29
昼夜が逆転してしまいそうだが、翌日も夕方――というか、夜から迷宮に向かう。マリアベルとローゼリットが、どうしても、18時からのお風呂に入ってから行きたいんだよー! と訴えたからだ。夜の探索の後には、宿に戻ってお湯を分けてもらって、部屋で身体を拭いてはいるが、やはり少女2人には不満らしい。
大慌てで2人はお湯を使い、準備をして、19時頃には何とか出発する。
迷宮の入り口に来ると、やはり、多少緊張した。何せまぁ、死にかけた、所へまた行くのだ。
「――行こう!」
マリアベルが声を上げる。らしくもなく、ちょっと語尾が震えたのに気付いて、逆にグレイは力が抜ける。
「大丈夫だって」
グレイがマリアベルの肩を叩いてやると、にゅ、とか変な声を上げて、ちょっと恥ずかしそうにマリアベルは頷いた。自分の声が震えていたことに気付いていたらしい。
ハーヴェイとマリアベルがランプを持って、進む。進む。途中でモグラ3匹に遭遇する。アランとグレイで受け持つものの、1匹が2人の間をすり抜けていく。一瞬慌てかけたが、ローゼリットが「問題ありません!」と言って、錫杖でモグラの爪を受け止めた隙に、ハーヴェイが背中を刺して片付けた。
結局、マリアベルもローゼリットも魔法を使うことなく、目的地付近に辿り着く。悪くないペースだ、とグレイは思う。
「たぶんねぇ、その辺り、だったと思うんだけど」
マリアベルが、一際太い木が集まっている辺りを指差して小声で言う。おそらく、マリアベルの記憶は正しいのだろう。
――いる。
全員、息を飲んだ。木の幹の近くにひらひらと巨大な蝶が舞っている。5匹。そして、そのうちの2匹は、羽の色が濃い。
多いな、とグレイは思う。あの時は夢中だったが、猛毒蝶は、青い蝶より強い。手間取っている間に、また毒の鱗粉を撒き散らされると厳しいかもしれない。だが、意外にもマリアベルではなくローゼリットが静かな声で言った。
「アラン、マリアベル。『雷撃』と『属性追撃』で左の猛毒蝶を狙えますか?」
「……お、おう」
「うんっ! 頑張る、よー!」
意外な人物のやる気に当てられて、アランは気圧されたように、マリアベルは躊躇った自分を恥じるように、頷いた。
「ハーヴェイは、青い蝶を狙ってください。正面からで苦しいでしょうけど、出来れば1匹、仕留めて貰えると助かります。グレイは……」
ローゼリットは、躊躇うように一瞬、言葉を切った。
「グレイは、右の猛毒蝶を引き付けてもらえますか。『解毒』の詠唱はすぐに始めておきますから」
言われて――もしかしたら、多少顔が引きつっていたかもしれないが、グレイは頷いた。ローゼリットは不安そうな顔をして、錫杖を握り締めている。
ここは、言わないと、男じゃないよな、とか思って、グレイは僧侶の少女の肩を叩いた。
「俺は、前衛の戦士で、盾役だからさ――大丈夫だよ。それに、ローゼリットを信じてる」
ローゼリットはほっとしたように頷いた。マリアベルは、にゅふふ、かっこつけちゃってー、とか余計なことを小声で言ってから、チェシャ猫の笑顔で『雷撃』の詠唱を始める。
大丈夫だ。先手は取れてる。思いながら、グレイは長剣と盾を構える。
「――アラン」
『雷撃』の発動までのタイミングを計ったローゼリットが、そっとアランの背中を押すと、アランが駆け出した。半歩遅れて、グレイも続く。
蝶たちはこちらの動きに気付いたのか、一斉に襲い掛かってくる。薄闇の中でも、毒々しい青と、紫の巨大な蝶だ。一瞬、圧倒される。
「Goldenes Urteil wird gegeben!」
マリアベルが、左の猛毒蝶を狙って『雷撃』を発動させる。視界の悪さと、蝶の数の多さからか、多少狙いがぶれている。だが、半ば強引にアランが雷撃を拾って、猛毒蝶に斬りかかった。当たった――が、落ちない。低空飛行に切り替わる。やはり丈夫だ。そのままアランが追撃に掛かる。
もう1匹の猛毒蝶が、グレイに向かってくる。無為やり倒すより、マリアベルとローゼリットの方へ向かわせない事の方が重要だ。盾で押し返す。もう1匹、無傷の青い蝶が横をすり抜けそうになったので、長剣を伸ばして斬り付ける。青い羽に掠って、怒ったのかまんまとグレイに向かってくる。
グレイが2匹集めている間に、ハーヴェイが最初の『雷撃』で多少羽を焦がした青い蝶を狙いに行く。向こうの数が多い時は、とにかく数を減らすことが重要になってくる。よく心得ているのか、ハーヴェイにしては大胆に正面から斬りかかる。
ばさり、と、猛毒蝶がグレイに向かって鱗粉を撒き散らした。ヤバい、来た――平衡感覚が狂うような、内臓が熱くて仕方ないような、あの感覚が思い出される。
「――我らが父よ、悪しきものを打ち消す力をお与えください!」
即座にローゼリットが覚えたての『解毒』を発動させる。『癒しの手』と異なり、距離があっても発動可能のようだ。
確かに多少毒を吸った――と思ったのに、嘘のように何も起こらない。猛毒蝶も、獲物に変化が無いことを驚くように、体勢を崩しかける。
「こんっ……のぉ!」
青い蝶は無視して、猛毒蝶に向かって特技を発動させる。『激怒の刃』。上段から胴体目がけて振り下ろす――入った!
歓声を上げたくなるような感触があったが、猛毒蝶は落ちない。
「我らが父よ、悪しきものを打ち消す力をお与えください!」
ローゼリットが再度『解毒』を発動させる。アランだろう。まだ倒せていないのか。青い蝶も1匹逃がしてしまった。焦りかけるが、猛毒蝶に専念する。大体、こういう時には――
「ごめんね―」
呑気にも聞こえる掛け声を上げて、ハーヴェイが猛毒蝶の後ろから襲いかかる。『背面刺殺』。よろめいた蝶に、もう一撃グレイが長剣を叩きこむ。落ちた!
「後は任せて!」
袖で口元を押さえながら、ハーヴェイが猛毒蝶に止めを刺しに走る。
「頼む!」
言って、逃がした青い蝶へ走る。『解毒』の詠唱準備をしているローゼリットを庇うように、マリアベルが杖を振り回して追い払っているが、苦戦している。それはそうだ。お転婆だろうが、基本的には戦う術を持たない魔法使いだ。
「――マリアベル!」
名前を呼ぶと、暗闇の中でもはっきり分かるほど、マリアベルと目が合った。少女が頷く。
途端に、その後の攻撃も防御も一切捨てて、マリアベルがその場に頭を抱えて座り込んだ。体当たりを仕掛けようとしていた青い蝶が、マリアベルの頭上を素通りし、その勢いのまま、グレイの方へ向かってくる。馬鹿め。
直線的で、動きが読みやすい。落ち着いて胴体を狙う。落ちた。立ち上がったマリアベルが追撃に走る。
「にゅりゃー! えいっ! ぬー!」
羽を踏みつけて、杖を振り下ろす。ああなればマリアベルでも十分対処できるだろう。
アランは猛毒蝶と青い蝶を1匹ずつ引き付けている。ローゼリットが詠唱を中断して、叫ぶ。
「アラン! 他は全て倒しました!」
それを聞くと、アランはもはや青い蝶は相手にせず、猛毒蝶に専念する。アランが放した青い蝶にグレイが斬りかかる。青い蝶1匹だけを相手するのならば、もうすっかり慣れてきた。
青い蝶を叩き落とすと、アランはハーヴェイと2人がかりで猛毒蝶を落とした所だった。出来るだけ呼吸を浅くするようにして、辺りを見回す。蝶、5匹。全て地面に転がって、動かない。まだ足元では鱗粉が舞っていて、きらきらしている。毒だとは分かっているが、不思議なほどに美しい。
「……か、った……?」
グレイは、ため息のような声を漏らした。マリアベルが飛び跳ねる。
「にゅふぁぁぁー! やったー!」
「やったよ5匹!」
「やったー! あたしたち、すごーい!」
マリアベルとハーヴェイが一緒になって飛び跳ねている。ローゼリットは、アランの治療に走る。『癒しの手』の光が辺りを薄く照らす。
「やったよグレーイ!」
「お疲れーい!」
「うわお前らなー!?」
グレイもマリアベルとハーヴェイに巻き込まれて、何だかよく分からないが一緒に笑い声を上げる。全員無事だ。いけるじゃないか。『奇跡の水』を採って、報酬を受け取ったら、あの階段を登って2階に行こう。俺たちならきっと行ける。