2-13
なんだかなぁ、と思ってグレイは首を振った。マリアベルが、2回まばたきをして見上げてくる。どうしたの? とか、おそらく言いかけた時、不意に酒場の入り口が騒がしくなる。見ると、ミーミルの衛兵が数名、立っている。
「――大公宮より、全冒険者へ、指令が発行された!」
衛兵が野太い声が言い、多くの冒険者がざわめいた。
「2階に、非常事態が確認された!」
「既に5パーティ全滅したことが確認されている……!!」
衛兵の言葉に、他にも大勢の冒険者が何か尋ねたり、衛兵が答えたりしていたのだが、騒がしすぎて上手く聞き取れなかった。が、聞き取れた2、3言で十分だった。
「5パーティ……!?」
気の強そうなキーリが、さすがに顔を青ざめさせた。ローゼリットとジェラルドは、無意識にであろうが、揃って祈りを捧げた。キースがすごい勢いで首を振る。
「や、やめよう。俺たちもやめとこう」
その通りだ、とグレイは思った。5パーティ。30人近く死んだのか。ぞっとするが、不思議なくらい周りの他の冒険者達は浮き足立っている。とどめの様に、ミーミル衛兵は高らかに言った。
「討伐すべき対象を、大公宮はミノタウロスと名付けた! 冒険者よ、腕に覚えのある者は、勇躍して拝命せよ!! 討伐に成功した者へは、大公宮から報酬が与えられる!!」
その言葉に続いた報酬の金額に、冒険者達はわぁっ、と歓声を上げた。
気の早い者は、途端に席を立って大公宮に向かい始める。どこかのギルドに属しているパーティなのだろう。揃いの黒い羽飾りを身に着けたパーティ6人が、出口に向かいながら言うのが、グレイ達にも何となく聞こえる。
「どうせ、2階をうろついてるような新米がやられただけだろ」
「ミノタウロス――うちのギルドで倒すぞ!!」
あー、なるほど。左様でございますか。内心なのにグレイは変な敬語で思う。おそらく、聞こえたのだろう。キースも、新米ですから……とか情けない笑顔で呟いた。キーリはむぅっ、と口を尖らせているが、あたしたちも受領しよう! とはさすがに言わなかった。
「……まぁ、この感じなら、すぐに何とかなりそうかな?」
ハーヴェイが言うと、ジェラルドが頷いた。
「あぁ、おそらく数日で片付くだろうさ。キース、キーリ、例えば職業ギルドに行くとして、特技を教えて貰えるだけの貯金はあるか?」
ジェラルドが事務的な事を言い出して、キースはあるよーとか、キーリはちょっと唸って、何とか、とか答えていた。
「うちも、そうするか?」
アランが誰ともなしに言うと、グレイには意外だったが、マリアベルがすぐに、そうだねぇ、とか頷く。グレイはちょっとほっとする。それを見てか、マリアベルがチェシャ猫みたいに笑った。
「あたしだって、そんなに無茶はしないよぉ」
「どーだか」
グレイはそう言って、黒い三角帽子を潰すみたいに、マリアベルの頭を押さえて髪を掻き回す。にゅいー、とか、マリアベルが抗議の声を上げる。その様子を見て、ようやくローゼリットも微笑んだ。
何が起こっているのかよく伝わっていなかったからか、酒場はぴりぴりしていたが、指令の伝達が来て、かなりの冒険者が出ていくと、後はちょっと浮かれたような、諦めたような、そんな空気だけが残る。
ちょっと緩んだ空気の中、マリアベルが黒い三角帽子を取って、わしゃわしゃになったふわふわの金髪を手櫛で直しながら言う。
「――ミノタウロス」
先程の名前を口にして、マリアベルはにゅふふ、とか怪しく笑う。
「大公宮が名付けると、ちょっと素敵な名前だねぇ。牛の頭に、人の身体の、迷宮に閉じ込められた怪物の名前。ふぅん?」
歌うようにマリアベルは言い、キースとキーリは興味深そうな顔で、そうなの? とハモってマリアベルに尋ねた。マリアベルが頷く。
「ずーっと南の、海を渡った先の島の、神話だよぉ。ミノタウロスは、乱暴者でねぇ。誰の手にも負えなかったから、迷宮に閉じ込められたの」
ほぅ、とジェラルドが感心したように言った。アランはちょっと傾ぎながら、神話だろ? とか言った。マリアベルは、そうだけどねぇ、とか頷いている。ローゼリットが口を開いた。
「とはいえ、2階には多く牛が生息していましたし、大公宮が何の脈絡もなくその名前を使うとは思えませんから――ミノタウロスに準拠するような、生き物が確認されたのかもしれませんね」
「3柱の運命の女神さまたちが、造った迷宮だからねぇ。よそから、神話の生き物を連れて来ちゃうかもしれないよねぇ」
普段よりふわふわした口調でマリアベルは言い、おや、と思ってグレイが見ると、普段より食べていないくせに、果実酒だけはマリアベルにしては結構いいペースで飲んでいる。ちょっと眠そうだ。
料理が片付くと、楽しく話す気分にもなれなかったので、全員で引き上げる。宿屋街に向かって歩き、別の宿なので途中の道でキース達と手を振り合って別れる。
「本当に、気をつけるんだぞ」
「お心遣いありがとうございます。ジェラルド達も、お気をつけて」
説教臭くジェラルドはローゼリットに言い、ローゼリットは素直に頷いた。
「んもぅ、よそのパーティの子にまでお説教始めないでよー」
キーリが怒ったように言う。まぁまぁ、とかキースがとりなす。
「それじゃ、また」
キースに言われて、アランもグレイも、またな、とか答える。静かだと思ったら、マリアベルはハーヴェイに掴まってぐんにゃりしている。ハーヴェイが、大丈夫? とか尋ねると、にゅー、とか答えた。誰にもよく分からない。
キーリはグレイ達と別れて歩き出しながらも、やけにジェラルドに突っかかっている。おや? とか思ってグレイとローゼリットがちょっと振り返ると、気付いたのか、キースがこちらに手を合わせてごめんごめん、そんな感じなんだ、みたいな顔をしていた。どうも、そういう人間関係らしい。ローゼリットとグレイで顔を見合わせて、思わず笑う。
「私たちよりお姉さんなのに、キーリは可愛いらしいですね」
ローゼリットが涼やかな声で笑い、思わずグレイは見惚れそうになる。まぁ、確かにローゼリットは反則だよなぁ、とか、ローゼリットには与り知らぬところで思う。
にゅにゅー、にゅー、にゅいーん、とか酔ったマリアベルが歌い始める。気が抜けるような変な歌なのに、不思議と美しい響きだ。
「職業ギルド行くとしたら、何覚える?」
アランとローゼリットに尋ねると、ローゼリットは悩むことも無く、『加護』を、と答えた。だよなぁ、とかアランとグレイで頷く。アランはけっこう迷っているらしく、考えながら言った。
「今日まで、何か気合で適当にやってたけど、本当は『属性追撃』って、3属性それぞれ別の特技だから、炎精霊の魔法に合わせる用の、『属性追撃』が良いかと思ってる。もしくは盾特技だな。結構、すり抜けられて、ロゼに何とかさせることも多いから」
アランの言葉にローゼリットは、おや、みたいな表情を浮かべた。グレイはぼんやりと、あー、気にしてたんだな、とか思う。
アランは特技的に――というか、性格の問題なのだろうが攻撃役向きだ。敵が2匹以上出た時、大抵グレイが2匹受け持っている間にアランが1匹を素早く片付ける。あまり無いが、4匹以上の敵に遭遇すると、グレイとアランで2匹ずつ相手取ろうとすることが多いが、アランは2匹まとめてというのが苦手らしく、それなりの率でローゼリットを頼っていた。
ローゼリットはちょっと自慢げに微笑んだ。
「まぁ、今のところ、私でも何とか出来ますから。炎精霊用の『属性追撃』で良いのではありませんか?」
「あとはマリアベルと相談してだな」
アランは頷いて、マリアベルを見やる。そのマリアベルは、ハーヴェイに掴まってぐにゃぐにゃしながら歌っている。とても相談できそうにない。
「……明日にでも」
マリアベルを見て、アランはそう付け足した。ローゼリットはくすくす笑っている。
「グレイこそ、どうする?」
アランに逆に尋ねられて、グレイは正直に答える。
「あー、俺も悩んでて。つーか、まぁ、急な話だし」
「だよな」
アランは頷く。急な話――というか、今日はとにかく急展開だった。
ハーヴェイが言った、今日突然2階に現れたらしい大物。姿を消した牛。謎の扉。
それから大量の、死体。
「なんかまぁ、盾の防御から攻撃に繋げるようなのとか、そんなのかな、とか思うけど。もしくは『戦士の雄叫び』とか」
不吉な画像を頭から追い払うように、グレイは言う。アランは、あぁ、とか思い出したように言った。
「何か凄い大声で、敵を威嚇するとか、追い払うとか、出来るらしいよな」
「うん。なんつーか、トラヴィスとか、素で出来そうだよな」
「出来そうだなー。素で。そういや、トラヴィスは今日いなかったけど……まぁ、キースのあの様子なら、向こうのパーティも受けないだろうな。指令」
「たぶんなー」
とうとう、グレイ達の数歩前を歩くマリアベルが、魔法使いの帽子を頭に載せていられないくらい、ぐにゃっぐにゃになってしまって慌ててローゼリットが帽子を拾っていた。珍しいな、とグレイは思う。おぶってやろうかな、とも思ったが、もう猫の散歩道亭が見えて来ていたのでやめた。