2-15
にゅーん? とか変な声を上げてマリアベルが考えてる間に、グレイはマリアベルを背負ってやって歩き出した。
マリアベルはグレイと同じくらいの年に見えたけど、細っこかったし行けるような気がした。実際何とかなった。
マリアベルの家はやっぱりでかくて綺麗で立派で、グレイが送ってやるとお手伝いさんみたいな人が出てきてえらく感謝された。どうも、よくある事だったらしい。
そんなわけで、わりと好意的な感じに遭遇して、その後、マリアベルは魔法使いになったわけだけど、それでも街にマリアベルが戻って来ていて、不意にグレイと遭遇すると、マリアベルはいつも嬉しそうにグレイの横にしゃがんで、どうでも良いことを2人でだらだらだらだら喋る仲だった。
「あたしはねぇ」
現実のマリアベルが、やっぱりのんびりした口調で話す。うん、とかグレイが頷くと、マリアベルは続けた。
「すごく眠くて、寝たんだけどねぇ、起きちゃって。で、まだお風呂やってたからねぇ、入ってきた」
「ローゼリットが、マリアベルが椅子で寝てるってちょっと心配してた。派閥の掟って、そんな厳しいの」
グレイがからかうように言うと、マリアベルはにゅふっ、と笑った。
「厳しいよぉ。何せ、あたしが決めたからねぇ。やめたら、あたしは何か違う生き物になっちゃう」
「ふぅん?」
分かるような、分からないような、理屈だ。
ハーヴェイなら分かるのだろうか。何となく2人は感覚派で似てるし、とかグレイは思う。
「……あたしが決めたことを、あたしがやめたら、きっとあたしは違う生き物になって、雷精霊ちゃん達にも嫌われちゃう。それは悲しいし、あたしも怖いし。だから、やりたく、ないんだけど」
マリアベルは、不意に表情を引き締めて、言った。
引き締めて、と言うか、なんだか泣きそうだ。
「……マリアベル」
他に何とも言い難くて、グレイが名前を呼ぶと、マリアベルは、うんっ、と頷いて、黒い三角帽子もローブも無いくせに、やっぱり持っている魔法使いの杖を握りしめて、言った。
「あたしは、迷宮を、踏破するよぉ。するために、いっぱい、いーっぱい頑張るよ。でもねぇ、そうなんだけど、もしもね、もしも……グレイとか、アランとか、ハーヴェイとか、ローゼリットがね。もしもね、もしも、何か、あったら、どうしたら、いいんだろうって、思ったらね……」
魔法使い――あるいは、運命を引く者、とも呼ばれる。
あらゆる魔法使いは、凡庸な人生を歩むことは出来ない、と謳われる。
出来ない、らしいのだ。
「マリアベル」
それにしたって――とか、グレイは無責任にも思う。
それにしたって、お前が、マリアベルが、言うなよ、そんなこと。泣くなよ、お前が。
「グレイ……」
どうしたらいいか分からなくて、マリアベルを抱きしめる。マリアベルはもう床に座り込んで、グレイにしがみついて泣いている。
泣くなよ。大丈夫だって、いつもの、あの調子で言ってくれよ。グレイは祈るみたいに、真摯に、無責任に、思う。チェシャ猫みたいに笑って、マリアベルが、魔法使いが、大丈夫だって言うから、グレイはいつだって大丈夫なような気分になれたのだ。
グレイが見た限りで2パーティ。ミーミルの衛兵曰く5パーティ。30人近く。一日で死んだらしいのだ。ミノタウロス。どうしたらいいんだそんなん。急に反則だろ女神。
けっこういい感じだったのだ。
特技を覚えて、2階に登って、キース達がいたにせよ、牛とか大物倒して。っていうか人助けとかしてみたりして。全滅とか半壊とか、聞くけど。それにしたって、噂だろ。盛ってるだろ。事故とかあるだろ、とか正直グレイは思っていた。それなのに、グレイ達よりも先輩の冒険者パーティと、ミーミル衛兵のパーティが。反則だろ、女神。
何だかよく分からない苛立ちと、マリアベルが泣いているのとで、何だかグレイまで泣けてくる。
マリアベルが。マリアベルに何かあったら。アランやローゼリットやハーヴェイに何かあったら。何かっていうか、あの広間の死体みたいに腕とか首とかとれたり折れたりして死んだりしたら、どうすれば。どうすればっていうか、その時にはグレイも死んでるんだろうけど。あの死体はどうなったんだろう。他のミーミル衛兵とか、冒険者が回収したんだろうか。
青虫とか、モグラとか蝶とかを殺すと、帰り道には不思議なくらい痕跡がいつもなくなっているけれど、冒険者も例外ではないんだろうか。装備くらいしか残らないんだろうか。女神は利益と損失の両方を惜しみなく与える。そのために迷宮を造りだしたのだという。女神に、奪われるのだろうか。こえーよ、迷宮。
泣いて、泣いて、グレイが何だか水分が枯れたような気分になる頃には、マリアベルも泣き止んでいた。そのくせ、離れがたくて、というか、離れるタイミングを失って、グレイもマリアベルも床に座り込んでいて、グレイがマリアベルを抱き寄せているから、けっこうマリアベルは変な体勢で辛くないかとかグレイは思うけど、やっぱりマリアベルが離れないし、とかグレイ自身もよく分からないことを思う。
猫の散歩道亭は宿屋だけど、1階は食堂と酒場を兼ねているから、にぎやかな声が遠くから聞こえてくる。近くから、マリアベルの呼吸の音が聞こえる。
何か、どうしたもんかなこれ。とかグレイは思う。あったかいし、いーにおいだし、柔らかいし。違う。違わないけど。マリアベルは魔法使いで、パーティの仲間で、何だっけな、とか思う。
「……グレーイ」
マリアベルがちいさな声で言う。何だか、眠そうだ。おま、寝るなよ。この体勢で寝るとか無いだろマジで、とかグレイは思う。
「あたし、ねぇ」
「うん」
グレイが促すと、マリアベルはちょっと身体を離して、グレイを見上げて、それからいつもの――グレイが安心するいつもの、チェシャ猫みたいな笑顔で言った。
「頑張るよぉ。あたしには、雷精霊ちゃんと、炎精霊ちゃんと、氷精霊ちゃんと……グレイ達が、いるからね。だからねぇ、だいじょうぶ。大丈夫だけどね」
ぽふっ、とまたグレイにしがみついて、おいやめろほんとどうしたらいいか分かんないから、とかグレイが思っていると、マリアベルはこもった声で言った。
「大丈夫だけどねぇ。なんかね、グレイにぎゅってしてもらうと、もっと安心できるみたい」
「お、おう……」
「グレイはあれだね、あたしの安心毛布」
「もうふ……?」
魔法使いの言うことは、時々、よく分からない。
にゅふーん、とマリアベルは変な声を上げて、グレイから離れて、その勢いのまま立ち上がった。ほにゃっとしてるが、しっかりしている、マリアベルの立ち方。マリアベルは魔法使いの杖を握りしめて、チェシャ猫みたいに笑った。
「おやすみ、グレイ。明日――からは、ギルドかな。あたし、頑張るよぉ。グレイも一緒に頑張ろうね」
いつの間にかけっこう乾いて、ふわふわになった金髪を動物のしっぽみたいに翻して、マリアベルは3階への階段を登っていく。
わけ、わかんねぇ……とかグレイは呆然としかけるが、分かってハーヴェイみたいになるのも何だったので、まぁいいか、とか雑な事を思う。
泣いて疲れたからか、違うのか。単純だとは我ながら思うが、今から部屋に戻ればすぐに眠れるような気がした。実際その通りだった。