22
ハーヴェイはランプをマリアベルの傍に置いて、右手で口元を押さえながら、左手で一応短剣を構えていたが、ローゼリットに声を掛けられると、ばったりと倒れた。短剣を離して手を付く余裕も無いような、ぞっとするような倒れ方だ。ローゼリットは慌てて錫杖を放り出して手を伸ばす。ともかく、頭を、庇わなくては。
「ハーヴェイっ!?」
何とか受け止めて、短剣を手放させる。様子がおかしい事に気付いたのか、マリアベルがランプを拾ってハーヴェイを照らし、「ひっ……!?」と悲鳴を上げかけた。ハーヴェイの口元に手をやったローゼリットも、一瞬気が遠くなる。どうして、いつの間に? と言いたくなるほど、ハーヴェイの口元は血塗れだった。
「おい、ハーヴェイもかっ!?」
切羽詰まった声で、アランが言う。ハーヴェイ「も」。錫杖に手を伸ばして、手を、声を、震わせながらローゼリットは『癒しの手』を発動させる。
「ど、く……?」
マリアベルは震える声で言って、ランプを1つ持ったままアラン達の方へ駆けて行く。『癒しの手』が効いているのか、いないのか、ローゼリットには全く分からない。ハーヴェイは動かない。一応、息は、ある。
ローゼリットは術を発動させながらも、頭の中ではぐるぐると「どうしよう」の一語が巡り続けていて、どうしたらいいのか、全く分からない。青い蝶では無かったのか。ハーヴェイが、こうなら、グレイにも『癒しの手』を使うべきか、もうハーヴェイの治療を止めてもいいのか。やめる――あきらめる?
自分自身の思考にぞっとして、ローゼリットは辺りを見回す。そうだ、他にも、またさっきの蝶が出てきたら? いつまでこうしていれば?
もはやローゼリットが悲鳴を上げそうになった時。
闇夜を切り裂くように。
声が、響いた。
「うにゅあー!」
マリアベルが変な声を上げて、ハーヴェイ、とローゼリットに水をかけた。
驚きの余り、『癒しの手』の術も止まる。マリアベルはなぜか誇らしげだ。「にゅいっ!」と声を上げて、ローゼリットの傍にしゃがみ込んで、ローゼリットの頭を撫でる。
「――だいじょうぶ」
魔法のように。
マリアベルが言うなり、ハーヴェイが咳き込んだ。
「ハーヴェイ、ハーヴェイっ!?」
慌ててローゼリットが名前を呼ぶと、「うぇーい……」と弱々しい声を上げて、ハーヴェイは笑ってみせた。
「だいじょうぶ、だよー……」
何だかあまりそうは見えないが、それでもハーヴェイは言ってみせた。
ローゼリットは生真面目に頷くと、ハーヴェイの頭を草の上にそっと置いて、立ち上がり辺りを見回す。
「グレイは……!?」
「ロゼ、出来たらこっちも『癒しの手』頼む!!」
ローゼリットが声を上げると、アランがランプを掲げながら、手招きして言った。
やっぱりしっとり濡れているグレイにも、『癒しの手』を使う。グレイの方は、効果が分かりやすかった。しばらくすると呼吸も落ち着いてくる。
ほっとして、座り込みたいところだったが、ここは緑の大樹だ。たった今、よく学んだばかりだ。
「――アラン、グレイを連れて……」
歩けますか、とローゼリットが言うまでも無く、アランは頷いて長剣を収めると、グレイの腕を持って担ぐようにして歩き出す。
ローゼリットとマリアベルで、ハーヴェイを連れて歩く。身長差の都合で、半分ハーヴェイを引きずるような形になるが、如何ともし難い。
所々で休んで、『癒しの手』を継続して使用する。1度、ネズミが3匹ほど噛み付いて来たが、ネズミ退治にはすっかり慣れたローゼリットが、『粉砕』の特技を使って錫杖でネズミ1匹の頭を叩き割ると、他の2匹は恐れおののいてすぐに逃げて行った。
まず敵の現れない、迷宮入口の広場に辿り着くと、倒れ込むような勢いで、マリアベルとローゼリットは座り込んだ。「おい、あと、少しだから……」とアランは言うが、マリアベルが魔法使いの帽子ごと頭を抱えて、いやいや、と駄々をこねるように首を振った。
「ふ、う、にゅぇぇぇぇ」
とうとうマリアベルが泣き出してしまって、アランも諦めたように――ついでに、アランも疲れたのだろう――グレイを寝かせてから、座り込んだ。ローゼリットは、最後の気力を振り絞って『癒しの手』を発動させる。うっすらと目を開けて、グレイが呆れたように言った。
「……泣き声まで、変なのかよ」