5-23
「にゅぎゃっ!?」
マリアベルが変な声を上げたな、と思った。頭を押さえて、ぱちぱちと2回まばたきをしている。「い……」驚いて、驚き過ぎて、声が出ない、みたいな風体だ。
「いたい……?」
だろうな。
マリアベルの黒い三角帽子がべっこりへこんでいる。グレイがチョップを入れたからだ。結構な速度と角度で打ち込んだから、黒い三角帽子の不思議形状をへこませて、マリアベルの頭まで届いた。ということは、かなり痛かったはずだ。すまん。
そんな事を一気に考えてから、グレイは息を吸った。ひゅっ、と音がした。
「……ひ」
「ひ?」
「独り占め、すんなよ……」
ちょっと変か。
「……独り占めって、変じゃないかなぁ?」
案の定、突っ込まれる。
グレイの手は、マリアベルの黒い三角帽子にめり込んでいる。
何だ、これ。
何だ、それ。
「独り占め、すんなよ」
だけど他に言いようが思い付かなくて、グレイは繰り返す。
「馬鹿なこと、言うな。ローゼリットがそんなこと聞いたら、泣くぞ。絶対」
「ローゼリットが、また泣いたり怒ったり笑ったりしてくれるんなら、何だってするよ。あたし」
「そうじゃ、なくて……」
そうじゃない。そんな話はしていない。マリアベルは賢い。グレイを手玉に取るなんて、そりゃーもう簡単だろう。ころんころん転がされている気分だ。だけど今は。今だけは、マリアベルの言う事を認められない。何としてでも、言い負かして、あるいは泣き落してでも、マリアベルの考えを変えなくては。
そんなこと、グレイに出来るだろうか。
出来なくても、やらなくては。
そういう時は、あるのだ。
「俺達は、ギルド“エスペランサ”だろ」
「そうねぇ」
「成功も、失敗も、みんなのものだろ」
「うむにゅう……」
「……何だそれ」
いきなり気が逸らされた。マリアベルは強い。というか、固い。ふにゃふにゃしてるように見えるくせして、とんでもなく頑固だ。負けるな。俺。
「とにかく――サイクロプスと戦うって決めたのは、俺達全員だろ。キース達を助けたいと思ったのは、俺達全員だろ。どうして、お前1人が悪いなんて、そんな事になるんだ。そんな話があるか」
「キースに助けてって言われて、いいよぉって最初に答えたのは、あたしだよ」
そうだっただろうか。マリアベルが言うなら、そうなのだろう。だけど、それがどうした。
「それを言ったら、キースを見つけたのはハーヴェイだし、キースを回復したのはローゼリットだし、トラヴィス達に手伝うって言ったのは俺だし、マリアベルに『雷撃』行けるかって言ったのはアランだろ」
「にゅー……」
マリアベルは寂しく微笑む。これでも駄目か。
どうしてだ。どうして俺達は仲間なのに、そんなしんどい事をたった1人で抱えたりするんだよマリアベル。
「俺達は仲間じゃ、なかったのか。お前にとって、便利な盾役と、便利な攻撃手と便利な僧侶と便利な盗賊でしかなくて、全然信頼できない、辛いことを分けあったり出来ない、ただの他人でしかなかったのか」
「そんなことは、ないよ!」
「ならどうして、そんなこと言うんだ。お前が、マリアベルだけが悪いなんて、そんなこと」
「だって」
マリアベルはちいさな子供みたいな、頑なで、でも何処か甘えるみたいな声で繰り返す。
「だって、あたしだけが悪いんじゃなかったら」
「うん」
「そしたら」
「うん」
「……ひっく」とマリアベルがしゃくり上げた。グレイの勘違いでなければ、1年とちょっと振りの、涙だった。しゃくりあげながら、マリアベルは呻く。
「……そしたら。そしたら、ねぇ」
ぽたぽたっ、と床に涙がこぼれ落ちた。グレイは腰をかがめて、マリアベルの顔を覗き込む。マリアベルの緑の瞳から、あとからあとから、涙は零れてくる。グレイが指で拭ってやっても、全然追いつかない。
「……うん」
上手く、いったんだろうか。これは成功だろうか。グレイには良く分からない。
だけど、ずっとマリアベルが言えなくて、きっと言いたくて、でも言ってはいけないと戒めて、ずっと自分だけを責めていた、そういうことだった。
マリアベルは1人でずっと必死に泣かずに立っていた。だって、グレイもアランもハーヴェイも、あの時、確かに絶望した。諦めてしまった。諦めていなかったのは、マリアベルだけだった。だから泣く訳にはいかなかった。
でも、もう良いんだ。グレイもちょっとは強くなれたはずなのだ。
泣いているマリアベルを支えられるくらいには。
マリアベルは絞り出す様な声で嘆く。
「そしたら、どうして、あたしのこと、止めてくれなかったの」
「ごめん」
グレイが言うと、マリアベルはくしゃりと顔を歪ませた。
「ひどい。ひどいよぉ。あたし、あたしは迷宮を踏破するつもりだよ。出来ると、思ってるよ。そしたら、そしたら、キース達を助けるなんて、迷宮を踏破するより、ずぅっと簡単だって、思ったんだもん。思っちゃったんだもん。あたしが、あたしだけが悪いんじゃなかったら、グレイだって悪いなら、アランだって悪いなら、ハーヴェイだって、ローゼリットだって悪いなら。そしたら、そしたら……!」
「うん」
マリアベルは左手でグレイの胸を叩いた。グレイは鎧を身に着けていたから、マリアベルの手の方が痛そうだった。でも、マリアベルは何度もグレイの胸を叩いた。
「グレイの、ばかぁ。アランのばか。ハーヴェイのばか。ローゼリットのおばか。どうして、どうしてあたしのこと、止めてくれなかったの」
「ごめん」
「ひどい」
「……ごめん」
「ひどいよぉ……!」
ごんっ、と音がするくらいの勢いで、マリアベルはグレイの胸元に額をくっつけて、しがみついて、手放しで泣いた。こんなに涙って出るんだってグレイが驚いてしまうくらい。1年間、溜めて、溜めて、溜めていたものが堰を切って溢れ出したみたいな泣き方だった。
マリアベルの薄い背中を叩きながら、グレイは繰り返す。何回だって言う。
「ごめん」
「ゆるさない」
「ごめん」
「……一緒に迷宮を踏破してくれなきゃ、ゆるさないから」
「するよ」
「ん……」
「するから」
くすん、とマリアベルはグレイの胸元に額をくっつけたままで、鼻をすすったみたいだった。ちょっと考え込む。
しばらくして、顔を上げて、マリアベルはまだぽろぽろ泣きながら、でも、少しだけ笑った。
「……そしたら、いいよ。あたしも悪いけど、グレイも悪いんだから。でも、悪いグレイを、あたしは許すよ」
「うん」
「だから、悪いあたしのことも、許してくれると、嬉しい」
「許すよ」
「にゅっ、ふーん!」
グレイが即答すると、マリアベルは満足そうな声を上げた。鎧のお陰で感触は分からないけど、ぎゅーっとしがみ付いて来る。
「グレイはあれだね、あたしの安心毛布。昔も今も」
「もうふ……?」
何だっけ。昔も言われた様な気がする。相変わらず、魔法使いの言うことは、時々、よく分からない。
ぐりぐりと、猫がにおいつけをするみたいに、グレイの胸元に頭を擦りつけてから、マリアベルは身体を放した。ほにゃっとしてるが、しっかりしている、マリアベルの立ち方。マリアベルは魔法使いの杖を握りしめて、チェシャ猫みたいに笑った。
「おやすみ、グレイ。明日からは、迷宮だね。あたし、頑張るよぉ。グレイも一緒に頑張ろうね」
「おう――おやすみ、マリアベル」
もう馬鹿なこと考えないで、良く寝ろよ、と思った。
おやすみなさい、ともう1度囁いて、マリアベルは3階への階段を登って行く。長い金髪が、軽やかに揺れていた。




