2-02
迷宮。3柱の運命の女神が、あらゆる生き物に利益と損失の両方を与えるために造り出したと言われている。価値ある鉱石、迷宮の外では存在しない植物、そして多くの強靭な生き物を迷宮は抱えている。迷宮に挑み利益を手にしたり、迷宮で死んだりする愚者――彼らは冒険者、と呼ばれる。
新米中の新米冒険者だった5人は、ようやく最近、自分たちより後から迷宮にやってきた冒険者を見かけるようになった。とはいえ、まだまだ最下層あたりをうろついている新米であることには変わりないが。
「……さて、そろそろ行けるか?」
伸びをして、アランが言うと、ハーヴェイが立ち上がった。偵察は盗賊のハーヴェイの役割になっている。再度小道の出口を覗き込み、今度は満足そうに頷いて言った。
「もう見えないし、大丈夫だと思う」
「では、ひとまず牛と遭遇した場所を避けて、進みましょうか」
ローゼリットが、服に付いた土を払いながら言う。マリアベルはあんまり気にしない性質なのか、ぽんぽんとその場で弾んで終わりにしていた。黒いローブに草の切れ端とか、土が付いているのが気になって仕方がないので、グレイはマリアベルのローブを引っ張ってはたく。マリアベルは不思議そうに振り返って、ありがとねぇ、とかほにゃりと笑って言った。
1階も2階も、おおまかな風景としては変わりない。緑の大樹の内部だというのに、木が壁のように生え、道や小部屋を形作っている。女神たちの造りたもうた迷宮と呼ぶに相応しい、奇怪で、美しい迷宮だ。
生息する動植物には微妙な変化があった。1階でかなり見かけたモグラはいなくなり、代わりのように巨大な兎を見かけるようになった。緑の大樹の生き物は、平地で見かける生き物より大抵大きい。兎も例に漏れず、ちょっとした大型犬程度の大きさがあった。
けっこう良い値段で売れるため、1階でよく摘んでいた青い花も見かけなくなった。1階では見かけなかった黄色い果物を見つけたが、マリアベルが持ち帰って宿で齧ったところ、ひどく苦かったらしい。半泣きになっていた。種から良質な油が採れるらしく、商店での引き取り額はまぁまぁ良かったが。
また、1階は基本的にどの道も2、3人が並んで歩けるような幅で一定だったが、2階は5、6人が並んで歩けるような広い道や、逆に1人ずつしか進めないような狭い道と、様々であった。
まぁ、一番の違いは、巨大な牛がいることか。
アラン、グレイ、ハーヴェイが前列、マリアベルとローゼリットがその後ろを歩く。いつもの隊列で歩きながら、地道に、少しずつ彼らの地図を広げていく。
「しっかしなぁ。あの牛、どうしたもんかな。あれ正面から止めるのは、無理だぞ」
まだまだ2階には歩くべき場所があるが、しかし何匹生息しているか分からない牛を避け続けるのも難しいだろう。新米冒険者にしてはかなりいい盾を持ったグレイが言う。
「そうだよねぇ。っていうか、あんなにおっきい牛に轢かれたら、あたし、死んじゃうような気がするんだよねぇ」
魔法使いの三角帽子に、黒いローブ――つまり防具らしい防具を身に着けていないマリアベルが、呑気に言っている場合ではなさそうなことを呑気に言う。
「あー、僕も死んじゃう気がするなぁ」
マリアベルと同様に、やはり軽装のハーヴェイも不吉なことを呑気に言い出す。あのなぁ、とか呆れたようにアランが言うが、その先は続かなかった。
ローゼリットが困ったように口を開く。
「そう考えると、あの小道で牛が動けない状態で、どうにかした方が良かったかもしれませんね」
牛と遭遇したのは、実のところかなり唐突だったので、とるものもとりあえず逃げ出してしまった。戦うという頭が無かったわけだが、小道ですぐに切り替えたマリアベルが正しかったかもしれない。
「どうにかって言っても、マリアベルの魔法と、ハーヴェイの弓でどうにかなる相手か?」
アランがちょっと振り返って尋ねると、マリアベルはにゅーん、と唸ってから言った。
「牛も、逃げるよねぇ。でも、追っかけて広い場所に出て、逆に轢かれたら、やっぱり死んじゃう気がするしなぁ」
何というか、打つ手無し、という感じである。
やっぱり気合いで逃げ続けるか、という話にまとまりかけたところで、横手から青い蝶が飛びだして来た。3匹。少なくは無いが、それなりに慣れた。
ローゼリットの指示で、グレイが2匹、アランが1匹の蝶を相手取る。ハーヴェイはまだあんまり弓は上手くないので、グレイ達が接近戦に入っている時には今まで通り、蝶の背後に回る。マリアベルは、昼前なので魔力を温存中だ。いざと言う時に備えて詠唱だけ始めている。
アランが『激怒の刃』を使って、上段から蝶の胴体に長剣を振り下ろす。ほとんど同じようなタイミングで、ハーヴェイが呑気に聞こえる掛け声を上げながら、グレイが引き付けていた蝶の1匹に、背後から斬りかかった。
「ごめんねー」
短剣が蝶の胴体に突き刺さる。盗賊の短剣特技『背面刺殺』だ。3匹中、2匹落ちると、マリアベルは詠唱を中断した。ハーヴェイが蝶の羽を踏みつけて止めを刺しているのを見ると、グレイは残りの1匹に専念する。胴体、胴体――と思いながら、斬りかかる。特技を発動することなく、あっさりと入った。
青い蝶は、マリアベルの魔法で倒すと、結構高値で売れる素材が手に入るが、ただ斬り倒すだけだとあまり美味しくない敵だ。
「ネズミみたいに、逃げてくれればいいんだけどなー」
グレイが一応鱗粉を払いながら、こぼすように言う。ローゼリットに回復を頼む程でもないが、粘膜がぴりぴりというか、イガイガする。
ローゼリットは蝶に向かい、額に錫杖を当てて何か囁いてから頷いた。
「確かに、迷宮の生物は何というか……人間が、嫌いですよね」
「棲み処に入ってくるわけだろ、仕方なくないか」
アランが言うと、にゅーん、とマリアベルが唸る。
「でも、こんなに広いんだから、ちょっと歩くくらい大目に見て欲しいよねぇ」
2階は、道の幅もまちまちで、曲がり角も多い。ローゼリットも、地図を作成するのが大変そうだ。なにせ測量をするわけでもないから、目分量で道幅と、道の長さを地図に落としていく。何故に道が被ったりせずに書けるのか、グレイにはいっそ不思議なくらいだった。
蝶、巨大青虫、は逃げるのが大変な時には倒す。すれ違えるようなら構わない。
兎はかなり好戦的で、こちらが逃げてもかなりしつこく追いかけて来るから戦った方が早い。ただ、マリアベルが得意な雷精霊の術には耐性があるようで、マリアベルは兎を見るとちょっと困った顔をしてから『火炎球』の詠唱を行う。
牛、はその日の探索でも2、3回見かけた。遠くに見えるとすぐに進路を変える。曲がり道が多いのは、その意味では冒険者に有利だった。先程の遭遇でも、直線の道があと少し長く続いていたら追いつかれていたかもしれない。
「あっ、赤い実」
マリアベルが木を見上げてほにゃりと笑う。つやつやした赤い果物で、美味しいらしい。それから、目立つので迷宮の中では目印になる。
「本当ですね」
ローゼリットも微笑みながら木を見上げて、地図に『赤い実』と書きこんだ。
「採ろうか?」
ハーヴェイが言うが、マリアベルは、ううん、と残念そうに首を振った。
「さっき牛見かけたばっかりだし、危ないよ」
そっかー、とかハーヴェイは言って、にゅー、とマリアベルは答えた。グレイには何かよく分からないが、ハーヴェイには伝わっているらしかった。