2-19
「まぁ、水とか気にするのはしばらく先の話だろ。それでみんな、特技取得まで、何日かかる?」
マリアベルを放置すると、大体会話が宇宙っぽくなるのでグレイは何とか軌道を戻そうと口を開く。そうでした、とかローゼリットは頷いてから言う。
「私の『加護』は、6日かかってしまうそうです」
「あたしは前回と同じで、5日って言われたよー。今日もいれてくれるから、あと4日。ローゼリットとは、終わる日がずれちゃうねぇ。アラン達は?」
「俺も5日」とアランが答え、「俺は6日」とグレイは言った。マリアベルはちょっと眉をしかめて考えてから「アラーン、2人で1階探索してみる?」と無茶な事を言い出して、ローゼリットが「絶対にだめですよ!」と慌てて言った。「流石に2人はなぁ」とアランも渋い顔だ。
「ハーヴェイはどうだろうねぇ?」
マリアベルは、たぶん街の外でなんかやっているであろうハーヴェイに思いを馳せるように、遠くを見た。いや、もしかしたらサリーが運んでいるデザートを眺めているだけかもしれないが。
「もしも3人になったとしても、迷宮に入ったりしたら、だめですよ」
心配そうにローゼリットが言うと、「にゅーん、ローゼリットが言うなら、やめるよぉ」と疑わしい感じにマリアベルは言った。
「アランも、頼むぞ」
グレイもやっぱり心配になって、かなり真顔でアランに言うと、「お、おう……」とちょっと引き気味にアランは答えた。引くなよ。心配性のお父さんみたいで恥ずいだろ、とグレイは思う。
その後は、各々のギルドで漏れ聞いた迷宮内部の不思議な噂話や、他のギルドの迷宮探索の調子、指令を受領したギルドの様子、あるいは最近ミーミルに訪れたというグレイ達以外の新米冒険者の話。酒場に張り出されたものの、誰にも意味の分からないような謎めいた依頼、かつて女神を見たという冒険者の老人の話、吟遊詩人が謳う冒険者の英雄譚、などなどをお互い披露するように話す。
別行動をすると、それなりに入ってくる情報が変わる。ミーミル衛兵の中には、中身のない鎧の兵士――つまり幽霊が混ざっているとか。しょうも無い怪談話をアランが話すと、満腹になったからか、ちょっと眠そうなマリアベルが事もなげに、ほんとだよぉ、いるよぉ、とか言い出して他の3人は凍り付いた。3人の顔を眺めて、魔法使いはチェシャ猫みたいに笑う。
「冗談だよぉ」
「お前、なー」
アランはあからさまにほっとした顔でマリアベルに言う。
「言い出したのはアランじゃないのー」
にゅふふ、と笑いながらマリアベルは応じる。うっせ、とか悔しそうに言うアランはちょっと恥ずかしそうだ。ローゼリットは愉快そうにくすくす笑っている。そのローゼリットが、ようやくサラダを空にすると、誰ともなく、引き上げるか、と言って席を立つ。
教会は、“夜に外出してはいけない”わけではないが、“教会で眠らなければいけない”そうなのでマリアベルが残念そうにしている。しかし、その辺りの切り分けは割と2人ともドライなので、「じゃあ、明日からは夜も戻ってこない?」と尋ねると、「おそらく」とローゼリットは頷いた。
「そっかぁ。残念だけど、気を付けてねぇ」
宿の階段でマリアベルが手を振ると、ローゼリットは「あ、でも、せっかくですから今日は2人の怪我を治してから帰ります」と、アランとグレイを示して言う。女神か。グレイにはローゼリットがきらきらして見えた。いつものことか、とすぐに思い直すが。
マリアベルは階段を登りながら、「甘やかさなくて、いいんだよぉ」と偉そうなことを言うが、マリアベルだから全然偉そうに見えないし、腹も立たない。
「それじゃ、また明日。ローゼリットは、また5日後」
今度こそ、1人だけ3階のマリアベルは言い、またなー、とかアランとグレイは返す。また5日後に、とかローゼリットは面白そうに言って手を振り返していた。
他のギルドは分からないが、戦士ギルドは案の定、結構教え方が荒っぽい。グレイとアランの教官が特別厳しい可能性――は、あんまりない。キースも戦士ギルドで特技を教わると、怪我が治らなくて辛いと言っていた。うちにはローゼリットが今日だけいるけど。とかグレイはぼんやりと思う。
そのローゼリットは、男部屋でグレイの怪我を治して、今はアランの怪我を治している。グレイは2人の横顔を見るともなしに見るが、やっぱり、似ていない。2人とも、どんだけ父親似なんだろうなぁ、とか思う。というか、ローゼリットに似た父親って想像がつかない。つまりは物凄い美形だってことになる。
「よし、治った!!」
何故かアランが誇らしげに宣言して、ローゼリットは苦笑している。
グレイがぼんやり見つめているのに気付いていたのか、「で、どうした?」とアランが尋ねてくる。ローゼリットは不思議そうにアランとグレイを見比べている。グレイは、正直に言うのも何となく憚られて、どうって、何ってなぁ、とか考えて、あー、とか呻いてから言った。
「アラン、お化けとか、駄目なの?」
途端に「くふぅ……」と変な声が聞こえてきたのでグレイがそちらを見ると、ローゼリットが顔を覆って肩を震わせながら爆笑していた。何て言うか、そういえばローゼリットが爆笑してるのって初めて見たよ、とか思うくらいの爆笑っぷりだ。
アランは物凄く不本意そうにローゼリットを眺めて、どころかローゼリットの頭をわしっと掴んで、「笑うなロゼ―!」とか言っている。従兄妹って怖いな、とグレイは思う。アラン、おまえ、そんな美少女の頭を掴むとか。マリアベルならともかく。
ローゼリットは全然気にしていないようで、むしろますます声を上げて笑っている。小さな子供みたいに楽しそうだ。
「アランは、アランは、昔から、ダメなのですよ。顔に似合わず」
「うるせー!」
笑いながら、ローゼリットは言い、アランはもうローゼリットを引きずるように立たせて部屋から追い出そうとしている。猫でもつまみ出すみたいにローゼリットを追い出すと、「5日後になっ!」とアランは言って扉を閉めた。「また、5日後に」まだ笑いながら、歌うような調子でローゼリットが扉の向こうで言って、足取り軽やかに去って行くのが聞こえる。
「アラーン。ローゼリットは、わざわざ怪我、治してくれたんだから」
「いいんだよ、あいつは……ったく」
じゃっかん気まずそうにアランは言って、頭を掻いた。グレイが黙ってじーっと見つめていると、根負けしたように長剣を取って、「……教会まで送ってくる」と言って部屋を出ていく。
「鍵、頼む」
「頼まれたー」
アランが出ていくと、頼まれたので鍵を掛ける。
ベットにもそもそ上がって、アランが帰ってくるはずだから眠らないにせよ、横になる。何とか、1日で、幽霊を――死者を、笑い話に出来るようになったなぁ、とか思う。
ローゼリットは軽やかに笑っていたが、グレイ自身は、マリアベルがあの不思議な調子で、ほんとだよぉ、いるよぉ、と言った時には肝が冷えた。グラッドの兄貴は無事だった。それは本当に良かった。だけれど、少なくとも5人。おそらく、名前を知らなくても、会ったことがあるに違いないミーミル衛兵の5人は、昨日、迷宮で死んだのだ。
ごろん、と寝返りを打つ。猫の散歩道亭は、比較的安宿の部類に入る。布団は固いが、敷き布は清潔で良い匂いがする。あぁ、だけど、それでもいいかもな、と雑な事をグレイは思う。
死んでも、よく分からないままに、ひっそりと、あのミーミル衛兵の鎧を着て、新米冒険者を助けたり、また迷宮を探索することが出来たら、それはそれでいいかもしれない、とグレイは思う。
どう思う? ともしもマリアベルに尋ねたら、そうかもねぇ、でも死んじゃダメだよぉ、とか答えてくれるような、気がした。