2-16
教会の、鐘の音がする。いつでも、どこでも、同じ音。教会では、鐘楼に吊るす鐘の大きさと素材が決められている。だから、街の大きさが違っても、教会の規模が違っても、必ず同じ鐘の音がする。もちろん大きな街では、他にもいくつも大きな鐘を吊るして、街中に聞こえるように各教会で対応しているが。
王都でも、ローゼリットが育った教会でも、ここ、ミーミルでも同じ音がする。神に届くようにと、祈りを込められた音。祈りの形は様々なのに、鐘の音は画一的だ。矛盾があるような、ないような。どうでも良いのだが。
ローゼリットは起き上がって、伸びをする。目元を擦って、マリアベルの方を見ると、まだ眠っているようだった。珍しいな、とローゼリットは思う。反射でそう思って、それから、いつの間にかマリアベルが綺麗になってベットで寝ていることに思いを馳せる。1度起きたからか、と納得して、立ち上がる。
ローゼリットより、マリアベルの方が朝の支度は早いのが常だから、しばらく寝かせておこう、と思う。昨日汲んでおいた水で顔を洗って、僧服に着替えて、髪を梳かす。そろそろ起こそうかな、と思ってマリアベルのベットに近付くと、にゅーん、とマリアベルが唸った。
唸って、ぱちりと目を開ける。ローゼリットにすぐ気付いたのか、ほにゃりと笑った。
「ローゼリット、おはよぉ」
「おはようございます。今日は、ちょっとお寝坊さんでしたね」
「にゅーん。やっぱり?」
ローゼリットが言うと、マリアベルはがばりと起き上がって言った。口調はのんびりしているが、動きは起き抜けなのにてきぱきしている。すぐに準備するよぉ、と言うから、今日は迷宮、入りませんし、と教えてやると、マリアベルはちょっと準備の手を緩めた。
「そうだった……」
残念そうに、呟く。着替えて、ちょっと考えて、それでも魔法使いのローブを羽織って、三角帽子を被った。
基本的に真っ黒な格好で、胡乱に見えても仕方がないのに、マリアベルはものすごくかわいい。髪とか、目とかがきらきらしているからかしら、とローゼリットはいつも思う。
ローゼリットが鞄に小物を詰めたり、使わない物を出したり、ちょっと地図を手直ししたりしていると、マリアベルはもう準備が終わったようだった。
「お待たせー。朝ご飯、行こうか」
ほにゃっと笑ってマリアベルが言う。ローゼリットは頷いて、あぁ、マリアベルはかわいくていいなぁ、と思う。羨ましいなぁ、も、もちろんあるが、猫とか人形とか宝石とか、そういう美しいものを見て、いいなぁ、と思う気分の方が近いと思う。
「そんなに、待っていませんよ」
「にゅ、ふふー」
ローゼリットが答えると、マリアベルはチェシャ猫みたいに笑った。
2人で食堂に降りると、まだアラン達は居ないようだった。昨日もアランは結構飲んでいて、ただ、恐らく心安らかに眠れなくなりそうなものを見てしまったからだろうな、とローゼリットは思ったから黙っていたのだが、また『癒しの手』を使ってくれとか言われたら、さすがに怒ろうと心に決める。
マリアベルはご機嫌に鼻歌を歌いながら朝食を待ち、ローゼリットはいつもの通り、朝の祈りを捧げた。
毎朝、毎晩、我らが父よ、と祈り続けると、実の父親より親しい相手のような気がしてくるから不思議だ。我らが父よ、どうか愛し子を御護りください。これで返事があったら確実に実の父親より遥かに慕わしい。残念ながら、今のところローゼリットは返事を聞けたことは無いが。
「はい、おはよう! 今日はのんびりだねぇ?」
サリーが笑って言いながら、マリアベルとローゼリットの前に大皿を置く。
「そうなの。今日はねぇ、迷宮じゃなくて、職業ギルドに行くから」
マリアベルが愛想よく答える。朝食はいつもの如く、芋が小山になって盛られている。それから腸詰めを茹でたのと、旬の大きな茸と、1度茹でた豆を合わせて炒めたもの。ローゼリットとしては多すぎてちょっと困る。マリアベルは嬉しそうで、頼もしい。いただきます、と言って2人が食べ始めるとアラン達が降りて来る。
「おはようございます」
「おはよぉ」
ローゼリットとマリアベルが声を掛けると、3人も挨拶を返す。ハーヴェイはいつも通り、幸せそうだ。アランはちょっと昨日のお酒が残っているのか、だるそうだ。が、先日ほどではなさそうだから、ローゼリットはよしよし、とか思う。グレイは――マリアベルを見て、ちょっと変な顔をしてから、ローゼリットの方を向いて、おはよう、と答えた。
ローゼリットはおや、と思ってマリアベルをそっと窺う。マリアベルはグレイの様子に気付いていないようで、元気に腸詰めを切っている。まぁ良いか、と思って食事に戻る。
食事の時は、全員真剣に食べるのが常だから、あまり喋らないで黙々と食べる。やっぱりいつも通り、最初にローゼリットが苦しくなる。というか、猫の散歩道亭の朝食は、食べても食べても全然減る気がしない。困っていると、アランがフォークを伸ばしてくる。
「もらうぞー」
「……お願いします」
純粋にまだ食べられるのと、ついでにアランの優しさなのは、ローゼリットも理解している。あたしもー、とマリアベルがのんびりとした声で続き、ハーヴェイとグレイも芋とかを持って行く。
5皿が空になると、ごちそうさま、と全員で言ってから、さっそくマリアベルが言う。
「それじゃ、職業ギルド、行こうか」
言うなり席を立ちそうになるので、慌ててアランがマリアベルを止める。炎精霊の術の『属性追撃』を覚えようと思う、とアランが言うと、意外にもマリアベルはにゅーん、と唸って帽子を深く被ってしまった。
「炎精霊ちゃん……に、しちゃう?」
帽子の下からこもった声でマリアベルが尋ねると、アランは特にこだわりは無いようで、首を振って答えた。
「いや、氷精霊の術でも良いけど。マリアベル、氷属性の術も使えるのか?」
「使える、よぉ。今はまだ、迷宮で役に立つようなちゃんとした魔法は覚えてないんだけどね」
マリアベルはそう言うと、にゅ、と帽子を持ち上げて顔を出す。ちょっと髪がわしゃっとなっている。魔法使いは食事の時も帽子を外さない。暑くない? と以前ローゼリットが尋ねたことがあるが、マリアベル曰く、外さないのが、魔法使いの礼儀だそうだ。熱いもの食べると、暑いんだけどねぇ、と困ったようにマリアベルは続けていた。
「だからねぇ、ヘーレちゃんの術を、今回覚えて来ようと思ってたんだよね。ヘーレちゃん、あんまり、得意じゃないけど……でも、スルヴァちゃんも、トルフェナちゃんに比べたら仲良くないから、アランがスルヴァちゃんの『属性追撃』を覚えて来てくれるなら、スルヴァちゃんの術をもっと上手く使えるように、してこようかなぁ」
「……ほぅ」
アランは偉そうに頷くが、多少、目が泳いでいる。おそらく何を言われたか良く分かっていないのだろう。そっとローゼリットは口を挟む。
「マリアベルとアランが、強化する属性を揃えるとして、炎精霊と氷精霊、どちらの方が良いでしょうね?」
ローゼリットが言うと、あー、とかアランが、にゅー、とかマリアベルが言って首を捻った。
「牛とか……あとはウサギか。雷精霊の術、効きにくいみたいだし。あいつらが苦手な方が良いよな」
「そうだねぇ。どっちの方が嫌いかなぁ」
「氷精霊の術、使ったことないから、何ともな」
しばらくマリアベルとアランは何やかんやと話していたが、最終的には2人でじゃんけんして、アランが勝ったら炎精霊、マリアベルが勝ったら氷精霊、にすることにしていた。何というか、雑だ。ただ、考えても分からないのだから、手っ取り早いと言えば、そうだろう。
「マリアベルには、精霊が味方に付いてるから。運任せみたいな方が、いい結果になるよ、きっと」
ハーヴェイが言うと、マリアベルは嬉しそうに頷いてから、じゃーんけーん、と呑気な掛け声を上げた。
精霊たちも悩ましいところだったのか、5回あいこが続いてから、アランが勝った。マリアベルは自分が出したグーを眺めて、「氷精霊ちゃんは、また今度ねぇ」と歌う様に言った。