2-17
ローゼリットは迷うところが無かったし、ハーヴェイも弓の命中率を上げる特技が良いと思っている、と言うと誰も反対しなかった。グレイはちょっと困ったように、戦士ギルドでどんな特技があるか聞いてから決める、と言った。わざわざ全員で相談するのも何なので、戦士ギルドでアランと2人で決めて貰うことにする。
「じゃ、今度こそ行こうか」
マリアベルが言うと、全員で頷いて立ち上がる。
「今から行けば、今日も1日にカウントして貰えるかなぁ?」
ハーヴェイが言うと、だと良いんだけどな、とグレイが答えた。
猫の散歩道亭を出て、しばらくは5人とも向かう方向が同じだ。街中だからか、マリアベルは嬉しそうに先頭を歩く。弾むような、踊るような、機嫌が良い時のマリアベルの足取りだ。何だか、そのままどこかに行ってしまいそうにも見える。
ローゼリットと同じような感想を抱いたのか、マリアベル、待って待って、とか言いながらハーヴェイがローブの裾を掴む。にゅ? とマリアベルは不思議そうに振り返って、それでも他の4人と歩調を合わせて歩き出す。
「なんか、どっか行きそうだった」
アランまでそんな事を言うと、マリアベルはほにゃりと笑って答えた。
「どこも、いかないよぉ」
「飛んできそうだったよ?」
ハーヴェイも重ねて言うと、マリアベルはちょっと首を傾げて杖を左右に振る。
「魔法使いはねぇ、お伽噺の魔女みたいに、飛んだりは出来ないんだよぉ?」
「何だ、そうなのか」
アランが残念そうに言うと、マリアベルはにゅにゅっ、と笑って、当たり前だよー、とか答えた。お伽噺に出てくる魔女と、魔法使いの違いを説明し始めると、アランとハーヴェイは興味深そうに聞いて頷いている。ローゼリットがちょっと振り返ると、丁度目が合ったグレイが困ったように笑った。歩調を緩めて、ローゼリットはグレイに並ぶと、小声で尋ねる。
「あの……マリアベルと、何かあったのですか?」
何かと言うか、喧嘩とか、そういう類の、と思ってから、マリアベルと喧嘩って、想像が出来ないな、とかローゼリットは自分で考えておきながら否定する。
「何かっつーか……何だろ?」
グレイは言いながら、眉を顰めて考え込む。慌ててローゼリットは付け足した。
「あ、いえ、あの、言い辛いことでしたら……ごめんなさい。差し出がましいことを」
そういえば、昨日キーリを怒らせてしまったことを思い出して、ローゼリットは反省する。何というか、アランやハーヴェイと、ローゼリットはまったくそういう事が無いから、つい男女の機微に疎くなってしまう。
「あー、いや、全然、そんなんじゃない? ような、違う、ような……」
グレイは物凄く歯切れが悪い。マリアベルだったら、にゅーん、と唸っているような顔で考えて、しばらくローゼリットと並んで歩いてから、不意に言った。
「……毛布みたいだって、言われたんだけど、どう思う?」
「……もうふ?」
不意打ち過ぎて、鸚鵡返しにローゼリットが尋ねると、至極真面目な顔をしてグレイは頷いた。
「そう。毛布。安心毛布、とか?」
「安心毛布……」
呟いて、ふとローゼリットは心理学の用語でそういったものがあったな、と思う。確か、こどもがお気に入りの人形や、おもちゃを離さず持つことで、安心するとか、そういった意味合いだった気がする。
「……きっと、安心、出来るのでしょうね」
説明するのも正直ちょっと微妙な内容に思えたので、ローゼリットがそう言うと、グレイは、安心って、何だろな、とか変な顔で言う。悪くは無いけれど、喜んでいいのかよく分かっていないような、顔。
思わず、グレイとローゼリットと2人でマリアベルを眺めてしまう。黒いローブの上で、長い金髪が揺れている。獣のしっぽのようだな、とローゼリットは思う。それから再び話すきっかけもない間に、教会への分かれ道に着いてしまうので、手を振ってローゼリットは言った。
「では、私はここで」
「気を付けてねぇ」
マリアベルがほにゃりと笑って言う。可愛い。ほっこりする。グレイが何かを思い出すように言った。
「僧侶は泊り込みらしいから、また、1週間後、とかかな?」
「夜に“出掛けてはいけない”訳でもないので、今日の夜は猫の散歩道亭に戻ります。魔法使いギルドと、戦士ギルドは日帰りですよね?」
ローゼリットが答えると、グレイはちょっとびっくりした顔をしてから、「……そっか」と深く納得したように頷いた。ローゼリットにはよく分からないが、腑に落ちたらしい。マリアベルは「日帰りだよぉ、また夜にね」と頷いた。ハーヴェイは1人だからか悲しそうに、「僕は街の外に出ちゃうから、また来週かなぁ」と言った。アランは今更――という訳でもないのだが、特にコメントも無く手を振り返してくる。
「では、また夜に」
言って、教会へ歩いて行く。僧侶ギルド関係者用の入口に向かって、特技の教授を依頼するとすぐに中に通される、が、待たされる。前回訪れた際に比べると、かなりの数の冒険者だと思われる僧侶で混み合っていて、考えることは皆同じですね、とのんびりローゼリットは思う。
教会は、木造の猫の散歩道亭と違い、石造りの建物で中に入るとひんやりしている。よく報告に行く大公宮も瀟洒な石造りの建物だが、あちらは床や壁が絨毯やタペストリーで飾られているのに対して、教会は石細工が剥き出しになっている。色石で模様の描かれた床や、聖人の姿や精緻な装飾が彫られた石壁は美しいが、暖房効果は期待できない。
ミーミルの教会は、西部の街の歴史の浅さから考えるとかなり立派な造りになっている。純粋な信心深さ――というより、冒険者となった僧侶や、ミーミルで冒険者の帰りを待つ誰かの豊かさと、そして必死ともいえる祈りの成果であろう。ローゼリットだって、祈り、寄進することで万が一の時にマリアベル達を助けられるのならば絶対にそうする。
宗教画が描かれたステンドグラスを眺めてぼぅっとしていると、「……ローゼリット?」と控え目な声を掛けられる。そちらを見やると、眼鏡の僧侶――ジェラルドが立っていた。
「ジェラルド、こんにちは」
ローゼリットが答えると、ジェラルドはほっとしたように頷いた。
「君たちも、職業ギルドに来ることにしたのか」
「えぇ、同じことを考えた方が多かったようで、待たされていますけれど」
ちょっと苦笑してローゼリットが言うと、仕方ないさ、と肩をすくめてジェラルドは言った。
「指令が発行されると、大抵こうなる。僕も相当待たされるだろうな……特に今回は多い。たかだか2階で、ミーミル衛兵のパーティが全滅したというのは、深刻だ」
「それほど珍しいことですか?」
ローゼリットが尋ねると、ジェラルドは頷いて断言した。
「珍しい。ミーミル衛兵は、彼等自身も長年迷宮を探索し、大公宮から膨大な情報を与えられているが、決して5階層までしか登らない。僕たちで倒した、暴れ大牛のような大物とも、まず戦うことは無い。新米冒険者の保護に特化しているからだ」
「だと言うのに、全滅」
「そう。彼等すら成す術なく――というのは、何ともな」
ジェラルドはそこで溜息をつき、錫杖を額に当てて祈りを捧げた。ローゼリットも何とも言えず、それに倣う。あぁ、だけれど、いつ祈りを捧げられる側に回ってもおかしくないのか、と思わなくもない。
「……けれど、大公宮にミノタウロスの情報を持ち帰った冒険者も、いるはずですよね?」
ふと思い至り、囁くようにローゼリットが言うと、向こうで聞いた話だが、と前置きを置いてからジェラルドが言った。
「どこぞのパーティで1人だけ生き残った狩人が、報告だけ辛うじてあげて、息絶えたそうだ」
「……あぁ」
今度こそ本当に、何も言えずにローゼリットは溜息だけついた。ジェラルドは、ちょっと困ったように、言う。
「すまない、脅かし過ぎたみたいだ……なに、特技の習得が終わる頃には、解決しているだろうさ。悲劇も、未知との遭遇も、強大な敵も、女神たちの造りたもうた迷宮では、よくあることだ。それらを全て乗り越えて、今なお冒険者は踏破を目指しているのだから」