った事が無い所を目指して進んで行く。迷宮を歩く事は慣れてきたが、それでも歩いた事が無い場所を進む時には動悸がする。2階層は、太い道が幾筋かあって、それらを繋ぐように細い道が絡み合っている。もちろん、細い道には行き止まりも多い。
「木の根っこみたいだねぇ」と、地図を眺めてマリアベルがほにゃりと笑う。何度か、兎や青虫や南瓜に遭遇して、倒して素材を拾ったり、逃げたりして進む。
「ここから先は、右も、左も、行った事がありませんね」
似たような風景が続くので、グレイには良く分からないが、少し先の分かれ道を指してローゼリットが言う。うーん、とかちょっと唸って、ハーヴェイが先行して、左右を見回して戻ってくる。
「どっちでも、って感じかなぁ。道の太さは右も左も同じ位で、また細い道があるみたい」
ローゼリットが持っている地図を全員で眺める。何となく、左の方が全体的にまだ行っていない感じがするから、そちらに進む事にした。