25
目抜き通りの屋台でご飯が食べてみたい、とマリアベルが言い出したので、猫の散歩道亭を出て歩く。自然と、アラン、グレイ、ハーヴェイが前を歩き、マリアベルとローゼリットが1歩遅れて後に続く。迷宮じゃあるまいし、とかグレイは思う。
ほぼ不意打ちで死にかけたが、不思議と、もう嫌だとか、故郷に帰ろうかとかいった考えはグレイには浮かばなかった。意地、になっているだけなのだろうか。周囲の反対に耳を貸さずに緑の大樹の迷宮までやって来て、1週間かそこらで諦めるのは確かに間抜けだ。もちろん死にたいわけではないから、もっと強くなりたいと思うし、蝶を見かけたときには、鱗粉――毒粉? を吸わないように戦おう、とかは思う。
もっと強い冒険者を頼りにしたい――とも、あまり、というか全く考えなかった。マリアベルや、ローゼリットのような、数の少ない後衛を募集している張り紙は、酒場でも結構見かけるが、戦士を、しかも駆け出しの戦士を探しているような話は聞かないこともある。何より、たった1週間かそこらだが、グレイはこの5人でパーティだと、これからもやっていきたいと思っているのだ。
「わー、凄い! 屋台! 混んでるね!」
初めて昼時に屋台街へ来たマリアベルが、やけに楽しそうに言う。おそらく一番混んでいる時間帯だろう。これから空くはずだ。男3人では、夜に結構来ているので、慣れた調子でハーヴェイが答える。
「でも意外と待たないで買えるし、食べられるよ。お客さんの回転が早いからかなー」
「それは嬉しいね! にゅふー! いい匂い! おすすめある?」
マリアベルがきょろきょろ辺りを見回しながら言う。
「海老の身をすり潰して、何か混ぜて茹でたのが入ったスープに、小麦粉練って細くした麺が入ってるのがあの店で売ってて、マリアベル好きそうな感じだぞ」
アランが店の1つを指差して言い、マリアベルは「あたしそれがいい! それにするよー!」と言ってその店に突撃していく。グレイが好きな、串焼きの肉と炒った米が皿に乗せられる店はいつも待たないので、グレイは先に席の確保に向かうことにする。「僕も買ったらすぐ行くよ」とハーヴェイが言い、何を買おうかちょっと困っている風のローゼリットに、アランがあれこれ説明していた。
手ぶらでは何なので、飲み物を2つだけ買って、空いている席に座る。ほどなくすると、出だしが早かったマリアベルが歩いてくるのが見えたので、手招きしてやる。
「グレイ、お待たせ! いってらっしゃい!」
満面の笑顔で丼を机に乗せて、マリアベルが言う。乗せられた丼の大きさと、器の色を見てちょっとグレイは笑った。
「大盛りかよ」
「美味しそうだったんだもん。あ、飲み物。1つあたしの? 飲んでもいい?」
「どーぞ」
普段の2割増しくらいにせわしなく言うマリアベルに頷いて、入れ替わるように席を離れる。マリアベルはほにゃっとして見えるが、頭の回転が速くて、気が回る。あの明るさはマリアベルなりに、気を使っているんだろうな、とグレイは思う。
ほどなくすると、ハーヴェイが、魚の切り身と野菜と麺を炒めたのを持ってうろうろしているのを見つけたので、マリアベルがいる場所を伝える。
グレイが昼食を買って戻ると、全員揃っていた。ローゼリットは薄焼きのパンに、これでもか、というくらい蜂蜜と練乳と果物が乗っているやつを買っていて、今日までその店では1度も買ったことが無い男3人で、やったなー。それは、手伝えないぞ……、とか思う。
グレイが買ってきたものを机に乗せると、それぞれ「いただきます」と言ったり言わなかったりして食事が始まる。多分、それぞれで話はしているのだろうが、あの夜に蝶に遭遇してから、全員で集まるのはこれが初めてだ。食事の時は、割と食べるのに真剣で、真面目な話をあまりしないのが常だから、グレイも真剣に食べる。うまい。
大盛りの癖に、スープの汁1滴も残さずに食べ終わったマリアベルが、まだ半分くらいしか食べ終わってないローゼリットを見てそわそわと弾んでいる。相変わらずローゼリットはもう困っていたのか、「手伝ってもらえます?」と言い、「いいよー!」とマリアベルは嬉しそうに応じた。すげぇな。
グレイの視線に気づいたのか、「だって、朝、食べ損なったんだよー」とマリアベルは言った。
「うんうん。何か、マリアベルがいっぱい食べてるのを見ると、安心するよね」
「普段通り感が、あるよな」
ハーヴェイと、アランが頷き合っている。その気持ちは、グレイにも分からなくもないので、確かに、と一緒に頷く。
マリアベルとローゼリットが仲良く食べ終わる頃には、辺りはだいぶ空いてきていた。各々で食器を店に返すが、飲み物だけ追加で買ったりして、何となく帰りがたい。
「あのねぇ、これからの、事なんだけど」
改まったように、口火を切ったのは、やはりマリアベルだった。全員で、思わず姿勢を正す。マリアベルはいつもの効率優先の直球さで、言う。
「あたしは、緑の大樹に入るの、やめるつもりはないよ」
ローゼリット、アラン、ハーヴェイの顔を見回し、最後にグレイを見て、マリアベルはほにゃっと笑った。グレイの肩の力が、一気に抜ける。
「俺も、やめるつもりはないし、まぁ、あれだな。出来ればこの5人でやっていきたいよ」
真っ先に頷いて、そう言ったのはアランだった。
「僕もやめないよー」
一番死にそうになった癖に、ちょっと転んだけどね、やめないよ、みたいな気軽さでハーヴェイは頷いた。
「私も……あの、今回の件で、僧侶として未熟なのは分かりましたけど。それでも、良ければ、これからも5人でやっていきたい、です」
ローゼリットは――性格もあるだろうが、いつの間にか戦闘では指揮官のような立場になっていたし、パーティの生命線たる僧侶だ。おそらくハーヴェイとグレイの負傷を一番気に病んでいたのだろう。不安そうに、そう言い、マリアベルが「にゅーん。未熟なのはみんな一緒だよー」と言って抱きついた。
とか何とかグレイが考えていたら、いつの間にか他の4人の視線がグレイに集まっていることに気付く。しかもちょっとあれな感じだ。
「いや、俺もやめる気は無いぞ?」
後ろめたいことは無いのだが、何故か言い訳のような口調になってしまった。にゅふっ、とか愉快そうにマリアベルがふき出す。
「なーんで、言い訳みたいなのよぅ」
「いや、なんか、お前はやめるのかー、みたいな、視線が!」
慌てて言うと、ハーヴェイがちょっと困ったように言った。
「だってさー、グレイ、何にも言わないから!」
「やめないのが当然だったんだよ! 俺の中で!」
グレイがそう言うと、アランとローゼリットも笑い出した。
「いや、このタイミングで黙られるって、焦るだろ」
「でも良かったです」
アランが呆れたように、ローゼリットがほっとしたように言う。
「よーし、それじゃ、後はこれからのことだよね。奇跡の水なんだけどね」
マリアベルは楽しそうに話す。彼女が迷宮であの時見つけた水の話を。
「なんかね、すっごいきらきらしてたの」
ハーヴェイと、グレイが倒れるなか、マリアベルは月明かりに照らされる水を見たらしい。湧水――ではなさそうだが、迷宮の大きな木の窪みに、澄んだ水が2、3掬いほど湛えられていたという。説明文があったわけではないが、マリアベルには、これが『奇跡の水』だとすぐに分かった。
「……と、いうことは」
ローゼリットがちょっと中空を見つめて、考えて、言った。『奇跡の水』。ピンチになった冒険者を、救ってくれた、水。
「もう、無い?」
ローゼリットが覚えている限り、マリアベルはハーヴェイと、グレイに、その『奇跡の水』を使っている。マリアベルはちょっと首を傾げて呻くように言った。
「にゅーん。そうなんだよねぇ」
「でもさ、その水、また行けば溜まってるかもしれないよ? 冒険者の間で有名になるってことは、それなりの数のパーティが使ってるはずだし」
ハーヴェイが言うと、それもそうですね、とかローゼリットは頷く。
しかし、今のまま再度挑戦して、またあの蝶に遭遇しても馬鹿馬鹿しい。
「だからねぇ。職業ギルド、入ってみるのはどうかな」
マリアベルは言う。どうやら、昨日の夕方アランと出かけて帰って来ないと思ったら、色々と聞き込みをしていたらしい。戦士ギルドに、盗賊ギルド、それから――魔法使いギルドも、あるそうだ。僧侶のローゼリットは、教会へ行けばいい。
職業ギルドへは、一定額の加入金を支払えば加入することが出来る。ミーミルの場合は、冒険者であることが前提になるらしいが、それは問題ない。職業ギルドへ加入した者は、更に授業料を支払うと、様々な特技を、職業ギルド内の教師役の者から教わることが出来るという。今日までの貯金で、加入金と、1つ、2つの特技を覚えることは出来そうだ。
「よし、入るか、ギルド」
アランが言うと、他の4人は頷いた。
特技の内容によっても、教わる期間が変わってくるが、大抵4、5日はかかるという。ギルドによっては、ギルドの建物に泊まり込みであったり、日帰りであったりするそうだ。
ひとまず本人の希望もあり、また、必須と思われる『解毒』の魔法をローゼリットが覚えて来ることにする。後は、個々人で好きな特技を覚えて来る、という話に落ち着いた。
「じゃあ、今から登録に行こう!」
マリアベルが元気に行って、今からかい! とか他の4人は思わなくも無かったが、勢いで頷く。ギルドの建物の位置は、ギルドごとにばらばらだ。登録に行って、覚えようと思う特技の習得期間と、泊まり込みかどうかを確認して、今日は夜に宿で再集合することにする。
教会と、魔法使いギルドと、盗賊ギルドの方向は途中まで同じようだったので、ローゼリットとマリアベルとハーヴェイは連れ立って歩いて行くのを見送って、アランとグレイは並んで歩く。目的地は同じ戦士ギルドだ。
「相変わらず、マリアベルは迷いが無いな」
歩きながら、アランがちょっと苦笑気味に言った。グレイは答えになっているか分からないが、言う。
「魔法使いだから、らしいな」
「うん?」
「魔法使いっつーか、マリアベルはそういう魔法使いらしい」
魔法使い――あるいは、運命を引く者、とも呼ばれる。
かつて、マリアベルの師匠が、マリアベルに言っていた言葉を思い出す。
「マリアベルの師匠の魔法使いが、言ってたんだけどな……“魔法使いには、生まれた時から定められた運命があって、そこへ真っ直ぐ走っていくことしか出来ない”んだってよ」
「……ほぅ」
アランは分かったような、分かっていないような、それでも誠意をもって理解しようと努めて、頷いてみせた、という感じだ。正直、グレイの方も未だにその言葉の意味をよく分かっていない。
ただ、ちいさなマリアベルが、その言葉を聞いてひどく安心したような顔をしていたことだけ、よく覚えている。あの日からマリアベルは、平凡な田舎町に馴染めない奇妙な女の子ではなく、魔法使いになった。
「……迷宮、本当に踏破するのかもな」
アランは、街のどこからでも見える緑の大樹を見上げて、言う。晴れているが、距離が近いため、緑の大樹の頂点がどうなっているのかは良く見えない。多くの冒険者が挑み、未だに14階までしか明かされていないという秘境だ。頂点がどこであるのか、まるで分からない。
「どーだろーなぁぁ……」
大きく息を吐きながらグレイは答える。ただ、そうだったら、愉快な気がした。