2-07
翌朝は、アランが死んでいたので迷宮探索は休むことにした。マリアベルは男部屋に来て、2段ベットの上で転がっているアランの耳元で(マリアベルが背伸びをすると、大体2段ベットの枕の高さだ)「あさだよー! 迷宮ー! 行こうよぉ」と騒いでいたが、アランが「悪い……本当に……悪い……」と二言しか話せなくなっているのを見ると、流石に諦めたようだった。
「まったく、本当に! もうっ!」
アラン抜きの4人で食堂に降りる。朝食の席で、けっこうローゼリットが憤慨していた。
「『癒しの手』で、二日酔いって治せないのか?」
グレイが興味本位で尋ねると、ローゼリットはきりっとした顔で言った。
「治せますけれど、絶対に治しません!」
「そ、そか……」
グレイとしては頷くしかない。にゅっ、にゅにゅ、と変な声が聞こえると思ったら、マリアベルが笑っていた。新しい笑い声を開発したらしい。しなくていいのに、とかグレイは思う。とにかく愉快そうに笑いながらマリアベルは言う。
「ローゼリットは、アランにだけは、時々ちょっと厳しいねぇ」
「む……?」
あんまり意識していなかったのか、ローゼリットは首を傾げた。
「まぁ、身内だからねぇ」
ハーヴェイがそんなことを言い出して、グレイとマリアベルはぎょっとする。初耳だ。大体、アランとローゼリットは、瞳の色も髪の色も違う。
「え、身内?」
「にゅ、きょうだい?」
グレイとマリアベルが思わず尋ねると、ローゼリットは、言っていなかったかしら、みたいな顔をして言った。
「いえ、従兄妹です――母親同士が姉妹で、私もアランも、それぞれの父親似なので、私たちはあまり似ていないのですけれど」
言いながら、グレイ達が驚いた理由に思い至ったのか、ローゼリットは説明を付け加えた。
「にゅー。そうなんだー」
マリアベルは頷いて、満足したのか芋を食べ始めた。納得したら、後は食事の方が大事らしい。
「あー、それで、アランだけ愛称で呼ぶんだな」
「そうですね。あまり、好きではないのですけど。子供の時から、何度言ってもアランだけはあの呼び方をやめなくて」
ちょっと不満そうに、ローゼリットは言う。短くて、呼びやすそうだし、ロゼって呼んでも良いかとか聞かなくてよかったなぁとグレイは思った。セーフ。ふと思いついて、ハーヴェイを見ると、微妙な顔をして笑っていた。こいつ、言って断られたことあるな、とか思う。
緑の大樹に入らないので、今日は久しぶりに各々買い物をしたり、装備の手入れをしたり、寝たりして勝手に過ごすことにする。マリアベルとローゼリットは仲が良いが、この年頃の少女にしては珍しく、お互い1人で過ごすのも苦にならないようで、それでは、とか、また夜にねー、とか手を振り合ってそれぞれ出掛けて行った。
ハーヴェイも、矢を買い足しに行って、後は街の外の森で弓の練習しようかなぁ、とか言って出かけて行った。グレイも出かけようとして、一応、部屋に戻る。
「アラーン、何かいるか?」
相変わらず死んでいるアランに声を掛けると、「悪い……水……」とか掠れた声が聞こえてきたので、アランが普段迷宮で使っている水筒に、裏の井戸から冷たい水を汲んできて渡してやる。
アランは基本的に酒が強いのだが、昨日の飲み方はどうかしていたらしい。アランとトラヴィスの周りには、麦酒のグラスだけではなく蒸留酒の瓶がごろごろしていた。そりゃそうか、とかグレイは思う。
「助かる……」
あんまり助けられていないような気がするが、どういたしまして、と言って、他には何もいらないそうなのでグレイも部屋を出る。
牛の角という臨時収入があったので、服や小物を買い足すことにする。大した重さでなければ、迷宮内で作業用に使えるような小振りのナイフを買っても良いかもな、とか考えて、金属の装備を取り扱う店の多い地域に向かう。
昼間、だからか、武装している冒険者は少ない。グレイも、今日はアランが部屋にいるし、1人歩きだから長剣は部屋に置いてきた。マリアベルと2人で歩くときには、何となく長剣を持とうかな、とかグレイはいつも思うのだが、マリアベルは人の気を知ってか、知らずか、ふわふわしている。まぁ、最近では、ミーミルの街は存外治安が良いことが分かったので、どうでも良いのだが。
迷宮内で、南瓜の種をほじったり、青虫の糸を切ったりするのに使えそうな小振りのナイフが、お手頃価格で見つかったので購入する。妙に売り子の愛想が良かったので、もしかしたらあまりお手頃価格ではないのかもしれない。
聖騎士や、重装備の戦士が使うような甲冑もいくつか眺める。当然だが、金属鎧となると、高い。中古でも、とても手が届かない。まぁ、先は長そうだ。
アランがこのまま、マリアベルとの連携を中心にした攻撃役として走り回るのなら、グレイはこっちだろうな、と思う。しかし、俺に、牛、止められるかな、とも思うが。
その後も露店を冷やかしたり、街中をうろつく。ミーミルは、冒険者に必要なものが集まったコンパクトな街だ。どこをうろついても、それなりに必要だったりする物が置いてあるから、割と楽しい。
昼時になったので、どこかの店に入ろうと考える。何にしようかな――と思うと、不意に魚の味が思い出された。
いつぞやに、マリアベルと、ハーヴェイと、それから、ミーミル衛兵のグラッドと食べた、揚げた魚のサンドイッチ。“中毒性がある”とグラッドは笑っていたが、本当にその通りで、時々無性に食べたくなる。というか、今なった。
ミーミル衛兵御用達っぽい食堂だが、別に冒険者お断りと書いてあるわけではない。グレイが1人で、店に入ると、大量に仕込んであるのか、すぐに揚げた魚と野菜をパンに挟んで渡される。魚は揚げたてで、パンもまだ温かくてパリパリしていて、少し塩の振られた野菜が良い感じのアクセントになっている。余計なものが入っていない味だ。美味い。
軽く夢中になっていると、お、とか聞いたことのある声がして顔を上げる。
「あ、ども」
見た事のある顔だ。ミーミル衛兵のグラッド。けっこう遭遇率が高くて、グラッドはどれだけこの店に来てるんだろう、とかマリアベルと真剣に話し合ったことが、実はある。
「珍しいな、1人か」
言って、グラッドはグレイの対面の席に座る。いつの間にか、頼れる兄貴という感じだ。こういう人の巡り合せも、マリアベルは運が良い、ような気がする。
「昨日アランが飲み過ぎて、いま死んでるんで。迷宮探索はやめて、全員ばらばらにうろうろしてるんです」
「あぁ、お前ら、昨日大物狩ったんだってな。浮かれて飲み過ぎたかー」
グラッドにさらりと言われる。ミーミル衛兵ネットワークが凄いことは、何となく理解しつつあったので今更グレイは驚かない。
「俺たちっていうか、他のパーティが戦ってるとこに、割り込んだんですけど」
「あの珍しい、双子のいるパーティだろ? そうだとしても、お前らでよく狩ったよ」
「双子も有名すか。つーか、あの戦士がすげー頑丈で、強かったんで」
グレイが言うと、グラッドはトラヴィスにも心当たりがあったのか、ちょっと微妙な顔をした。
「トラヴィスも、有名ですか」
グレイが重ねて言うと、グラッドは、まぁな、と曖昧に頷く。ミーミルは冒険者の為の、コンパクトな街だ。隠そうとしなければ、あるいは隠そうとしても、冒険者が何をしているかは大体知れ渡る。
「……ま、よくある話だよ。タイミング良く、強い冒険者が集まって、威勢よく登って、半壊、ってやつだ。お前らはそうなるなよ」
半壊――やっぱりか、という気がして、グレイは思わず神妙な顔をする。半壊、半分。残ったのは戦士と狩人。大物と不意に遭遇して、例えば――グレイと誰か1人だけ逃げ延びてしまったら。考えただけでぞっとする。想像するだけでそっとするのに、それはただのよくある話なのだ。
今はマリアベルがいないから、あのふわふわした笑顔で「だいじょうぶだよぉ」とは誰も言ってくれない。言ってくれないが、グレイは丁寧にそれを思い出す。大丈夫なような、気がしてくる。
「気を付けます」
グレイが頷くと、「飯時に、面白くない話だったな」とグラッドも首を振る。
「それにしても、入り口とか以外で、珍しく他のパーティに会った気がします。それも戦闘中なんて、今回初めてじゃないかな」
話を変えようと思って、あんまり変わらなかったのだが、とにかくグレイが言うと、グラッドはやっぱり何でもない事のように頷いて言った。
「女神様たちの采配が、狂ったんだろうなぁ」
「女神様たちの采配?」
鸚鵡返しに、グレイは尋ねる。グラッドはくしゃっと笑って、「お前ら、本当に新米なんだよなー」とか言ってから続ける。
「3柱の女神様たちは、1つのパーティは6人までしか認めない、っていう俗説があるんだよ。だから、迷宮内で冒険者パーティが出合いそうになると、迷宮内の生き物をけし掛けたり、逆にスムーズに進ませたりして、冒険者同士が出会わないように、女神様たちが取り計らってる、って」
「……何の為に?」
グレイが尋ねると、グラッドはやっぱりさらっと言った。
「そりゃ、お前らが踏破したら女神様に聞いてくれ――それこそ、俺たちミーミル衛兵なんて隊列組んで2、30人で迷宮内を巡回することもあるけど、その時も絶対に6人以下にチームを分けて進むんだ。大人数でまとめて入ると、必ず酷い大物に遭遇するって言われててな。普段は1階とか、2階には住んでない筈の動物が、いきなり現れたりするそうだぞ」
「はぁー……」
何故、冒険者はどのパーティも5、6人で組んでいるのかグレイには不思議だったが、そんな話があるとは。納得しかけて、ふと思い出す。
「あれ、だけど、最初の時、グラッドさんと、サリオンさんと、俺たち、で7人で歩きましたよね?」
「それも、獣避けの鈴持って、ぎりっぎり大丈夫だろうって地点を、今日までの経験則で測ってるんだよ……測ってきた、らしいんだよ。今日までの衛兵が」
グラッドが、最後は正直に言う。こういう所が、嫌味のない、頼れる兄貴だ。グラッドの苦笑を見ていると、さらに1つ、思い付いて、思わずグレイは言った。
「ってことは……俺たち、牛狩って、帰り道10人で歩いてたんですよ。ヤバかったかな」
「そりゃ、危ないことしたな! それこそ、トラヴィスなんて長いんだから、この話を知らない筈もないのに――まぁ、信じてないだけかも、しれないけどなぁ」
グラッドは言って、頭を掻く。衛兵は、大人数で入ることが多いから特に気をつけるけど、冒険者はなぁ、とか言いながらも、腑に落ちない顔だ。グレイはふと、牛を倒すとすぐに「それじゃ、あたしたちもう行くから」と手を振ったマリアベルを思い出す。あいつは、マリアベルは、本当に持ってる、のかもしれない。とか思った。