2-23
マーベリックと別れて、緑の大樹に向かう。緑の大樹は、大樹を囲むように広がるミーミルの街から見上げると、もう頂点がどうなっているのかよく分からないような大樹だ。1本の木、らしいが、軽く森っぽく見える。老人達は、世界の大地はこの緑の大樹の根によって出来ていると語る。
緑の大樹の中に広がる迷宮への入り口には、やっぱり今日もミーミル衛兵が3人ほど立っている。最近ギルドで特技の習得に励んでいたから、グレイ達がここへ来るのは6日ぶりである。マリアベルは、ミーミル衛兵達を見て、ちいさな声で、残念そうに、にゅーん、と唸った。
「……サリオンさん、いないの?」
ふと思い至って、グレイがマリアベルに尋ねると、マリアベルは頷いた。サリオンは、グレイ達が初めて迷宮に入った時、仕事とは言え案内役を務めてくれて、その縁で、マリアベルは何度か迷宮に入る前に飴を貰っていた。そして、ミノタウロスが迷宮に現れた日から、見かけていない。
「まぁ、ほら、あれだよ。俺たちだって、6日ぶりだし。これから毎日通うんだし、そのうち、会えるって」
グレイがじゃっかん変な感じに慌てながら言うと、マリアベルはほにゃりと笑って、そうだねぇ、と頷いた。それから気を取り直したように、指令受領の証明証を取り出して、ミーミル衛兵に見せに行く。
「おはようございます。指令、受領したんで、迷宮入っていいですか?」
マリアベルが尋ねると、一応、証明証を確認してから、ミーミル衛兵が頷く。
「うむ。本物のようだな。気を付けて……蛇足にはなるが、最近は、2階層より、3階層の方がよほど安全だと評判だよ」
だからどう、とミーミル衛兵が指示する事はないが、衛兵の親切な助言に、グレイ達は揃って「ありがとうございます」と礼を言って歩き出す。
緑の大樹の内部は、木の中なのに光が射していて、外とは異なる植物や動物が独自の生態系を造り上げている。何人もの冒険者が命を落とした場所だとは百も承知なのだが、不思議なほどに美しい。
6日ぶりで、グレイの感覚としては、久しぶりに来たなー、という感じである。アランも同じなのか、ちょっと眼を細めて辺りを見回している。
「うーん、久しぶりだねぇ、迷宮」
のんびりと、一同の想いを代弁するように言ったのは、やっぱりマリアベルだった。深く息を吸って、吐いて、嬉しそうに迷宮の地面の上で弾んでいる。
「そうですね。久しぶりですし、1階も気を付けて行きましょう」
生真面目にローゼリットが言うと、そうだよね、とかハーヴェイが頷いた。
前列にアラン、グレイ、ハーヴェイ。後列にローゼリットとマリアベル。いつもの順で歩いていると、だんだん、普段通りの感覚が戻ってくる。落ち着いて歩けば、最早勝手知ったる1階層である。青い蝶や、噛みつきネズミ、引っ掻きモグラに慌てるようなグレイ達ではない。油断や慢心も危険だが、迷宮では慌ててしまう方が更に危険だ。出来る事が途端に出来なくなる。それは命の危険へと真っすぐ細い線で繋がっている。
糸吐き青虫が出ると、ちょっと気合いを入れ直す。というか、今は前方に居るのが見える、程度なので5人で顔を見合わせる。
「……迂回する?」
ハーヴェイが、糸吐き青虫を指差しながら言うと、「迂回して、青い花でも採ってくか」とアランが提案する。資金集めの重要さは全員よく知っているので、「そうですね」とローゼリットもあっさり頷いた。
「じゃあ、こっちだねぇ」
マリアベルが迂回路を示して言うと、盗賊のハーヴェイがちょっと先行して、「こっちは大丈夫そうだよ」と言うと全員で進路を変更する。
迷宮の中へは、けっこうな数の冒険者が入っているはずなのに、不思議なくらい静かだ。女神たちが、冒険者同士が出会わないように采配していると、ミーミル衛兵は言う。どちらにせよ、静かな迷宮の中を歩いていると、自分達しか頼りに出来ないような、気分になる。
2階への階段へは、多少迂回して向かう事になるが、青い花の群生地に向かう。ちょっと広くなっている行き止まりで、木々の壁によって小部屋のようにも見える。10人くらいが車座になって座れそうな小部屋の真ん中辺りに、青い花が固まって生えている。
「うーん、今日も、こう、これくらい、生えてるねぇ」
これくらい、と言いながら、良く分からない感じに両手を広げてマリアベルが言う。え、何、どれくらい? とかグレイは思うが、ハーヴェイはうんうんと頷いて、マリアベルと同様に、よく分からない感じに両手を広げながら言った。
「うん、確かに、こう、これくらい、今日も生えてるよねぇ」
「……何だそれ」
呆れたようにアランが突っ込んでくれて、グレイはほっとする。
だが、マリアベルもハーヴェイも、逆に不思議そうにアランに向き直って言った。
「うにゅ? ほら、アラン、よく見てみると、なんか、こう、これくらいじゃない?」
「そうそう、アラン、よく見ると、毎日、これくらいだよ?」
「いや、だから、これくらい、ってどれくらいだよ」
「「これくらい」」
アランは抵抗するものの、マリアベルとハーヴェイが揃って両手を良く分からない感じに広げて当然のように答えると、沈黙した。援護を求めるようにローゼリットとグレイの方を見てくるが、グレイには何とも言い難い。俺には、無理、という思いを込めて、グレイが黙って首を振ると、だよなぁ、とかアランは呟いて頭を掻いている。
ローゼリットはしばらく考えたあと、自信が無さそうに、それでも何とかこの変な2人を理解しようと努めて言った。
「えぇと……青い花の、生えている範囲と量が毎回変わらない、というような、意味ですか?」
そう言われると、マリアベルは嬉しそうに、にゅふっ、と笑ってぽてぽてとローゼリットの傍に行った。
「そうそう、ローゼリット、とっても正解」
マリアベルは何故か偉そうにそんな事を言いながら、ローゼリットの頭を撫でた。ローゼリットはちょっと恥ずかしそうに微笑んでいる。ハーヴェイも調子に乗って、「あ、僕も……」と言いながらマリアベルと同じ事をしようとしたら、アランに脛を思いっきり蹴っ飛ばされて諦める。見事にローゼリットの死角で行われた事件なので、ローゼリットは全然気付いていない。
「……実は、いつも、こういう感じなの?」
グレイが脛を押さえているハーヴェイに尋ねると、「まぁ、だいたい」という答えが返ってくる。「そうなんだ……」としか、グレイには言い様がない。「なんだよ」とじゃっかん不機嫌そうにアランが呟いた。
マリアベルは青い花の方を振り返って、つまりローゼリットに背中を向けて、グレイ達に横顔でチェシャ猫みたいに笑ってから言った。
「あとねぇ、うーん、そうだねぇ。お花のね、咲いてる感じっていうか、咲いてたり枯れてたり蕾だったりね、その量っていうか、割合っていうかもね、なんとなーく、いつも、同じ位の量のような気がするんだよねぇ」
なんとなーく、とか繰り返し言いながら、マリアベルは魔法使いの杖で青い花の咲いている範囲を囲むように円を描く。そう言われてみると、グレイもアランもそんな気がしてくる。
「……そういや、確かに、花って咲く時期、あるよな」
グレイは言って、この数週間に思いを馳せる。随分長い間、5人で迷宮を探索し続けているような気がするが、実際はまだ1月程度の事だ。とはいえ、同じ種類の花が1月の間、同じ場所で、同じ量、咲き続けるものだろうか?
「それに、冒険者も、それなりの量を摘んで帰ってるはずなんだけどねぇ」
リコリス商店で、他の冒険者パーティもこの青い花を持ち帰って売っている所を、何度も見かけた事のあるハーヴェイが続けて言う。
だけど、やっぱり青い花は、グレイ達が迷宮に入って、ここへ来るたびに、マリアベルではないが、何と言うか、こう、『これくらい』、咲いている。まるで人工物の花畑のように。女神が、『これくらい』何時如何なる時でも咲き続けなさいと決めたように。
そう思うと、不気味――ではないが、怖いわけでもないが、何と言うか、改めて迷宮を畏れるような気分になる。
「……言われてみると、不思議ですね」
ローゼリットが半ば呆然と呟く。マリアベルは、でもねぇ、とか言いながら、一同を振り返って微笑む。
「もーっと、上の階に行くと、氷みたいな結晶の木とか、ずーっと枯れないで綺麗なままのお花とか、食べても食べても減らない木の実とか、不思議なものが、もっといっぱいあるんだって。早く行きたいねぇ」
そう言うマリアベルは本当に楽しそうで、緑の瞳がきらきらしていて、あぁ、もう、こりゃ行くしかないな、とかグレイは思う。だってマリアベルが止まらないのなら、グレイも行くしかないのだ。
ハーヴェイが呑気に「行きたいねぇ」と同意をすると、我に返ったのかアランが普段の調子で「まずは3階への階段だろ」と現実的な事を返す。「と、言うより、そうでした。蝶が寄ってくる前に、花を摘まなくては」と、ローゼリットも思いついたように言う。
マリアベルも、そうだったねぇ、とか言いながら、さっそく持帰る青い花を選び始める。ローゼリットもマリアベルに並んで吟味を始め、グレイ達は2人の周りを警戒するように立つ。青い色繋がりなのか、単純に花の蜜が好きなのか、青い花を摘んでいると、青い蝶が寄ってくることも多い。青い蝶は、今さらそこまで恐れるような敵ではないのだが、警戒するに越したことは無いだろう。
「3階の方が安全って言われたけど」
辺りを見回しながら、ふと思い出したようにハーヴェイが口を開くと、アランが苦笑しながら続けた。
「言われたけど、見つかってないんだよな、3階への階段」
「2階上ったらどーする? この前の、と、逆の方に行くか?」
この前の扉、の奥で死んでいた冒険者やミーミル衛兵を思い出しそうになってしまって、グレイは変な所で言葉を切って言う。アランとハーヴェイは、たぶんグレイが言いよどんだ理由に気付いたのだろう。ちょっと頷いてから、言った。
「この間の所は、なんつーか、な」
「そうだねー。せっかく広いんだから、行った事ないとこ、行こうか」
会話には加わって来なくても、聞いていたのだろう。青い花をそれぞれの鞄に仕舞ったローゼリットとマリアベルも立ち上がって頷いた。特に異論は無いようだった。