2-14
猫の散歩道亭で、男3人でさくっと風呂に入って出てくると、ローゼリットが1人で女風呂に向かうところだった。
「やぁ、ローゼリット。マリアベルは、起きない?」
ハーヴェイが尋ねると、ローゼリットは苦笑して頷いた。
「えぇ、それなのに、どうしてもお風呂に入るまでは、ベットに入りたくないと言うから、今、椅子で寝ています」
「相変わらず、面白いねー」
ハーヴェイが笑って言い、グレイは、なるほど、そこまでこだわるのなら大した奴だ、とか思う。
「マリアベルは、汚れたままでは、絶対に寝台に上がらない派閥に属しているそうだ」
グレイが教えてやると、ローゼリットはきょとんとしてから笑った。派閥って、とかハーヴェイも笑っている。
それじゃあ、とローゼリットと別れて部屋に戻る。アランは蒸留酒のお陰か、おやすみ、とか言うか言わないかの間に即座に落ちた。グレイはしばらく頑張ったが、寝付けなくて寝返りを打つ。思わず溜め息がこぼれると、ハーヴェイが、隣の2段ベットの上から小声で言った。
「……グレイ、起きてる?」
「あー、うん。駄目だ。寝付けん」
アランに気を使って小声で答える。気を使わなくても、アランは熟睡っぽかったが。酒の使い方が上手いよなぁ、とか感心しかけて、昨日ローゼリットに怒られてたし、そうでもないか、とやっぱり思い直す。
「そっか」
ハーヴェイは頷いて、何か言いたそうで、上手く言えないような感じだ。
「うん」
答えて、ちょっと外でも歩いて来るかなぁ、とかグレイは考える。もしくは死ぬほど走るとか。駄目か。
しょーも無いことを考えていると、ハーヴェイが囁くように言った。
「あのさ……思い出させるみたいで悪いけど、今日、ごめん。僕だけ見なくて」
うん? とグレイは首を傾げる。分からないか、と思って声に出す。
「……マリアベル達も、見てないだろ」
「女の子だし」
「んー……」
分かるような、分からないような、理屈だ。
「……僕こそ、偵察とか、するべきだっただろうし」
ハーヴェイは重ねて言う。時々こいつ真面目だよなぁ、とか面白くなる。ストーキング野郎のくせに。
「……男でも、女でも、見なくていいなら、見るもんじゃないだろ。向こうだって、見られて嬉しくもないだろうし」
「……そうかな」
「多分」
グレイが答えると、そっかぁ、とか呟くように言った。安心したのか、別の理由か、一気にハーヴェイの声が眠そうになっている。
「ハーヴェイ、もう寝とけよ。今日の帰り道、すげースイッチ入ってたし、疲れただろ」
「あー、うん、今日の帰り道、何か凄かった……自分でもびっくりした……それじゃ、ごめん、グレイ、おやすみ……」
「おう、おやすみ」
グレイの声が聞こえていたかどうか。ハーヴェイはすぐに寝息を立て始めた。
グレイも目を閉じるが、どうにもこうにも駄目で、ついに諦めて部屋を出る。夜、だが、まだ日付が変わるような時間では無いだろう。酒場、屋台街、どこに行こうかなぁ、とか廊下を歩きながら考えていると、階段からきらきらした金髪が上がってくるのが見えた。
「……マリアベル」
驚いて、名前を呼ぶ。風呂上がりなのだろう。ふわふわの金髪をしっとりさせたマリアベルがこちらを振り返った。ととん、と階段を上りきって、歩いてくる。
「グレイ、まだ寝てないの?」
「何か眠れなかった」
グレイが素直に答えると、にゅーん、とマリアベルは唸った。何となく、2人で壁添いに並んでしゃがみ込む。壁に背中を預けてしゃがんで、魔法使いの帽子も、ローブも身に着けていないマリアベルといると、何となく、ここが故郷の街のような気になってくる。
「……昔みたいだねぇ」
マリアベルも同じことを考えていたのか、そう言って、それからちょっと首を傾げて、そんなに昔でもないかぁ、とか言っている。
「だな」
どっちに同意したのかは、グレイ自身にもよく分からなかったが、頷く。
グレイは、田舎の家庭の常で、とにかく兄弟姉妹が多かった。グレイは、良くも悪くも親から放置される真ん中辺りのポジションで、兄貴には虐げられるし、弟や妹はうるさいし、姉貴は何やら命令してくるしで、嫌になって時々家から避難していた。とはいえ友達は家の手伝いをしていたり、それこそ他の弟妹の面倒を見たりしていたから、グレイが避難するような、夕方とか、夜になりかけた時間とか、そんな変な時間にはあんまり誰もいなかった。
例外はマリアベルで、広場の隅っことか、教会前の階段とか、邪魔にならなそうな場所でグレイが座り込んでぼんやりしていると、不思議なくらい結構な頻度で遭遇した。当時からほにゃりとした笑顔で、マリアベルはグレイを見かける度に、グレイだぁ、とか言ってグレイの横にしゃがみ込んだ。
グレイや、その他大勢の街の子供とは違って、マリアベルは一人っ子だった。いや、実際は兄貴が1人いるのだが、それだって少ない。
というのも、マリアベルの一家はもともと街の人間じゃなくて、王都で商売をしているらしいのだ。ただ、マリアベルの母親が病弱で、田舎に療養に来て、それと一緒にマリアベルもこっちへ来たらしい。父親と兄貴は普段は王都にいるらしくて、グレイも1回しか見たことが無かった。
だから、か、関係ないのか、マリアベルは田舎の子供にしては、畑仕事の手伝いをしていないから、妙に肌が白くて、兄弟や親戚の子供たちの間を駆け巡った歴史を感じさせるお下がりではなく、いつも新品の綺麗な服を着ていて、ちょっと、まぁ、浮いていた。
もちろん、そんな外見だけの話じゃなくて、マリアベルは魔法使いだから、1月ごとに、師匠のもとに修行に行ったり、家に戻ってきたりしていたらしくて、とにかく変わっていた。グレイが知る限り、正直、同性の友達はいなかった、はずだ。
グレイだって、初めは親に、金持ちの娘だからとか何とか吹き込まれていて、初めてマリアベルを見た時には、こいつが噂の、とか思った。グレイ以外の兄弟も、親の言ったことを素直に飲み込んで、あんまりマリアベルに近寄らないようにしていた。
ただ、グレイがたまたま1人でいる時に、初めてマリアベルを見て、こいつが噂の、とか思った時、何故かマリアベルは靴を履いていなくて、裸足で草の上をぺたぺた歩いていて、グレイは思わず、こいつが噂の――何だこいつ、とか思ってしまったのだ。
運命的な、とか言えなくも無かった。思わずグレイは背後から声を掛けていた。
「お前、何で裸足なの」
グレイが言うと、マリアベルは振り返って、2回まばたきをした。つばの広い麦わら帽子を被っていて、顔に陰が落ちているのに、緑の瞳がきらきらしているように見えた。
「にゅ?」
マリアベルは変な声を上げて、グレイを見て、それからほにゃりと笑った。
「はじめまして。あたしねぇ、マリアベルっていうの。それでね、靴はねぇ、あたしが木に登ってる間に――どっか行っちゃったの」
マリアベルはちっとも気にしていないような調子で言った。いや、ちょっと困ったけど、まぁ、仕方ないから歩くよ、みたいな調子だった。
たぶん、街の他の子供に隠されたとか、盗まれたとか、そんな感じだとグレイにはすぐ分かった。ただ、マリアベルは恨んだり卑屈になったりする様子もなく、ほにゃりとしていた。
それじゃあねぇ、とか言って、ぽてぽてと歩き出そうとするので、その時は思わなかったが、今思えば不思議なくらいの積極さで、グレイはマリアベルに言った。
「裸足だと、怪我するぞ。家、どっち」