2-12
迷宮の入り口、というか、出口というか。とにかくその境目まで行くと、普段の倍以上の数のミーミル衛兵や、数パーティの冒険者で騒がしくなっていた。何となく漏れ聞こえてくる会話から類推するに、どうやら、グレイ達より先に、あの惨状を報告したパーティがいたらしい。
グレイ達は今更お呼びじゃないという感じで、報告するのも躊躇われた。が、マリアベルが何やら背伸びをして、遠巻きから騒ぎを確認している。
あ、そうか、とグレイは思い至って、マリアベルに言った。
「見えるか?」
マリアベルは、不思議なことに――時々、マリアベルは魔法使いだと思い出させられる――顎まで覆うような兜に、揃いの鎧を身に着けていても、ミーミル衛兵の見分けがつく。グラッドや、サリオンなど、顔見知りがいるか探しているのだろう。
「グラッドさんは、大丈夫。何かメモ取ってる。サリオンさんは……今日、お仕事じゃ、ないのかなぁ」
ぎゅ、と、杖を握っていない手で、マリアベルはローブを握りしめた。
一応、アランとグレイの2人も騒ぎに近付く。グラッドが気付いてくれて、手早く尋ねてくる。
「お前らも、2階で、見たか」
「見ました。10人くらい」
アランが頷いて言葉少なに答えると、グラッドが重ねて言う。
「大物が出たらしい。今日の夜にでも、大公宮からミッションが発行されるだろう。受領しないと、迷宮に入れなくなる。とにかく、明日は迷宮入る前に、大公宮前に寄ってけ。な」
「分かりました。ありがとうございます」
言葉とは裏腹に、あんまりよく分かっていない顔でアランは言った。
ミッションとは何なのか、グレイにはよく分からなかった。アランも同じだろうが、とにかくグラッドも忙しそうだったので、頷いてすぐに離れる。ローゼリット達のところに戻ると、マリアベルも、騒ぎの外側をぐるっと一周して、戻ってきた所だった。やっぱりローブを握ったままだ。グレイと目が合うと、ちょっと首を振る。サリオンは、見当たらなかったらしい。
何となく、全員で不安な顔をしながら、街へ戻る。
「やっぱり、話は伝わってた。グラッドの兄貴曰く、大物が出たらしい。大公宮からミッションが発行されるだろう、ってさ。何だろうな、ミッションて」
他にどうしようもない感じで、街に帰りながらアランが言うと、マリアベルが、にゅーん、と変な声を上げた。
「ラタトクス細則、58則――ラタトクス大公、並びに指定された大臣が迷宮内部に非常事態を認めた場合は、非常事態解決の為、全冒険者に指令を発行する。指令の受領は冒険者の義務であり、受領しない者へは第1則の適用を一時停止する、だった、かな」
マリアベルは、本を読み上げるような口調で言った。おぉ、とアランが感嘆の声を漏らす。ローゼリットもちょっと微笑んで、さすがです、と称えた。
ラタトクス細則第1則とは、“冒険者に世界樹の迷宮へ立ち入る権利を与える”といった意味合いの物である。それで、グラッドは「受領しないと、迷宮に入れなくなる」と言っていたのだろう。
しかし、非常事態と、来たか。グレイは顔をしかめる。
「それで、指令を受領しないと迷宮に入れなくなる、って言ってたんだな」
「おそらく、冒険者への注意喚起の意味を込めて、指令を発行するのだと思いますけれど」
グレイがぼやくと、ローゼリットが慰めるように言った。マリアベルも頷く。
「たぶん、そうだよねぇ。何か起こったら、大公宮が危ないよーって言うから、冒険者は分かったよーって言ってから迷宮に入りましょうってことだよね。で、出来ればみんなで解決しましょう、って。それが無理なら、危なくなくなるまで、迷宮に入っちゃダメってこと、かな」
物々しいラタトクス細則も、マリアベル語に翻訳されると、だいぶ可愛らしくなった。とはいえ、あの光景を見たアランとグレイは、何とも言い難いのだが。
正直、グレイもアランも、あまり、というか、ほとんど食欲は無かったのだが、情報収集を兼ねて穴熊亭に向かうことにする。まだ、夕方と夜の間のような時間だったので、空いているかと思ったら、穴熊亭はほぼ満席のような混み合い具合だった。しかも、普段よりも空気が殺気立っている。
「にゅーん……」
マリアベルが困ったように変な声を上げて、ローゼリットにすり寄った。ローゼリットも困り顔だ。
入る? やめとく? やめてもなぁ、みたいな事を視線で話す。
「おぉい、グレイ! アラン!」
店内から呼ばれて見やると、キースが手を振っていた。殺気立った店内でも、相変わらずちょっと犬っぽい、人好きのする笑顔だ。ちょうど彼らの近くが空いているようだ。よっしゃ、とかグレイは思って、手を振り返す。マリアベルも、あ、キースだ、とか嬉しそうに笑った。
「行くか」
一応振り返ってグレイが尋ねると、全員ほっとしたように頷いた。知り合いっていいよな、とかグレイは思う。
歩いて行くと、キース、キーリ、ジェラルドの3人が、ちょっと困った顔で座っていた。3人とも、装備らしい装備を身に着けていない。トラヴィス、シェリーは見当たらなかった。
「や、グレイ」
「よ、キース。3人?」
グレイが尋ねると、キースは頷いた。
「うん。今日は迷宮入んなかったから。飯食うのと、何か良いクエストが無いかと思って穴熊亭に来たんだ。妙に、さ……混んでるんだけど。何かあったか知ってる?」
キースは困ったように言う。妙に、殺気立ってる、とか言いかけて、やめたようだった。迷宮に入らなかったから、私服らしい。
グレイはアランとちょっと顔を見合わせてから、答える。
「迷宮の2階で、けっこうな大物が出た、んだと思う。2パーティ全滅してた。冒険者と、ミーミル衛兵が1パーティずつ」
実際に大物を見たわけではないので、多少曖昧にグレイが教えてやる。キースも、キーリもジェラルドも息を飲んだ。道理で、とかジェラルドが周囲を見回して呟く。
「2階で、探索慣れしたミーミル衛兵が全滅となると……指令が発行されるかもしれないな」
ジェラルドの言葉に、アランが頷く。
「グラッドの兄貴――ってか、知り合いのミーミル衛兵が、多分、今夜に指令が発行されるだろうから、明日は大公宮に寄ってから行けって言ってた。ジェラルドは、指令を受領したことがあるのか?」
アランが説明ついでに尋ねると、ジェラルドは首を振った。
「いや、以前、指令が発行された時は、指令を受領せずに、パーティ全員で職業ギルドに特技を覚えに行ったよ」
「あぁ、なるほど。そういう手もあるのか」
アランが頷いて言った。キーリとキースも感心したように頷いていた。その頃は、ジェラルドは別のパーティにいたのか、とかグレイは思う。
「今度は、どうする?」
キーリがジェラルドに尋ねると、ジェラルドは首を振って、5人で決めよう、とだけ言った。
「グレイ達は、どうする?」
双子だからか、びっくりするほど似た調子でキースが言う。グレイは思わず言った。
「たぶん、受けない。受けたくない」
グレイがきっぱり言うと、マリアベルが、にゅー……ん、とか唸った。アランは、「俺も同意見だ」と言う。ローゼリットとハーヴェイも、曖昧に頷く。消極的だが、グレイに賛成らしい。
キースは、ちょっとほっとしたように笑った。
「うん。余計なお世話かもしれないけど、それが良いと思うよ。俺たちだって、トラヴィスとシェリー次第だと思うし」
「その通りだ。“カサブランカ”、“桜花隊”、“ゾディア”――有名な冒険者ギルドがいくつもあるんだ。彼らがすぐに片付けるだろう。無理をして、君たちや僕たちで指令に挑むことは無い」
ジェラルドも重ねて言ってくる。グレイもアランもローゼリットもハーヴェイも、大人しく頷いた。マリアベルだけは、椅子に座って左右にゆらゆらと身体を揺らしている。迷っているらしい。が、いくら迷おうが、グレイは絶対に認めるつもりはない。
「まぁ、僕たちも食事にしようよ」とハーヴェイが言い、何となくグレイ達パーティも注文をする。苦い麦酒が普段以上に苦く感じられて、2杯目からはグレイは柑橘類を絞ったジュースに変える。アランも思う所があったのか、2杯目からはグレイとは逆に普段より強い蒸留酒を頼んでいた。
それを見たローゼリットがちょっと眉を顰めるが、何も言わなかった。マリアベルも、食事時には珍しく、何か考えながら食べているようで、あまり食が進んでいない。
気にしていないのか、気を使っているのか、キースとハーヴェイ、ジェラルドとローゼリットが穏やかな声で話している。特技のことや、迷宮に持ち込む道具、有名ギルドの噂、など冒険者ならではの諸々を。
聞いていた方が良い話題なのだろうが、どうにもこうにも上手くいかなくて、グレイは仕方なく食べる。穴熊亭の食事は美味い。というか、ミーミルの食事は全般的にどこでも美味い。財を手にした冒険者は、高級品を買ったり、銀行に貯めるよりも、食事や宿や、そういう分かりやすいものに使う傾向が強いからだろう。緑の大樹からの物品売買が盛んに行われているため、物流も多い。ミーミルは豊かな街だ。
豊かな街を擁く緑の大樹では、今日も愚者が死んでいる。