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試しに、というか、例え失敗してもう1度水溜まりに足を突っ込むことになっても、もうどうでもいいや、という感じでハーヴェイが水溜まりを飛び越える。
地面に着地して、つま先で何処まで水溜まりが広がっているか確認する。何とか、リーゼロッテ達も跳べそうな幅みたいだった。
「やぁっ!」
「うにゅあー!」
水溜まりに足を突っ込むのは絶対に嫌だという意思を掛け声に込めてリーゼロッテが、けったいな声を上げてマリアベルが、水溜まりを飛び越える。グレイとアランも、難なく越える。
その後は、女神さまに一言「ごめんなさい」って断ってから木の枝を折って、ハーヴェイが杖代わりにして進む。5歩で1マス方式でマリアベルは地図を埋めていく。2つ目の水溜まりに足を取られる前に、出た。
がさり、と横手の木が揺れたと思ったら、もういた。誰かから指示が飛ぶ前に、グレイもアランも抜剣して駆けて行く。
「我らが父よ、どうかこの子羊をお持ちください!」
初見の敵に対して、覚えたばかりの新しい特技ではなく、リーゼロッテは堅実に『犠牲の代行』をアランに使った。選択としては、正解だっただろう。
話に出ていた、仙人掌だろう。全身? が緑色で、白っぽい棘に覆われている。何故だか、頭があって、腕が2本あって、足が2本あって、胴体があるような形状をしている。子供が地面に落書きをする棒人間のようだ。
体長は、グレイ達と同じくらい。植物にしては大きい、のだろうけれど、迷宮の生き物だと思えば、それほど大きいとは感じない。
そのサボテンマンが、全身から棘を発射した。所詮は植物、と思いたいけど、ここは17階だ。口に出しては言わないけれど、(たぶん)かなり性悪な運命の女神さまたちの造りたもうた迷宮だ。盾を持ち上げる。
案の定、サボテンマンの発射した棘で金属の盾の表面が削れる音がした。
「きゃぁっ!?」
後衛のリーゼロッテ達にまで棘は届いてしまったらしい。一瞬振り返ると、辺りの紅葉より鮮やかな鮮血がリーゼロッテの腕から滴り落ちていた。ハーヴェイは、流石の身軽さで近くの木の陰に隠れて躱したらしい。
「ごめんねー」
ハーヴェイが木の陰から、サボテンマンを狙撃する。サボテンマンの頭部がはじけ飛んだけど、サボテンマンは元気に弾んでいた。何故だ。
マリアベルが、詠唱に掛かる前に報告してくる。
「リゼちゃんは回復してて! あたしはあんまり怪我しなかったから『火炎球』使うよ! アラン!」
「おう! 『属性追撃』は任せろ!」
『犠牲の代行』のお陰で無傷だったアランは、打てば響くように応じた。グレイは、マリアベルが“あんまり”と言ったのが不安で無かったと言えば嘘になる。だけど今はこのサボテンマンだ。こいつをどうにかしないと。
サボテンマンに肉薄する。これでまた棘を発射されても、大部分はグレイの盾で受けきれるだろう。思っていたら、来た。盾の陰に顔を隠す。
植物が棘を飛ばした。言ってしまえば、大それたことではなさそうなのに、大それた衝撃が腕に伝わる。実際に撃たれたことはないけど、ハーヴェイの銃で撃たれたような、衝撃。グレイが数歩よろめいて下がると、マリアベルが完璧なタイミングで『火炎球』を放った。
「Ärger von roten wird gefunden!」
『炎竜の鱗』での強化無しだ。アランが『属性追撃』を合わせやすいようにだろう。サボテンマンの右腕が燃えて、アランに斬られて、飛ぶ。
だけど、どうして可動域もなさそうなのにそんなに滑らかに動くのか、見ていてもよく分からないけれど、とにかく無事だった左腕でサボテンマンはアランを殴りつけた。アランは籠手で受けたけど、やはり金属製の籠手が削れる音が響く。これ、装備の摩耗が凄まじいんじゃなかろうか。
「にゅあー! もう1回行くね!」
マリアベルが唸って、詠唱を繰り返す。
「我らが父よ、慈悲のひとかけらをお与えください!」
隙を縫うように、リーゼロッテが『癒しの手』で治療に掛かる。対象はリーゼロッテ自身――ではなく、マリアベルだった。何だよ。どこが“あんまり”だ。嘘吐きめ。
だけどマリアベルは高らかに『火炎球』の詠唱を続ける。あぁ、そこまでやるんなら大したもんだよ、本当に、お前は。
「Ärger von roten wird gefunden!」
今度マリアベルが狙ったのは、サボテンマンの左腕だった。再度弾けるように腕が燃えて、アランによって切り落とされる。どういう身体の構造になっているのかは分からないけれど、左腕が身体から離れると、サボテンマンはばったりと倒れた。
「……ん?」
やったアランも怪訝そうな顔だ。しばらくグレイとアランの2人でサボテンマンを囲むようにして警戒するけど、どうも、死んだっぽい。
「……心臓、左腕にあったのかなぁ?」
ひょこっ、とグレイの背後から顔を出して、マリアベル。
だから危ないからそんな気軽に近付くなよって言いたい。毎度のことだけど。
そして、危ないことに近付くなって言うなら、迷宮に入るのがそもそもの間違いだ。そう思うと、マリアベルの勇敢さもそんなに間違っていないような気もしてきて、最近はグレイも強く言えない。
「どうだろうねー?」
ハーヴェイも、銃でサボテンマンの身体を突っつく。ピクリともしない。
「何か持って帰るか?」
籠手に刺さったままだった棘を引っこ抜きながら、アラン。
「その棘を持って帰ったらいいのではありませんこと?」
あっさりとリーゼロッテが言う。いつの間にか、治療は済んだらしい。だけど、白と青の僧服の腕の辺りが真っ赤に染まっていて、グレイは居たたまれなくなる。王女様なのになぁ。言わないけど。言っても、仕方ないし。
だから、グレイはこう言う。
「……怪我、させてごめん。次は、ちゃんと守るから」
「むぅ。この程度、問題ないのですわ!」
「にゅふっ!」
リーゼロッテが高らかに、マリアベルはチェシャ猫の顔で笑って、言う。
ハーヴェイが戦闘になって放り出してしまった木の枝の杖を拾い直すのを見ると、マリアベルはいつも通り、道の先を魔法使いの杖で指し示した。
「さて、行こうか」