2-10
方向性が決まれば、後は適度に周囲を警戒しながら、美味しく昼食を食べる。マリアベルは、願掛けだよぅ、とか笑って、この季節には珍しい、南瓜が生地に練り込まれたパンを食べていた。食うつもりか、とかアランが笑う。
「俺のも願掛け、かな?」
グレイも、そう言って自分が齧っている牛の干し肉を見た。あはは、と無邪気に声を上げてハーヴェイが笑う。
「ワイルドだねー」
先日のマリアベルの言葉を思い出して、重ねてグレイは言う。
「現地調達」
「今日は調達出来ないから!」
ハーヴェイが突っ込み、マリアベルがにゅふふー、と笑う。遠足か、とか思わなくもないが、今日、大物の牛をまったく見かけない気安さがそうさせた。ローゼリットも楽しそうにくすくす笑っていて、実に和やかに食事が済むと、まだ見ぬ階段を求めて歩き出す。
地図に沿って、進む。ローゼリットは、ほぼ毎回牛を見かける地点に印を付けていたが、印の場所へ来ても、やっぱり牛はいなかった。さすがに、マリアベルが眉を寄せる。
「……女神さまの、采配?」
「……でしょうか?」
ローゼリットと顔を見合わせて、首を傾げている。
多少先行して、周りを見回していたハーヴェイが、ちょっと小走りで戻ってきて言う。
「あ、話してるとこごめん。敵、いる。青虫2匹。どうしようか? 迂回できる道、ある?」
ハーヴェイが尋ねると、残念そうにローゼリットが首を振った。
「まだ行っていない場所へ向かおうとすると、この道を進むしか……」
「じゃ、やるか」
あっさりと、アランが長剣を抜く。グレイもそれに倣う。
「詠唱、する?」
マリアベルが尋ねるが、たぶん大丈夫だろ、とアランが首を振った。
「一応、準備だけお願いします」
ローゼリットが言い、マリアベルが頷いて詠唱に入る。普段と違う、ちょっと固くて冷たい声。マリアベルが詠唱をしてるときの声は、結構好きだな、とかグレイは思う。精霊に愛された魔法使い。不可思議で傲慢な生き物の声。
青虫がこちらに背中を向けているときに走り出したのだが、途中で気付かれた。牙を剥いて威嚇してくる。ハーヴェイが、短弓を構えて撃った。
「えいっ!」
ハーヴェイの弓は、蝶や兎だと厳しいが、青虫ならばほぼ間違いなく当たるようになってきた。意外と、地味に真面目な練習してるんだよな、とグレイは思い出す。
胴体に矢が突き刺さり、身体をくねらせているところにアランが斬りかかる。装備の分、どうしたってグレイよりアランの方が早い。『激怒の刃』。上段から長剣を振り下ろすだけの特技だが、踏込や角度を極めれば、これはこれで戦士の究極の技である。けっこう深いところまで、青虫の身体に長剣が食い込む。
「ロゼ、後は頼む!」
「はいっ!」
アランが長剣を引き抜いて、弱った青虫の止めはローゼリットが受け持つ。無傷の青虫を、グレイとアランで挟み撃ちにする。
迷宮に潜り出したころには苦労したが、糸引く青虫の唾液をかわし、あるいは盾で受けて、グレイももう一体の青虫に斬りかかる。盾の防御から、攻撃に繋げる特技があるらしいから、次はそれ覚えたいな、とかぼんやり思う。
結局、マリアベルが魔法を使うことなく青虫2匹を片付ける。詠唱しておくだけなら、魔力はほとんど使わないらしい。ほとんど、と言うのがよく分からないところで、魔法を発動させなくても、発動直前で待っていると、それだけで魔力を多少使うんだとマリアベルは言う。
「にゅーん。アランの盾、面白くなってきたねぇ」
マリアベルがアランの持っている小型の盾を見てのんびり言う。
「そうなんだよな。これ、どうしたもんか」
アランの持ってる盾は、木製で、表面に獣の皮を貼って強化したものだから、青虫の唾液を受け止める度に、白い膜がかかっていく。青虫の唾液の糸は熱に弱いのだが、まさか木製の盾の表面を燃やすわけにもいかない。一応、取れるところはナイフで削っているのだが、あまりやり過ぎると盾自体が削れそうだしで、結果、何か表面に模様のように白い膜が出来上がりつつある。
マリアベルはその不思議な模様が結構気に入っているようで、今も、にゅーん、とか笑いながら面白そうに盾の表面を眺めている。ローゼリットは、何せ原料が青虫の唾液なので、もう心底嫌そうだ。絶対に近付けてくれるなと、憚ることなく普段から言っている。
「買い替えましょう。金属製のものに」
今も、ローゼリットは物凄く真剣な顔で言っていた。
グレイの盾は、金属製なので、探索の帰りに、迷宮の入り口でマリアベルの魔力に余裕があったら表面を軽く焼いて落としてから帰っている。それにしたって、持ち手の皮にはあんまり良くなさそうなのだが。まぁいざとなれば持ち手だけ修理しようかと話していた。あと、マリアベルの火加減が最近いい感じになってきていたのでしばらくは大丈夫そうだった。
武器を収めて、歩き出す。相変わらず牛は見当たらない。普段通り、他の冒険者も見かけない。静かだ。
幾つか曲がり角を曲がり、初めて歩く場所のお決まりで、時々行き止まりに当たってしまって戻る。ローゼリットは、羊皮紙に記録を残していく。一度、南瓜に遭遇するが、広い道だったので横を走り抜けることにした。
蔦を伸ばしてくるだけかと思ったら、本体もごろごろ転がって追って来て、何で蔓が絡まないんだよとかアランは毒付いたが、それでも移動速度はあんまり早くなかったから振り切れた。走ってる途中で他の敵に遭遇しなくて良かった。
曲がり角で、ハーヴェイが少し先行して、辺りを見回して、戻ってくる――と、思ったら、固まっていた。
「……ハーヴェイ、どしたんだろ?」
マリアベルが首を傾げる。
「敵では、なさそうだけどな」
アランも怪訝そうに言う。行ってやる? とグレイが言いかけたところで、ハーヴェイがようやく戻ってくる。変な顔だ。自分の見たモノが信じられなくて、笑うしかない、みたいな笑顔。
「なんか、さぁ」
説明しかけて――諦めたらしい。首を振って、後方を指差す。
「見ればわかる。危なくは無いと思うけど、ちょっとどうしたらいいか分かんないなぁ」
ハーヴェイの説明に、マリアベルとローゼリットが顔を見合わせる。まぁ、危なくないなら、とかアランが言って、歩き出す。
道幅は、3人が並んで歩いて狭くない程度。曲がり角。右に続いている。左は、木々が壁のように生い茂っていて進め無さそうだ。で、右。
「……何だあれ」
思わずグレイは呟いた。なになにー? とかマリアベルがグレイの背中を押して、グレイとハーヴェイの間から顔を出して先を見る。にゅ? とか変な声を上げた。
「扉……でしょう、か」
男どもを押しのけることなく、斜め上を見上げてローゼリットは呆然と言った。多分、正解だろう。
迷宮というと、前か足下を見ることが多い。上を見るのは、果物が生っている木がある時くらいだ。だが、今は、全員で斜め上を見上げて呆然としている。
3人が並んで歩ける程度の幅の道が、数歩分続いた先に、扉がある。扉だ。茶色っぽいが、木の幹では決してない。不思議な文様の刻まれた板に見える。その板が、道を完全に塞いでいる。板の高さは、人2人分くらいあって、道の先がどうなっているかは見えない。
扉、とローゼリットが言ったのは、その板の真ん中には切れ目が入っていて、ご丁寧に取っ手らしきものが板から生えているようだったからだ。
「……押すのかな、引くのかな?」
マリアベルが、ちょっとずれた感想を漏らす。押すとか引くとかって言うか。扉って。なんだこの扉って。どっから出て来たんだコレ。
「……女神、本気出して来たなー」
アランも動揺してか、変な感想を言い出す。アランが変な事を言うと、ローゼリットは不思議なことにちょっと落ち着いたようで、ハーヴェイの肩を叩いて尋ねた。
「この先も、危険ではなさそうですか? 朝2階に上がってきた時、何かいる気がすると、驚いていましたけれど」
ローゼリットに問われて、そういえば、という感じでハーヴェイは頭を掻いた。
「朝は初めてだったから驚いたんだけど、何か歩いてるうちに慣れちゃったな。うん。いる、気がするけど、この先にはいないような気がする。まだ行ってない場所の、こっちじゃない方に、いるのかなー?」
『警戒』はあくまで盗賊の感覚に頼る特技なので、そういうものらしい。
とりあえず、未知の強敵はいないそうなので、多少グレイとアランも落ち着いた。人が落ち着いたところで、マリアベルがほにゃっと笑って言った。
「危なくないなら、開けよう!」