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命からがら逃げだすこともあれば、食料が尽きて引き返すこともあった。15階の、そして16階の探索を何度繰り返しただろう。
不思議な話だが、緑の大樹の迷宮は階層が上がるごとに、各階の広さが広くなっているようだった。とは言え、傍から見ても緑の大樹の幹が逆円錐形を描いているわけでは無い。全くもって、不思議な迷宮だ。
はらはら、はらはらと、桃色の花びらが舞い散る階層を抜けて、ついにグレイ達もここに辿り着いた。
「……あぁ」
リーゼロッテが溜息のような声を漏らす。グレイ達は、声も出ない。
17階は、黄金と紅に輝くような迷宮だった。
壁のように生え、道や小部屋を形作っている木々の全てが、見事なまでに紅葉している。黄昏時の柔らかい金色の空の色と相まって、絵画の中の風景のようだ。地面にも、土の色が全く見えないほどに黄金と紅の葉が敷き詰められている。
その場に立ち尽くしていても、現実の光景とは思えない。神秘的で美しくて――そして何故か、どうしようもなく“終わり”を予告するような、そんな光景だった。
「女神さまが4階ごとに迷宮の環境を変えたのなら」
マリアベルが呟いた。寒い――わけではないだろう。けれど、両手で自分の腕を抱き締めていた。予言のように、祈りのように、呪いのように、不可思議な調子で続けた。
「きっとこの迷宮は、20階で終わる」
誰も何も、答えられない。
しばらくたってから、何とか、という感じでグレイは応えた。
「……かもな」
「きっと、そう。急がないと。ギルド“ゾディア”も、“桜花隊”も、19階の探索を進め始めたって聞くし」
炎竜を斃し――そうして本当に、その数日後にギルド“桜花隊”が19階への階段を見つけたという。18階の、それまでは絶対に存在しなかったはずの場所に、19階への階段が突如現れた、という。
他の階で何か仕事をこなす必要があるかもしれない、と桜花さんは言っていた。まさしく、その通りだったわけだ。
彼等が19階を1通り探索し終わって――そしてまた、どこかの階でばったりと出くわすのだろうか。竜に。
雷竜、炎竜、とくれば、氷竜も現れるだろう。氷雪に覆われた、9階から12階までの何処かに、現れるのだろうか。11階以降に到達している冒険者はかなり少なくなる。10階に、11階へ続く階段の前で氷の魔人が陣取っているからだ。
11階か、12階に氷竜が現れれば良いな、とグレイは思う。それならば、6階の広間のような惨劇は起こらないだろう。
逆に、9階の“冒険者の終わり”と詩的な名前を付けられた生き物(?)を狩るのにうってつけな広間には、かなりの数の冒険者が入れ替わり立ち代わり訪れるから、そこに氷竜が現れたらまたかなりの被害が出そうだ。はたして3柱の運命の女神さまはどれほど残酷だろうか。グレイには分からない。
ただ、少女の名前を呼ぶ。
「マリアベル」
「うん。行こう」
凛々しく顔を上げてマリアベルは言い、先頭のハーヴェイが足音も無く歩き出す。階段からは、左右に道が分かれていた。特に深いこだわりはなかったのだろう。何となくマリアベルが見ていた、右への道をハーヴェイは進む。
そしていきなり、ハーヴェイの背が縮んだ。
「わーっ!?」
「ハーヴェイっ!?」
「大丈夫かっ!?」
「な、なんですのっ!?」
ハーヴェイが悲鳴を上げて、グレイとアランで慌ててその襟首を引っ掴む。後ろで見えなかったらしいリーゼロッテが困惑しきった声を上げた。
「……水音が、した?」
マリアベルが首を傾げながら言う。多分正解だ。ぬかるみに、ハーヴェイの片足が膝ぐらいまで完全に嵌まっている。どうやら、深い水溜まりの水面に落ち葉が広がっていて、見分けがつかずに踏み抜いたらしい。
「えぇぇぇぇ、何これ……」
ハーヴェイが濡れた右足を嫌そうに振りながら言った。
「つーかこれ、戦闘になったら滅茶苦茶やり辛いんじゃねぇの……?」
ぞっとしたように、辺りを見回しながら、アラン。
地面には、土の色も、水溜まりも見分けが付かないほど、落ち葉が敷き詰められている。
「最後の最後で、やってくれるなー、女神さま」
グレイがぼやくと、マリアベルが地図を取り出した。
「んーと、水溜まり、と……」
言いながら、魔法使いの杖で水溜まりを掻き混ぜるようにして、大きさと深さを確認する。
「おっきいねぇ、それに、深いし。道、半分くらい塞いじゃってる」
マリアベルの言葉通り、水溜まりは、3人が並んで歩ける程度の幅の道を、半分くらい塞いでいた。長さも、2、3歩分ある。水溜まりを飛び越えても良いし、引き返して階段から左への道を進んでも良いだろう。さてどうしたものかと、全員で顔を見合わせると、リーゼロッテがわずかに顔をしかめた。
「そういえば、17階以降では鰐が住んでいると聞きましたわ。ということは、17階のあちこちに、こういった水場があってもおかしくありませんわね」
リーゼロッテがそう言ってくれるけど、鰐とかグレイは名前を聞いた事くらいしかない。
「ワニって、どんな生き物?」
今更取り繕っても仕方が無いので、グレイが尋ねると、にゅーん、と悲しげな声を上げてマリアベルが答えた。
「おっきくてねぇ、肉食の、爬虫類。背中が硬い鱗に覆われてて、長い口と尾があるの。それで、リゼちゃんの言う通り、水場の近くで暮らしてるの」
「あー……」
迷宮の外でも大きいということは、迷宮サイズだともっと酷いことになっているだろう。まぁ、17階だ。仕方ない。アランが舌打ちした。
「妙な話だよな。ワニと、サボテンもいるんだろ?」
「いるって、聞いた事があるねぇ……サボテンなんて、すごーく乾燥したところにしか生えないはずなのに」
マリアベルの後半の言葉は、よく分かっていない顔をしていたグレイとハーヴェイの為に付け加えたのだろう。
「まぁそもそも、サボテンって植物だろ?」
「そうねぇ」
「動かないだろ?」
「そうなんだけどねぇ」
グレイが重ねて言うと、マリアベルは渋々、と言った感じで頷き続ける。
「今更、湿気ってるとか、乾燥してるとか言う問題じゃないって」
「にゅー……ん……グレイの言う通りねぇ……」
マリアベルは天を仰いで、やっぱり美し過ぎる紅葉を見て、首を振った。
「こんなに綺麗なのに、意地悪な迷宮だねぇ。でも、立ち止まってても仕方ないし、行こうか」