2-18
夜。としか言いようがない時間。混んでるわ、相変わらず修練はキツイわでぐったりしてグレイとアランが猫の散歩道亭に戻ると、マリアベルは既に猫の散歩道亭の食堂でパンを食べていた。ますますグレイは力が抜ける。マリアベルの方も2人に気付いたようで、パンを飲み込んで、ほにゃりと笑って言った。
「グレイ、アラン、おかえりー」
「ただいま」
「ただいま……って家か?」
アランが答えかけて突っ込むと、マリアベルは2回まばたきをして、「家みたいなものでしょ?」とむしろ不思議そうに言った。
叩いて伸ばした仔牛の肉を、細かいパン粉で炒め揚げしたカツレツに、檸檬と炒めた芋がごろごろ乗っている大皿が3皿、マリアベルの前に置かれている。
「なに、俺たちの分?」
「そうだよー」
グレイが皿を指して尋ねると、マリアベルが事もなげに頷いた。丁度、卓に届いたばかりの様で、湯気を立てている。どうしてこうもタイミングの良いことが出来るのかグレイにはまったく分からないが、でかした! とかアランが言って早速ナイフとフォークを握ったからまぁ良いかと思う。
にゅふ、とマリアベルも笑って、ナイフとフォークを握る。どうやら、グレイ達が帰ってくるまではパンで凌いでいたらしい。グレイも食器を取って食べ始める。カツレツは、かりっとしていて、不思議とチーズの香りがする。どこに入っているのかはよく分からない。
マリアベルは鼻歌を歌いながら檸檬を絞っている。グレイはしばらくそのままで食べる派なので、無心に食べる。芋も食べるしパンも食べる。アランは途中で麦酒を頼む。グレイも便乗する。マリアベルは小さな赤い果実を絞ったジュースを飲んでいる。
しばらく3人とも無言で食べて、飲んで、おおかた皿の上が片付くと、思い出したようにマリアベルが話し始める。
「戦士ギルドは、どうだった?」
「すげー混んでた。どこのパーティも、指令を受けないと職業ギルドに来るんだな」
グレイが答えると、マリアベルはちょっと寂しそうに言った。
「そっかー。魔法使いギルドは、あんまり変わらなかったよ。そもそも、人が少ないし。他の冒険者のねぇ、魔法使いも、会ってみたかったんだけど。でもまぁ、前回と違う、新しい師匠に付いてもらえたから、それは良かったかな。属性が、違うし」
喋っている間に気を取り直したのか、マリアベルは最後にほにゃりと笑って言う。新しい師匠ねぇ、とかアランがグレイの隣で呟いた。ふと、思い出してグレイは言う。
「ローゼリットは、どうだろうな?」
「変わってると、いいねぇ……でも、僧侶の教師役って、出来る限りは変えないって、聞いたような、気がする……」
マリアベルにしては、歯切れ悪く応じる。
確か、ローゼリットの教師役は、物凄く声が大きくて、大柄で、ちょっとローゼリットが苦手そうにしていたはずだ。そんなことにグレイが思いを馳せていると、誰かがグレイ達の卓に近寄ってくる。グレイが見やると、誰かと言うか、ローゼリットだった。ちょっとよろっとしている。駄目だったらしい。
「……おかえり、ローゼリット」
ちょっと憐れみを込めてグレイが言うと、ローゼリットは弱々しく微笑んで、「ただいま……戻りました……」と言った。
ローゼリットが席に着くと、早速サリー――ではなく、夜だけ猫の散歩道亭の食堂の手伝いに来ている若い男が注文を取りに来る。サリー曰く、ミーミルの南部に住んでいる学生で、夜だけ働きに来ているらしい。グレイ達と同じくらいかちょっと年上の、感じの良い勤労少年という感じなのだが、妙にローゼリットに親切というか、距離が近いというか、何というかつまりそんな感じで、いつもアランとハーヴェイはちょっと嫌そうにしている。
当のローゼリットは全然気にしていないようで、サラダと葡萄酒を注文すると、あっさりグレイ達に向き直った。給仕の少年はちょっと残念そうだ。気付いたのか、マリアベルが密やかにチェシャ猫みたいに笑っている。何なんだか。とかグレイは口の中で呟く。
「戦士ギルドでは、指令に関する続報が、何かありましたか?」
えらく実務的な事をローゼリットが言うと、アランは何故か満足げに頷いた。なんかこう、満足らしい。お前は心配性のお父さんか、とかグレイは内心突っ込む。
「何も。どうもタイミング悪く、有名ギルドのメインパーティがどこもかなり上層階まで登ってるらしくて、まだ指令の受領すらしていない状況らしい」
「そっかぁ、迷宮にこもりっ放しだと、指令を受領しなくても迷宮にずっといられるんだねぇ」
マリアベルが感心したように頷く。ローゼリットはちょっと困ったように、「そう……ですか」とだけ言った。
「長いと、10日以上迷宮に入りっ放しになるらしい」
戦士ギルドで聞いた話をグレイが教えてやると、マリアベルは即座に「ご飯どうするの?」と言った。アランとグレイは苦笑するしかない。いや、大事なことなのだが。
「真面目に現地調達で対応するらしいな。もちろん、乾き物もかなり持ち込むらしいけど」
「水……も、現地調達出来るようになるのでしょうか?」
ローゼリットは不思議そうだ。聞いた話でしかないのだが、「らしい」とグレイが答える。にゅーん、とマリアベルが変な声を上げてから、言う。
「氷精霊ちゃんの術でねぇ、作った氷なら、溶かせば飲めるよ」
「それでいいのか魔法使い」
けっこう究極っぽい調達方法をマリアベルが言うと、アランが呆れた様に突っ込んだ。マリアベルは、ちょっと首を傾げて、そうだねぇ、と呟いてから言う。
「魔法は、良いこととか、悪いことを、しなくちゃいけないっていう決まりは無くてねぇ。魔法は、魔法使いが自分のやりたいことの……つまり、精霊が望む運命の方に進むために、好きなように、使って良いんだよー」
「……自由だな」
アランが言うと、マリアベルはにゅ、いーん、と唸る。
「そうかなぁ。どうだろうね。そう、難しいことでもないよ。別に、剣持ちの戦士だって、冬には斧持って薪を割ったりするでしょ。そういうことだと、思うけど」
「まぁ、それはそうだけど。そもそも魔法ってのは3大精霊の、何か、加護とか恩寵とか、そういう特別扱いで使えるんだろ? その特別扱いを、飲み水作るのに使って良いのか? っていう」
「それを言ったら、もう盾焼いたり、色々、好きにしてるしねぇ」
「……言われてみれば、そうだな」
「でもねぇ、精霊たちは、寛大だから。使い道まで見届けて怒ったりしないよぉ……たぶん、ね?」
最後は流石のマリアベルもちょっと自信なさそうに言って、中空を見つめる。マリアベルに何が見えているのかは、アランやグレイやローゼリットにはよく分からない。マリアベルは仲間からの視線に気付いたのか、2回まばたきしてから、怒ってはいないみたいだよぉ、とかのたまう。アランとグレイは思わず呆然とし、ローゼリットはちいさな声で、いいなぁ、とか言った。羨ましいらしい。こちらの気持ちもグレイにはよく分からなかった。