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猫の散歩道亭に着いて、部屋に入るなり泥のように眠った。起きたら夕方だった。完全に昼夜ひっくり返ったな、とグレイは思う。
もそもそ部屋の隅で誰かが動いてると思ったら、ハーヴェイだった。持帰るなり放置していた短剣を磨いている。グレイもその通りだと思って、長剣の手入れを始める。
しばらくすると、アランも起きてきたので、だらだらと話を始める。
「やばかったな」
「割と死ぬかと思った」
「ロゼ、飛んだだろ」
「ローゼリット、軽いから」
「肉食わないからかも」
「どーだろーなー」
一通り武具の手入れが終わると、教会の鐘が鳴る。18時だ。風呂でも行くか、という話になって、連れ立って歩く。ハーヴェイが顔をしかめて言った。
「なんかじゃりじゃりしてる」
「ハーヴェイ、派手にこけたからなー」
あいつ――また、大公宮へ報告に行ったら、力の抜けるような正式名称を教えてもらえるかもしれない。あの植物が根で掘り返した辺りで転んでいたハーヴェイの姿を思い出してグレイは言う。
「つーか、今日、これからどうするかとか話したか?」
「話してない気がする」
アランに言われて、グレイは首を振った。とにかく全員疲れ切っていて、特に魔力を使いきったらしいマリアベルがふにゃっふにゃだった。怪我を治したローゼリットが時々支えてやらないと、歩けないようなふにゃふにゃ加減だった。魔力、使いきると、こうなるんだねぇー、とか他人事のように言ってマリアベルは笑っていたが。
後で向こうの部屋行くか、とか話していると、風呂の入り口でばったりマリアベル達に出くわした。じゃっかん、気まずかったが、復活したらしいマリアベルがチェシャ猫みたいに笑った。
「もう、楽しいことは教えてあげないよぅ」
にゅふふ、と笑ってローゼリットの手を引いて女湯に入っていく。ローゼリットは、アラン達と同じことを心配していたのか、「あとで、今後のことを」と言いかけて、マリアベルに引っ張られて行った。
風呂は幸いにして、というか、あんまり他の客と遭遇したことはないが、貸切だった。あまり長湯をするような冒険者もいないのだろう。
頭からお湯を被って土を落としていると、女湯の方から声が聞こえてきた。
『貸切だ―。よかったねぇ』
『そうですね』
分かっていても、多少、男3人の動きが止まる。動き出すと、グレイとアランは思わずハーヴェイを見た。ハーヴェイはちょっと嫌そうな顔をして首を振る。もう大丈夫らしい。
『おーい、グレイ、いるよねー?』
マリアベルが呑気に言う。こっちに他の客がいたら迷惑だろ、とか思うが、答えてやる。
「いるよー。こっちも貸切だー」
『にゅっふーん。素直でよろしい!』
マリアベルは満足気だ。『あのねぇ』と、続ける。
『お風呂出たら、クエストの報告がてら、ご飯食べに穴熊亭行こうよぅ』
言われて、グレイは頷いた。分からないか、と思って、一応アランとハーヴェイの顔も見る。
「それしかないよな」
「だよね」
アランとハーヴェイに言われて、グレイはマリアベルに聞こえるように言った。
「分かった―! お前らの方が遅いだろうから、準備出来たら俺たちの部屋に来てくれー」
『了解だよー!』
そこまで言うと、会話は終わりだと言わんばかりに、向こうでもお湯を流す音が聞こえ始めた。マリアベルも、ローゼリットも、髪が長いから洗うのが大変そうだ。
『にゅーん。髪、切ろうかなぁ』
『そうですね。これからも考えると、少し』
同じことを思ったのか、2人が話している。ハーヴェイは慌てたように立ち上がって、縋るように女湯と男湯の間の壁を叩いて叫んだ。
「それだけはやめて!! お願いだから!!」
アランは頭を抱えた。グレイは小さく、「ハーヴェイ、それはやめとけ……」とだけ言った。にゃはは、とかマリアベルが爆笑する声が聞こえた、気がした。
部屋に引き上げるなり、お前もう喋んない方が好かれるだろ、とか、その顔を生かせよ、とか、そう言われたって黙ってられないよー! とか3人でわぁわぁ話していると、意外と早く部屋の扉が叩かれた。
「お待たせ―!」
マリアベルがにこにこ笑って言う。
「そんなに待ってないよ」
グレイが答えると、マリアベルは2回まばたきをして「……デジャヴ?」と首を傾げていた。魔法使いの言うことは、時々よく分からない。
2人とも、いつもの魔法使いのローブと僧服ではなく、ミーミルへ来てから一緒に買ったのだろう。お揃いで色違いの、袖の無いワンピースを着ていた。マリアベルは濃い赤で、ローゼリットは紺。ミーミルの服飾は、結構鮮やかというか、華やかなのだが、割と地味な色を選んだようだ。だが下に来ている白いブラウスが映えて、もともとの器量の良さもあり、可愛い。とかハーヴェイのような事を考えてしまって、グレイは慌てて首を振る。
「どしたの?」
マリアベルは不思議そうにグレイの顔を覗き込んできたが、アランとハーヴェイも出てきて、行くぞー、とか言われると、すぐに踵を返した。
「行くいくー!」
ふわふわとした金髪を翻して、走っていく。いつもの通り、魔法使いの杖を持っている。杖の先端の赤い鉱石を見ると、不思議と気持ちが落ち着いて、それにしたって、マリアベルだしな、とグレイは思う。
案の定、僧服ではないローゼリットを見て、ハーヴェイは嬉しそうだ。ローゼリットはアランに肉食えとか言われて嫌そうな顔をしているから、多分気付いていない。マリアベルはふわふわと笑って、ローゼリットはねー、いいんだよぅ、お菓子だけ食べてて、とか無茶な事を言っている。
穴熊亭に着くと、また、店内がさわっ、とする。緑の大樹の内部では、他の冒険者にあまり会わないから忘れがちだが、そうだよなー、気を付けた方がいいよなー、とかグレイは思う。ただでさえ、数が少ない魔法使いと、需要の高い僧侶だ。どう気を付けたらいいかは、よく分からないが。
マリアベルは席に着くなり、給仕女を捕まえて、本当に食べ切れるのかと疑いたくなる位の量を注文している。それから、珍しく甘い果実酒のミルク割を頼んだ。アランとグレイは麦酒。ハーヴェイは体調でも悪いのか、檸檬の蜂蜜漬けを炭酸水で割ったもの。ローゼリットは葡萄酒に、果物と香辛料を加えた飲み物を頼んだ。
「それじゃ」
「かんぱーい!」
ハーヴェイとマリアベルが楽しく言い、5人でグラスを合わせる。
白身魚を海水と大蒜で煮たスープ、貝の大量に入ったパスタ、挽肉とチーズの肉団子をトマトソースで煮たもの、野菜のフライ、ふわふわのオムレツ、蛸と緑の野菜のマリネ、叩いた子羊の肉のステーキ、サラミが大量に乗ったピザ、次から次へと料理が運ばれ、ほぼ4人で争うように食べる。食卓は戦場だ。
ほんの少ししか食べない1人に、マリアベルはちょいちょい料理を取り分けてやって、おいしいよー、と笑っている。こんなに少食で、食事の時間が楽しいのだろうかとグレイは思うが、本人はよく食べる4人を見て、舐めるように葡萄酒のカクテルを飲んで、非常に楽しそうだった。最後に残ったパンにアランが手を伸ばして、マリアベルがチョップを入れて奪った時には、ローゼリットにしては珍しく声を上げて笑っていた。
「おのれ、魔法使いのくせに」
「にゅふふ、恐れるがよい」
多少アルコールの回ったアランとマリアベルが変なことを言い合う。最後のパンに、皿に残っていたトマトソースをつけてマリアベルが食べ終わると、さて、帰って寝るか、みたいな空気になりかけた。
唯一、素面のハーヴェイが慌てて止める。
「ちょ、クエスト! 報告!」