2-11
マリアベルに、迷い無し。
そのまま、するりとグレイとハーヴェイの間を取りぬけて、扉へ歩いて行きそうになるのでグレイは慌てて黒いローブを掴んだ。
「ちょ、ま、待てって」
「にゅ?」
何故止められたのか、マリアベルはいっそ不思議そうだ。いやいや、そんな不思議そうな顔されても、とグレイは思う。
「へ、変だよね、あの、扉」
ハーヴェイも汲んでくれたのか、前方の扉を指差して言う。マリアベルは、にゅーん、と唸って、改めて扉を眺めて、それからやっぱりふにゃふにゃした顔で言った。
「階段だって変でしょ。でも、ちゃんと2階に着いたんだから、扉だってだーいじょうぶだよぉ」
そうだっけ、そういうもんだっけ、とか思いながらグレイとハーヴェイは顔を見合わせる。アランも迷っているのか、眉を顰めている。何せ怪しすぎる。怪しすぎるのだが、たしかに言われてみれば、そもそもこの迷宮自体が怪しいというか、奇妙さ満点なわけで、そうするとマリアベルは正しいのか? とかグレイは思ってしまう。
「……とはいえ、何があるか分かりませんし。ハーヴェイ、弓の準備を。マリアベルも詠唱準備をお願いします。グレイとアランで開けてもらえますか?」
ローゼリットが、多少困惑を滲ませつつも、落ち着いた声で言う。何となく、男3人でほっとする。それだよ、そういうのだよ、とかグレイは頷く。
「分かった」
盾を肩に担ぐようにして持って、グレイは扉に近付いていく。ハーヴェイも短弓を取り出して矢をつがえている。マリアベルの、詠唱の声。内容は分からないが、マリアベルの詠唱の声を聴いていると、ちょっと落ち着く。ローゼリットも、万が一に備えて『癒しの手』の詠唱を始めている。マジか、とか思ってちょっと焦る。
アランと顔を見合わせてから、それぞれ左右の扉の取っ手を掴む。扉の板は、やはり木製のようだ。茶色い木肌の表面が一部削られて、不思議な文様を作り出している。取っ手は、扉の板と接いだ様子もなく、ごく自然に扉の板から生えていた。
「押す?」
「押してみるか」
取っ手を掴んでから、間抜けな話だが、アランに尋ねる。アランもちょっと気が抜けた顔をして、笑って答えた。
マリアベルとローゼリットは、扉の陰に隠れるように、多少、道の左に寄っている。ハーヴェイは右。
「「せーのっ」」
アランと声を合わせて、グレイは扉を押した。動いた。良かった。引き戸とかだったら間抜けな感じになる所だった。
人1人が通れそうな隙間が開いた。この先も道は続いているようだ。というか、グレイがちょっと覗き込むと、広間になっているようだった。昼休憩を取るような、ちょっと道が広くなっている程度ではない。広々としていて、数本、広間の中に木が生えている。本当に広い。敵は見当たらない。ただ、ただ――
「グレーイ、アラーン、どうなってるぅ?」
扉の奥を覗き込んで凍り付いていたグレイと、やはり固まっていたアランの背後から、詠唱を中断したマリアベルが間延びした声で尋ねてくる。
ぽてぽてとマリアベルが近寄ってくる足音が聞こえたからか、アランが動き出した。動くなり、振り返って叫んだ。
「――来るなっ!」
唐突な叫び声に、マリアベルが硬直する。ローゼリットが慌てて錫杖を構えたが、そうではない。
アランとグレイは、速やかに扉を閉じた。
「……ど、どうしたの?」
ハーヴェイが短弓を降ろしながら尋ねてくる。グレイはしゃがみたくなるのを堪えて、頭を押さえた。アランが固い声で言う。
「……一旦、街に戻ろう」
「にゅ、い?」
マリアベルが困ったように首を傾げる。マリアベル、でかくなったな、とかマリアベルを見上げてグレイは馬鹿な事を考えかけて、堪えきれずに自分がしゃがみこんでいたことに気付く。
何となく、2人の様子で察するものがあったのか、珍しくローゼリットがマリアベルに抱き付きながら、揺れる声で言った。
「中で……誰か……」
アランが無言のままに頷くと、マリアベルが杖を振り上げた。
「助けないと!」
マリアベルは、ぶれない。
ローゼリットは、マリアベルの肩口に顔をうずめた。甘えるみたいに、慰めるみたいに。
「――遅い」
グレイが何とかそれだけ言うと、マリアベルは眉を下げた。ちょっと、泣きそうになっている。そんな場合じゃないって、とか、グレイは思う。
「戻って、どうにかなる?」
グレイに手を差し出しながら、ハーヴェイが言った。グレイはハーヴェイの手を借りて、立ち上がりながら答える。
「ミーミルの、衛兵も、し――居た。報告、した方が良いと、思う」
死んでた。と、言いそうになって、やめる。
冒険者、と、ミーミル衛兵。両方いた。たぶんというか、どう見ても、全滅だ。2パーティ分だろう。10人くらい。冒険者の知り合いは、あまり、というか、トラヴィス達くらいしかいないから、よく分からない。入り口で、見たことがあるようなパーティだったかもしれない。
ミーミルの衛兵は、冒険者より知り合いがいるのだが、逆に顔を知らない者がほとんどだから、やっぱりよく分からなった。グラッドの兄貴は、朝、入り口にいたよな? とか祈るようにグレイは思う。
「……戻りましょう」
マリアベルから手を放して、1人でしっかり立って、ローゼリットが言った。ローゼリットが、落ち着いていてくれると助かる。というか、グレイ達パーティは、たぶんローゼリットがしっかりしてないとどうにもならない。マリアベルはああだし、グレイとアランも、考え無しなところがあるし、ハーヴェイは事なかれ主義なところがあるし。
思わずネガティブになりそうになって、グレイも頭を振ってからローゼリットに倣う。倣おうと、する。しっかり立たないと。
一度決まれば、動きは早い。ハーヴェイが先頭に立って、ローゼリットが道順を指示して歩く。走りたくなるけれど、堪える。息が上がって、マリアベルやローゼリットが詠唱出来なくなるわけにはいかない。ハーヴェイは真剣な顔で、辺りの気配を探りながら歩く。何かどこかのスイッチが入ったのか、ほぼ10割近くの確率で、蝶や青虫の出現を事前に言い当ててみせた。帰って倒れるなよ、とかグレイは思う。
やはり帰り道も、不吉なのか幸運なのか、牛はまったく見かけない。なら、何がいる? 女神に尋ねるわけにもいかないのは分かっているが、そんなことを考えながらグレイは歩く。
1階への階段が見えて、ほっとする。事実としては、1階でも死にかけたことがあるのだが、それでも1階に行けると思ったら安心した。
先頭に、ハーヴェイ。それから、アラン、マリアベルと続く。ローゼリットは階段に入る前に、ちょっと考えてから、グレイに言った。
「さっき、何人くらい……いました?」
「10人くらい。多分、2パーティだと、思う。冒険者と、ミーミル衛兵」
グレイが短く答えると、ローゼリットは錫杖を額に当てて、何か祈りの文言を唱えた。それから、ありがとうございます、と頷いて、階段を降りていく。
幸いなことに、グレイは戦争を知らない世代だった。昔は、というか、場所によっては今のウルズ王国でも、内戦というか戦争というか、とにかく軍が動くような事態はあるらしいが、辺境の話だ。田舎、とはいえ、比較的王都近くの故郷や、ここ、ミーミルでは遠い話だ。
ローゼリットの後に続いて、グレイも階段を降りていく。樹の中に存在する螺旋階段をぐるぐるぐるぐる回る。考え事がしたくて、もしくは、報告するのが嫌だからか。とにかくグレイは故意に段数を数える。1階に着かない。入り口からの光はとうに届かないはずだし、明かり取りの窓も無いのに、不思議と薄暗い階段で、思う。
死体は、別にグレイだって今日まで見たことはあった。年寄りや、子供の葬式は、けっこうある。祖父だって、家で死んだ。グレイの下にも、もう1人弟がいたらしいが、病気で死んだらしい。それは覚えていない。事故だってある。急に家畜が暴れて踏み殺されたとか。まぁ、時々。
ただ――今日の死体は、違った。
死体が、切れていた。
腕や、首が折れているらしき死体もあったが、幾つかは死体の腕や、首が切れていた。
――つまり、武器を使う、何かが、この迷宮には居る。
そこまで思い至って、顔を上げると階段の出口だった。明るい。いつの間にか、考えに夢中になっていて、段数を数えるのを忘れていたらしい。
マリアベルが、ちょっと不安そうな顔をして、グレイを見ていた。大丈夫だよ、と声に出さずに言ってやると、マリアベルはぎこちなく笑った。