03
宿は4階建てで、マリアベルとグレイの部屋は3階だった。猫の散歩道亭、という名前の通り、宿の内装には所々に猫があしらわれている。陶器の置物であったり、階段の手すりの装飾であったり。窓が開けられていると、海からの湿気と独特の匂いを持った風が通る。猫の1匹や2匹も通り抜けて行きそうだ。
マリアベルの先導で改めてミーミルの街を歩く。西部の歴史は浅いが、活気のある街だ。目抜き通りに出れば、軽食を提供する屋台が並んでいた。おそらく冒険者向けと思われる、背嚢などの布類を売る店や、干し肉や干し果物を売る屋台も数多く並んでいる。既に閉まっている屋台も見受けられるが、朝市で使用されるのだろうか。
建物は、緑の大樹から持ち出された資材で造られているのか、どの建物も木造か、白っぽい滑らかな石で造られている。3、4階建ての建物が多い。街の最外殻には、建設中の建物が複数見受けられた。
日も傾き始め、緑の大樹の迷宮から戻ってきたらしい冒険者も増えてきた。戦士、狩人、盗賊、僧侶、呪術師、吟遊詩人、聖騎士、暗黒騎士、それから、魔法使い。
マリアベルと2人して目で追ってしまうような、見事な甲冑に大剣を下げている聖騎士に戦士、じゃらじゃらと多くの装飾品を下げている割に、着ている服の布の面積の少ない女盗賊、街中でも半分透けているように気配の無い狩人、質実剛健と書いてあるような厳つい僧侶のパーティがいるかと思えば、本当にその格好で緑の大樹に入ったのかと心配になるような簡素な装備の狩人の集団もいる。魔法使いもわずかに見かけたが、緑の大樹の迷宮帰りの為か全員杖を持っていた。
かつて冒険者だったのか、今も現役なのかは分からないが、広場の端で年配の吟遊詩人がミーミルの街に伝わる唄を歌っている。聞いたこともないくせに、るりら、とよく分からない調子でマリアベルも合わせて小さく歌って笑う。
広場のほぼ中心に、1つだけ外壁を緑に塗られた石造りの建物がある。ぱっと見たところ、辺りで一番古い建物だろう。マリアベルがその建物を指差した。
「あれ。冒険者登録所……のはず」
「だろうなー」
自信なさそうに、マリアベルは小さく付け足したが、グレイは納得したように頷いた。
冒険者登録所から、この西部は広がったはずなのだ。古いのも、無駄に目立つのも、道理ではある。
夕日に照らされて不思議な色に見えるが、昼間に訪れればかなり鮮やかな緑だろう。緑の大樹の色だ。センスが良いかはさておき、分かりやすい。マリアベルは変な顔をしていたが、建物の入り口には看板が用意されており、確かに『冒険者登録所ハ此方』と書かれていた。
「にゅふーん。親切ですねぇ」
マリアベルは呟いて、グレイと共に石造りの建物に入ろうとする――と、ちょうど先客が出てくる所だった。
年の頃なら、マリアベル達と同じ位だろう。街中ではあるが、グレイ達と同じように、簡単に武器の携帯をしている。おそらく、戦士に、盗賊だか狩人に、僧侶の3人組だ。はじめからなかなかバランスが良いな、とかグレイは思う。
出会い頭だったため、お互いお見合いのようになってしまい立ちすくむ。
「……あー、悪い」
しばらく見つめあってから、初めに口を開いたのは、(おそらく)戦士の少年だった。グレイのように長剣を下げて、そのまま迷宮に挑めそうなごつい長靴を履いている。ちょっと伸びた黒髪から覗く目つきは鋭い――というか、単に目つきが悪いというか。目ぇ悪いの? と聞きたくなるような感じだ。まさか戦士で近眼ということもあるまいが。
「あ、こっちこそ」
マリアベルの手を引いて、彼らの為に道を開けながらグレイは答えた。
「ごめんねー」
軽い調子でマリアベルに手を振りながら通り過ぎて言ったのは、盗賊だか狩人だかの少年だ。長靴は皮の丈夫だが軽そうなもので、短剣だけ腰に下げている。とにかく、いかにも軽そうで、中性的なきれいな顔立ちで、もしかしたら吟遊詩人かもしれない。
彼らの後に続いて、ちょっとグレイ達に目礼をしてから黙って通り過ぎて行った僧侶の少女をグレイが呆けたように見送っていると、マリアベルがグレイの脛を蹴っ飛ばして喚いた。
「んもぅ! わかりゃすぎだから!!」
「分かりやす過ぎ、だろ」
「いいのー! 何だっていいのー!!」
律儀にグレイが正してやると、頬を膨らませてマリアベルは言ったが、おそらく彼女も見とれていただろう。
そんじょそこらにはいないような、少女だった。
真っ直ぐ腰まで伸ばした髪に、ちいさな顔。大きな青い瞳は、僧侶らしい聡明さと敬虔さを湛えていた。しゃらり、と歩くたびに金属音を立てる錫杖。華奢な身体にまとっているのは、一般的な僧侶の白と青の地味な服であったはずなのに、夕日に照らされたその姿は1枚の絵画のように美しかった。
「あの子も、冒険者になるのかなぁ?」
冒険者登録所の前でおかしな話ではあるが、不思議そうにマリアベルは言った。
一攫千金を、見果てぬ夢を、血沸き肉躍る冒険を求めて、怪物の蔓延る迷宮に挑むようにはとても見えない少女だったからだ。
まぁ……と、言い訳をするようにグレイは思う。
ふわふわお下げに、魔法使いの杖を握りしめたマリアベルを見て、向こうもそう思ったことだろう。
「ここに来てるんだから、そうだろ。さ、俺たちも行こう」
気を取り直すように、石造りの建物へ入る。ただの玄関と廊下だが、いかにも冒険者のための施設らしく、廊下の左右には年季の入った甲冑や、ラタトクス大公から贈られたらしき勲章が幾つか飾られている。有名な冒険者ギルドの旗も、等間隔に立てられた旗竿に取り付けられていた。スピカ、西方連隊、コーディリア、夢追人、カサブランカ――今なお存在するギルドもあれば、ギルドマスターの引退に伴い解散したギルドもある。
冒険者ギルドは、法的にも金銭的にも明確な定義のある職業ギルドと異なり、単純に数人から数十人の冒険者が協力する際の一時的な集まりという括りである。冒険者ギルドには、属しても、属さなくても問題ないし、設立するのも簡単だ。単純に、所属する冒険者がギルド名を名乗ればいい。自称していた通り名が、旗や、揃いの装飾品、そして実力と功績によって自他共に認める通り名になるようなものか。
ある程度ギルド名が認められるようになると、後付けで国に登録され、登録されたメンバー以外はそのギルド名を名乗ることは許されなくなる。
細い廊下の先の扉を開けると、一気に賑やかな声があふれ出した。休憩所になっているのか、迷宮帰りでまだ殺気立っているような冒険者が思い思いに座っている。さっそく持帰った品物を売買する冒険者と商人もいれば、夜の酒場への客引きのような商売女もいる。帰りを待っていた子供が、冒険者らしき父親にじゃれついて歓声を上げた。
「……おや、君たちも新米ですか」
きょろきょろと2人して辺りを見回していると、にこやかな僧侶の男に声をかけられた。僧服の上にマントを羽織っていて、留め金が特徴的な形をしている。植物と、よく分からない半円形の小物が組み合さった意匠のものだ。隣のやたらとがたいの良い戦士の男も、マントに同じ留め金を付けているから、彼らはどこかのギルドのメンバーなのだろう。
「あ、はい。冒険者登録に来ました」
「はじめましてー」
グレイが答えると、マリアベルもふわふわ笑いながら軽く頭を下げた。
にこやか僧侶は、奥のあまり目立たない扉を指差して言った。
「はじめまして。冒険者登録は、この奥で出来ますよ。当代の責任者は人の馴れ合いが嫌いなお方でね。分かりにくい場所に陣取っているんです」
それって、この仕事に向いてないんじゃ――グレイは言いかけて、やめた。
「それって、この仕事に向いてなくないですか?」
やめなかったのはマリアベルだ。この無敵娘め、とグレイは思う。にこやか僧侶と、彼の隣でグレイ達を値踏みするような目つきで立っていた戦士の男も思わず噴き出した。
「なるほど、冒険者らしく勇敢なようだ。わたしはギルド“シェヘラザード”の僧侶レリック。また機会があれば会いましょう」
レリックは涼しげな声で言って去って行った。戦士の男もレリックと歩きながら、よほど何かのツボだったのか、まだ肩を震わせて笑っている。おっかなそうに見えたけど、そうでもないかもな、とグレイは呑気に思う。
ともあれ親切なレリックに教えられた扉を叩く。反応は無い。グレイが悩む間もなく、マリアベルが扉を開けながら「こんにちはー」と言った。
それなりに広い部屋のはずだが、書棚と、書棚に入りきらない書類がいくつもの山になって積まれているため妙な圧迫感がある。一番の圧迫感は、部屋の中に一揃いだけ置かれた席に座っている人物が理由だろう。
街中、しかも建物の中だというのに、完全に武装をしている。黒――いや、濃紺に塗られた金属製の甲冑に、長剣。兜は顎まで覆う形のもので、つまり人相は全く分からない。どころか、男か女かすら分からない。そもそも人間だよな、とグレイは不安になった。
「お邪魔します。俺たち、冒険者登録に」
「分かっている。新米共」
重厚な声で言い、彼――だろう。多分。彼は羊皮紙を差し出した。
書類にある記入項目としては、宿屋の台帳と変わらない。職業の記入欄が1つ多い程度か。
「この書類にお前たちが記入し、私に提出した時からお前たちはミーミルの市民となり、ミーミルの冒険者となる。ラタトクス細則は知っているな?」
「緑の大樹を登る権利と、緑の大樹内部の報告義務ですよね?」
事もなげに、ふにゃふにゃと笑いながらマリアベルは答え、責任者の男は少し驚いたようだった。
「珍しいことは続くものだ――その通り。流布しているラタトクス細則は3則、8則、21則であろうがな。ミーミルの官吏側としては、その1則と2則こそが肝要だ」
「まぁ、大事なとこから、並べていきますよね」
男が話しているにも関わらず、マリアベルはさっさと羊皮紙に2行書き込んだ。
マリアベル・ハリソン
魔法使い
と。
「はいっ、お願いします!」
話の腰をへし折られたから怒っているのだろうか――男はマリアベルの書類を受け取らず、続けた。
「……記載する名前は偽名でも構わない。この書類の名前こそが、このミーミルでのお前たちの名前となる。緑の大樹に挑戦する冒険者である限り、我らミーミルは誰であれ等しく受け入れる。犯罪者であろうと、他国の王族であろうと、人間でなかろうと」
杖を器用に足と肩で支えながら、しつこくマリアベルは両手で書類を差し出し続ける。微妙にリズムをとって、左右に揺らしていたりする。男は、あきれたように溜息をついてから、マリアベルの書類を受け取った。
「マリアベル・ハリソン」「はいっ!」「魔法使い」「はいっ!」
普通は1回で済ませるところを、2回元気に返事をして、マリアベル。だからお前張り切りすぎだって、とグレイは思いながら書類に名前と職業を記入して男に手渡す。
グレイ・クロムウェル
戦士
と。
「お願いします――ところで、職業が変わった場合はどうなるんですか? これ」
魔法使いや僧侶にはほとんどありえないが、戦士などの前衛職は、パーティの都合や、本人の成長によって職業を変更することも有り得る。戦士から、聖騎士、あるいは、暗黒騎士への転職などが代表例だ。
「その際には、職業変更申請をここで行えば問題ない。……これでお前たちはミーミルの冒険者だ。持って行け」
男は机の引き出しから、2枚の銅板を取り出した。硬貨ほどの大きさで、緑の大樹――だろう。樹木の意匠が刻まれている。裏面を見ると、留め金があり、その下に数字が刻まれていた。
「冒険者の身分証明証だ。緑の大樹の迷宮入口にいる衛兵に提示すると、迷宮に入ることが出来る。お前たちがまめな冒険者なら、数回提示すれば後は顔で通れるようになるだろう。他にも、街の指定された酒場では、ミーミルの住民から冒険者向けに依頼が発注されることがある。受領する際にはやはりこの身分証明証が必要だが……」
「そのうち顔パス」
グレイが言うと、男は生徒を褒める教師のような口調で続けた。
「そういうことだ。実際、ほとんどの冒険者が携帯していないだろうが、紛失には気をつけろ。証明証の裏を見ての通り、数字が刻まれていて、所有者の名前と合わせて管理されている。明らかに他人が不正利用を行った場合は、利用者も、本来の所有者も罰則の対象となる」
「ラタトクス細則、16則」
マリアベルが言うと、男はかなり出来のいい生徒を褒めるような口調で言った。
「さすがだな、魔法使い。紛失した場合は、再発行の手続きを行えば、元の証明証は無効となる。ただし再発行には手数料がかかるから、なかなか手続きに来る者がいないのが頭の痛いところだな」
「だけど、名前書くだけでもらえる証明証を悪用する奴なんているんですか?」
何となく腑に落ちず、グレイが尋ねると、男は少し笑ったようだった。
「善良だな、グレイ。思いつかないのならそれでもいいだろう。お前たちが再びここに訪れるとしたら、職業変更の届けか、証明証の再発行か……」
男は表情を引き締めた――か、どうかは兜で分からないが、厳かな声音で言った。
「仲間の死亡報告だな。しばらくは顔を見なくて済むことを祈ろう」