02
“緑の大樹に擁かれる街・ミーミル”を含むウルズ王国の東部ラタトクス地方を治めるのは、ウルズ王の従兄弟に当たるラタトクス大公だ。
王の発効した檄文に対して、迷宮を踏破せんとミーミルに集まる冒険者――あるいはならず者――を管理し、彼らに冒険者としての義務を課し、権利を保障するための細則は大公とミーミルの官吏たちにより発効された。
法というものは例外なく、能う限り平等であり、抜け道を減らすため複雑怪奇になっているものである。ラタトクス大公による細則も、例に漏れず、真面目に読み解けば日が暮れるものであった。が、冒険者にとって肝要な部分はたった3則であると言われる。
第3則、緑の大樹の内部で冒険者が発見し、持帰った物品・素材は、その者の所有物とする。
第8則、緑の大樹の頂点へ辿り着いた者へは、ウルズ王より褒美を与える。
第21則、冒険者として市民登録を行い、冒険者以外のミーミル市民へ暴行を働いた者は例外なく極刑とする。
第21則が恐ろしく苛烈で、冒険者以外のミーミル市民から冒険者に対する暴行に対してどう対処するべきかと物議を醸されたこともあった。しかし、迷宮探索の為に武装した冒険者にちょっかいを出す命知らずは少ないし、冒険者もいざとなれば裁かれる前に街の外へ逃亡するという最後の手段があるため、今のところ大きな事件は発生していない。
そもそも、冒険者が迷宮から持ち帰った品物の売買、あるいは冒険者の衣食住を提供することで栄えるミーミル市民と冒険者の間では、持ちつ持たれつの意識が強い――らしい。
ミーミルの街は大きく南部と西部に分かれる。南部は古くからミーミルの地に住む人々の生活地域。西部はここ十数年間で多く訪れるようになった冒険者たちを受け入れるために宿屋や飲食店、武器や防具、そして迷宮より冒険者が持帰ったさまざまな品物を売買する店舗が集まる地域だ。そもそも住む地域が分かれている事も、軋轢を減らすことに一役買っているのだろう。
ちなみに、緑の大樹の北側には海が広がっていて、ミーミルでは魚介類を提供する食品店が多い。
そういったわけで、少年たちが訪れたのはもちろん西部である。南部は古くからの都市らしく、高い煉瓦造りの城壁で囲まれているが、西部は、まぁ、何となくここが街の始まりかな、というような適当な木の柵と、案内板が立てられているのみである。西部の街は今なお広がり続けているらしく、少し見通しただけでも、かつての街の最外殻を示したであろう木の柵が2、3重に見受けられた。
「にゅふー、着いたねぇ」
“緑の大樹に擁かれる街・ミーミル”と書かれた案内板を撫でて、少女は嬉しそうに言った。
ふわふわした金髪に、それを抑える大きな黒い鍔付きの三角帽子。膝までの長さの黒いローブ。身長ほどの長さの木の杖の先端には赤い鉱石がはめ込まれている。100人に聞けば100人が魔法使いだと指差しそうな格好の少女である。まぁ、見た目通り彼女は魔法使いなわけだが。
「うれしいなー。野宿も終わりですよ。鍵のかかる部屋にベットにお風呂! 春先だから何とかなったけど、もう限界だから! お風呂! 入りたい!」
案内板で宿屋の位置を確認しながら、だんだんエキサイトしてきたのか、少女は杖を振りながら主張した。
「そう思うでしょ。思わなくちゃダメよグレイ!」
ぴしり、と杖の先端を少年に突き付けて少女は言った。ちなみに、杖の先端の鉱石は表面を滑らかに加工してはあるが、立派な重量のある鈍器だ。
「だから杖をいちいち振り回すなって……」
突き付けられた杖を押し返しながら、ため息まじりに少年――グレイは言った。
魔法使いというと、一般的に3大精霊――炎精霊・氷精霊・雷精霊――の恩寵を受けて超常現象を起こす存在であり、比較的後方に控えていることが多いのだが、この少女、お転婆を重ね、事あるごとに杖を振りまわし、ちょっとした野生の獣ならば魔法を使わずに追い払う肉体派の魔法使いと化していた。
この少女、見た目は小柄でなかなかに可憐な少女であるため、野犬を杖で殴りつけている様が必要以上に猟奇的に見えてしまうのだ。
「なによぅ。お師匠みたいなこと言わないでよー」
ぽこぽこと、杖を持っていない手でグレイの鎧を叩きながら少女は言った。グレイもまた、腰に下げた長剣に、胸甲のみの皮製鎧と金属の額当て。皮の籠手に、一部鉄で補強された長靴。少年は少年で、100人に聞けば100人が戦士だと頷くだろう。もしかしたら、内70人くらいは“駆け出しの”戦士と言うかもしれない。人間見た目が7割とは言ったものである。
「俺はそのお師匠にマリアベルを頼むって言われてるんだよ」
「にゅーん、知らなーい」
けろりと言って、少女――マリアベルはすたすたと街中へ歩き出した。グレイは慌てて荷物を背負い直し、マリアベルの後を追う。
「ちょ、どこ行くんだよ」
「決まってるよー。宿屋行くの。この道まっすぐ行って、左の辺りに宿屋が何件か集まってるみたい。名前が可愛いから、猫の散歩道亭がいいなぁ。値段次第だけど」
いつの間にそこまで確認したのか、ほにゃりと笑ってマリアベルは言った。速読や地図の暗記、そういった類の事は魔法使いの得意領域だ。
城壁は無いとはいえ、栄えている街らしく、主要な道路は煉瓦や、場所によっては切り出した石で舗装されている。今日まで歩いてきた、適当に踏み固められただけの道もどきよりは遥かに歩きやすい。が、辺りを行き交う人々はいかにも冒険者といった風体の者が多く、これはマリアベルから目を離せないと、グレイはそっと思った。
見た目の良し悪しではなく、魔法使いは数が少ないのだ。努力や根性である程度は何とでもなる戦士や狩人、盗賊と異なり、魔法使いはまず精霊を感じ取る才能が必要になる。しかも、魔法使いの多くは人里離れた館に隠れ住んでいたり、政治に助言を与える賢者として、あるいは兵力として、国に仕えている。
そのため、在野の魔法使い――それも、迷宮に挑まんとする酔狂な魔法使いは非常に少ないのだ。
ミーミルに着くなり後ろから刺されてマリアベルだけ持って行かれないようにね! とは、マリアベルの師匠の弁である。今思い出しても、なかなかに最低な送り出しの言葉だった。
まだ日が高い位置にあるため、冒険者の多くは迷宮に入り込んでいるのか、比較的人通りは少ない。自信ありげに歩くマリアベルの斜め後ろを歩いていると、十数分ほどで宿屋の看板を出した建物が数件見つかった。
「冒険者の住む地域っていうだけあって」
お目当ての猫の何とか亭に向かいながら、マリアベル。
「そんなに広いわけでもないんだね。冒険者に必要なものがコンパクトにまとまってる感じ。十数年前に王様が檄文を発効して、国内外のあちこちから冒険者が押し寄せたって聞いたから、もっとずうっと大きな街だと思ってたんだけど」
「故郷の街よりは随分デカいだろ」
「そうなんだけどねぇ」
猫の何とか――看板を読み上げると、猫の散歩道亭。よく言えば素朴な、正直に言えば、グレイたちの懐事情に上手いこと合いそうな簡素な宿だった。比較的、安宿の部類だろう。たまたま宿から出てきた冒険者風の6人組も、駆け出しというか新米というか、そんな初々しさと装備の安っぽさが感じられた。
「いい感じだね!」
マリアベルが嬉しそうに言うと、確かに、安そうな宿もいい感じに見えてくるから不思議なもんだ。魔法使いとは実に恐ろしい。
カラン、と扉につけられた木製のベルを鳴らして宿に入る。一階は受付と食堂を兼ねているようで、奥からにぎやかな声が聞こえてきた。
「いらっしゃい!」
グレイとマリアベルに明るく声をかけてきたのは、恰幅のいい女主人だった。にこやかに細められた目に、使い込まれているが、清潔な白い前掛け。ミーミルの近くで古くから栽培される植物で染められた、鮮やかな黄色のスカーフ。
「こんにちは。宿をええっと、1週間くらい、2人で1部屋お借りしたいんですけど、空いてますか?」
「おや、あんたたち、新米冒険者かい! よく来たねぇ! うちの宿は、あんたたちみたいな新米にぴったりだよ!」
グレイが尋ねると、女主人は豪快に笑って、親戚の子供を慈しむように言った。
「1週間で2人部屋、朝だけ食事付きにすると、値段はこれくらいになるけど、1部屋でいいのかい?」
ソロバンを示しながら、後半は主にマリアベルに対して女主人は言った。値段を見て、マリアベルは肩をすくめた。想像通り、払えないほど高くはないが、倍になると正直厳しい。
「今更ですし。緑の大樹で一稼ぎしたら、1人1部屋借りますよぅ」
「あはは、そうかいそうかい。それじゃ、頑張りなさいな。宿代は全額前金制だよ。2人分の名前、書いてくれるかい」
「はぁい」
羽ペンを渡されて、マリアベルが2人分記載した。
マリアベル・ハリソン
グレイ・クロムウェル
魔法使いらしい、流れるような書体でマリアベルが書くと、うふふ、と愉快そうに女主人は笑った。
「マリアベルに、グレイね! 可愛い名前だこと! アタシはサリー。ミーミルにいる間は、この宿を自分の家みたいにくつろいで頂戴ね。鍵はこれ。食事は朝の5時から9時まで奥の食堂で出したげるからね!」
「よろしくお願いします」
「お世話になりまーす」
鍵を受け取りながら頭を下げ、荷物を背負い直して部屋に向かい――かけて、マリアベルは慌てて言った。
「サリーさん! お風呂、お風呂はっ!?」
沐浴場の利用時間は夕方の18時から夜の23時まで。サリーにすまないねぇと言われたマリアベルは、しばらく部屋の椅子で落ち込んでいたが――汚れたままでは絶対に寝台に上がらない派閥に属しているそうだ。グレイには何だかよく分からない――しばらくすると気を取り直し、宿の裏の井戸で顔や手を洗い、魔法使いの旅装から普段着に着替えたらしい。
らしい、というのは、宿の部屋に入るなり、長剣と防具だけ外して、長靴を脱いだ時点で寝落ちしたグレイの背中をマリアベルが蹴っ飛ばして起こした時には、少女がすっかり小奇麗になっていたからだ。
「グーレーイ! 起きて起きて! 冒険者登録に行こう! あと、早めに夜ご飯食べに行こう!」
ふわふわの金髪をお下げにして、街娘のようなワンピースを着ていても、マリアベルは魔法使いの杖を手放さない。グレイは魔法使いというものを、マリアベルと、マリアベルの師匠しか知らないから、マリアベルが特殊なのか、魔法使いというものはそういうものなのかはよく分からない。
緑の大樹に挑戦する冒険者には、他の魔法使いも居るだろうから、彼らや彼女たちも何時も杖を握りしめているのか観察してみよう、と思う。
それはさておき、グレイはのっそりと起き上がって、マリアベルの頭に手を伸ばして、
「……何で他人のベットには土足で上るんだよおーまーえーはぁぁぁぁ」
握りしめた。
「いたたたたた!」
付き合いで悲鳴を上げて、マリアベルはグレイの寝台から飛び降りた。そのまま扉の近くの外套掛けまで進み、グレイの外套を持ち上げて微笑む。
「怒んない怒んない! 見てみて、グレイの荷物も整理しといたのよ。外套も裏で埃を払っといたし!」
マリアベルの言う通り、移動で薄ら汚れた外套は、何とか街中でも着て歩ける程度には綺麗になっていた。鎧下ではなく、普通のシャツとズボンも寝台の脇に畳まれていて、グレイが寝こけている間に彼女がよく働いていたのが分かる。
がしかし。
「あー。サンキュ。しかしそれとこれとは別問題だ」
「にゅーん、おかしいなー? あたしの気の利きっぷりに感動して、土足でベットに上がられたのとか背中蹴っ飛ばされたのとかどうでもよくなるはずなのに」
「ならんわい」
首を傾げて図々しく言うものだから、腹も立たないし、感謝する気も何となく失せてしまう。
とはいえ、マリアベルの言った言葉が気になって、グレイは尋ねた。
「で、冒険者登録?」
「うん?」
急に話が飛んだからか、2回まばたきをして、マリアベルはそうそう、と手を合わせて言った。
「あのね、緑の大樹の迷宮に入って迷宮内部の物を持ち出すなら、まず冒険者として登録して、ミーミルの市民になる必要があるんだって。そうすると、ラタトクス細則が適応されるらしいのですよ……ってサリー小母さまに聞いたよ」
かの有名なラタトクス細則――ざっくり言うと、緑の大樹の迷宮に挑むことを奨励する。持帰り品の所有権を認める。ただしミーミルの民を害する者は全員死んでしまえ。といった趣旨のアレである。
大規模な自警団を用意する余力のなかったラタトクス大公からしてみれば、ウルズ王の檄文は当初は忌々しいものであったことだろう。冒険者の奨励とはすなわち、領地内に素姓の知れない者を大量に受け入れろといった趣旨でもあるのだから。現在、大きな事件も起こらず、緑の大樹の恩恵によってミーミルの街が栄えているのは、単なる結果に過ぎない。
「さぁさ、行こう! 冒険者登録所の場所もサリー小母さまに聞いたよ! あたし出来る子!」
ぱたぱたとせわしなく部屋の中を歩き回り、マリアベルは言った。
マリアベルが有能なのはおおむね事実なので、グレイは特に反論せずに、ただ手でマリアベルを追い払う仕草をした。
「はいはい。出来る子マリアベル様。ちょっと着替えるからな」
「りょうかーい」
軽やかに笑うと、グレイに背を向けてマリアベルは椅子に座った。別にグレイは着替えを見られても何とも思わないのだが、マリアベル曰く「見たくないよ! 事前に言ってよ!」とのことらしい。
平服に着替えて、さて、剣をどうしたものかと考える。ラタトクス細則を思えば、冒険者だと思われない方が安全な可能性があるのだ。単なる善良なミーミル市民だといった顔をしていれば、他の冒険者に絡まれることは無いだろう。実際、冒険者登録を行うまではグレイたちは冒険者でも何でもない。ただの旅人だ。
と、考えかけたのだが、マリアベルの杖が目に入ってグレイは色々諦めた。魔法使いですと看板を下げて、もとい、杖を携えて歩いているのだから無駄な小細工をするべきではないだろう。長剣だけ下げて、防具は置いていくことにする。重いし。宿の鍵はそれなりに頑丈に見えた。
「よし、待たせたな」
「そんなに待ってないよ」
グレイが言って振り返ると、マリアベルが立ち上がりながらほにゃりと笑った。