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持って行け、とギルド“ゾディア”の銃撃手、アルゼイドから何かを渡された。羊皮紙の束だった。迷宮の、地図だった。恐らく、19階まで記載されている、地図だった。えぇぇぇぇっ!? とかハーヴェイは悲鳴を上げそうになる。
「“桜花隊”より先に、行くのだろう」
どうと言うことでもないように、アルゼイドは言った。それは、そう、ですけど……。
ハーヴェイは、手渡された地図と、マリアベルを見比べる。
狡くて、ハーヴェイの一番の味方に違いないマリアベルは、アルゼイドにぺこっと頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」
「うむ……そうだ、これも持って行け」
アルゼイドはまるで親戚のおばちゃんみたいに、食料だの、獣避けの鈴だの、銃弾だの――つまり、アルゼイドが持っていた物を、ほとんどすべて、ハーヴェイに渡して来る。
「いっ、良いん、ですか……?」
怖々とハーヴェイが見上げると、アルゼイドは普段と何ら変わらない無表情で、でも感慨深そうに頷いた。
「うむ。俺にはもう、必要ないものだからな」
「……冒険者、やめちゃうんですか?」
「元々、付き合わされていただけだ」
ハーヴェイが何とも言えずにいると、アルゼイドはほんの少しだけ微笑んだ。
「――だが、悪くない冒険だった」
アルゼイドの様子を見て気が付いたように、アレンやマリゴールドも、グレイやリーゼロッテに食料を渡していた。はっきり言って、物凄く有難い。
だってハーヴェイ達は、17階まで何とかかんとか到達しての帰り道だったのだ。
氷竜を斃した。きっと、見つからなかった19階から20階へ至る階段が、女神様によって設置されたことだろう。ハーヴェイ達は行かなきゃいけない。急いでいかなきゃいけない。“桜花隊”より早く、その階段を登らなくちゃいけない。
マリアベルがいないな、と思ったら、ぽてぽてと氷竜の死体の傍に近付いて何かをしていた。あぁ、そうか。氷竜の鱗だ。『氷槍』の威力の底上げになる。
氷竜の鱗を手にして、最後にギルド“ゾディア”の面々にぺこっと頭を下げると、もう振り返らずにマリアベルは歩いて行く。
……っていうか。
「マリアベル、待って待って!」
慌てて追いかける。ハーヴェイだけじゃなくて、グレイもアランもリーゼロッテも慌ててマリアベルの背中を追う。
「ありがとうございました!」と走り出しながらグレイが、「今度6人で伺います!」とかアランが祈りを込めて、「ミーミルで、どうか待っていてくださいませ!」とリーゼロッテが言った。
ギルド“ゾディア”のアレンとマリゴールドは、手を振ってくれた。ローズマリーも、ハーティアの肩から顔を上げて、仕方ないでしょう、愛してしまったのだから、と言わんばかりに寂しそうに笑っていた。カロンも尻尾を振ってくれた。
「女神のところまで行って来い」
アルゼイドが、やっぱり事もなげに言った。言ってくれた。
ハーヴェイは足に力を込める。氷竜との戦いで疲れ果てていたけど、それが何だ。マリアベルを追い抜く。夜が、明け始めていた。
行かなくちゃいけない。
降りてきた道を、引き返す。階段を駆け上がる。
11階に着くと、リーゼロッテに襟首を引っ掴まれた。氷竜戦で負った細かい怪我を『癒しの手』で治される。『加護』も、掛け直された。
本当にもう、何処までも、行ける気がした。
11階では、マリアベル達は半分瞑想をしながら、ほとんど魔法を使わずに通り過ぎる。それが出来るくらいには、ハーヴェイ達“エスペランサ”も強くなった。
12階。あちこちに居たはずの『紫鱗竜』を1匹も見なかった。それに気付いたらしいマリアベルが、清々しい笑顔で言う。
「ハーティアは、全部の竜を狩ったの! 迷宮の、全部を!」
胸が詰まるような、笑顔だった。だけど、ハーヴェイはローゼリットが好きなのだ。誰よりも。
花散る13階では、『雷精霊の守護』を掛けて貰って、妖狐を、跳び兎を、彷徨う炎を蹴散らして進む。
かつて雷竜がいたという14階の、15階に続く階段前では、またマリアベルの髪が光り輝いていた。マリアベルは不思議そうに自分の髪を摘まんでいる。陽の光の下でも、見間違えようもない明るさ。あぁ、この不思議で美しい魔法使いの事を、一生覚えていよう、とハーヴェイは思う。
15階、16階と、自分達の進行スピードとは思えない位、スムーズに進んで行く。氷竜との戦いを経て、アランもグレイも、ほんのわずかな時間の間で、また成長したらしかった。凄いなぁ、と溜息を吐きそうになって、堪える。きっとハーヴェイも、少しは成長できたはずだ。アルゼイドが、信じて、地図を託してくれるくらいには。
17階に上がる前に、階段の中で休憩をして食事を取った。ギルド“ゾディア”から譲られた食事はえらく美味しくて、さすがって感じだった。歩きづめでさすがに限界だったから、少しだけ眠る。
17階。ここで、地図をギルド“ゾディア”のものに切り替える。まだ、ハーヴェイ達が見たことの無い地形が、詳細に記されていた。翼竜の出現場所も、書かれていた。でも、ハーティアは全部の竜を狩ったのだ。最短距離を選んで、進む。実際、地図に書かれた翼竜の出現場所に来ても、竜を見かけることは無かった。
18階では、マリアベルがガランゴロンと獣避けの鈴を鳴らし始めた。それでも飛び出して来る仙人掌を、アランとマリアベルの連携で危なげなく屠る。にゅっふっふ、とマリアベルが誇らしげに笑った。
19階。ついに来た、と言う感じだった。黄金と紅の迷宮が、夕日で燃えるように輝いている。後はもう、祈るくらいしかハーヴェイには出来なかった。行くしかない。祈るしかない。まだ、“桜花隊”が20階へ到達していないと。
19階の地図には、幾つか『?』が記載されていた。これまでの経験から、階段が出現しそうな場所を検討つけていたのだろう。ハーヴェイには、分からない。分からないけれど、地図を覗き込んだマリアベルが、にゅーん、と唸って、1箇所を指差した。
「ここ!」
迷宮の踏破を精霊たちに望まれ、自身が望む魔法使いが、言い切った。
「……が、いいなぁ」
いや、あんまり言い切ってなかった。けど、グレイもアランもリーゼロッテも、異論は無いようだった。ハーヴェイ自身も、無い。
ガラン、ゴロン、と低い鈴の音を響かせて“エスペランサ”一行は歩いて行く。水溜まりの位置も、地図には記されていたから、時々水溜まりを飛び越える。歩き詰めで思ったより足に力が入らなかったのか、リーゼロッテが水溜まりを飛び越え損ねて小さく悲鳴を上げた。
「きゃっ……もうっ!」
リーゼロッテは嫌そうに足を振って、そのまま歩く。
そして――あぁ。
それを見つけた。
階段、だ。
20階に続く。
女神様が設置したばかりの、階段。
偵察してくる、とはとても言えなかった。マリアベルを置いて行くなんて、出来るはずが無かった。だから、みんなで階段を登る。ぐるぐるしている螺旋階段の中で、誰も、何も言わない。
果たして、20階に女神様はおわすのか。
3柱の運命の女神様たちが光と共に現れて、ハーヴェイ達の願いを問うてきたりするのか。そんなことを、予想していたりもした。
結果として、運命の女神様たちがおわしたのか。それはよく分からなかった。
ただ、花が咲いていた。
1階で良く摘んだ青い花みたいな。20階では、桃色や紅色や白の花が咲き乱れていた。地上には花、頭上には紅葉。信じられないくらい、綺麗な場所だった。
ハーヴェイの膝くらいの高さにまで茎を伸ばしていて、8枚花弁の花が咲いていた。
その、花畑の中に。
眠れる姫君がいた。
「……どうして……?」
リーゼロッテが呆然と呟く。マリアベルはもう駆け出していた。ハーヴェイも、それに続く。
どうして。
どうして。
どうして!?
深い森の奥で、永久の眠りにつく姫君みたいに。
花畑の中で、胸の上で手を組んで、眠っていた。
「ローゼリット!?」
花を蹴散らして、マリアベルが悲鳴みたいな声で叫ぶ。その声に――あぁぁ。
その声に驚いたみたいに、ローゼリットがぱっちりと青い瞳を開けた。
「……マリアベル?」
半身を起こして、びっくりしたみたいに瞬きをしながら、マリアベルを見つめている。それから、あぁ、ハーヴェイにも気付いてくれたみたいだった。
「それに……ハーヴェイ?」
まるで、1年経ったなんて嘘みたいに。
昨日の夜別れて、朝、猫の散歩道亭の食堂で顔を合わせたみたいに。
ふわりと、ローゼリットが笑った。
「おはようございます。どうしました? そんなに驚いて」
「にゅ……」
「それに、その装備は? ……マリアベル? ハーヴェイも。どうしたのです? 変な顔をして……?」
「にゅわぁぁぁぁぁぁんっ!」
マリアベルが――ハーヴェイが知る限り、1年ぶりの涙を流して、マリアベルがローゼリットに抱き付いた。
「ローゼリット! ローゼリットだ! ローゼリット……っ!」
「わ、ま、マリアベル?」
「ローゼリット、ローゼリットぉ……!」
わぁわぁマリアベルは泣いて、泣いて、説明なんてとても出来そうになくて。ハーヴェイも、それからリーゼロッテも、もう手放しで泣いていた。良かった。良かった。ハーヴェイ達は迷宮を踏破して、女神様はハーヴェイ達の願いを叶えてくださった!




