5-19
だいじょうぶ。いつか終わるから!
マリアベルは軽やかにそう笑ったものの、終わりまでは長かったような、短かったような。
炎竜の攻撃方法は、その爪と牙による直接攻撃、それから長い長い尾の振り回し、そして、超高温の炎の息吹。時折、その巨体で地面を揺らして足元を覚束なくさせてくる。言ってしまえば、それだけだった。
“エスペランサ”5人は、爪と牙、それから長い長い尾の攻撃が届かない側面に回って、攻撃を仕掛ける。息吹の余波は、リーゼロッテの『犠牲の代行』と、グレイ自身の鎧と盾の性能で凌ぎきる。マリアベルの『炎精霊の守護』も役に立った。
出来る限りのことをして、適切なタイミングで引いて回復や守護の魔法を掛け直す。グレイ達は、死ななければ良かった。
桜花さんが、太い根元から炎竜の尾を切り落として(その現場を見ていても、信じがたいような光景だったけど)からは、かなり楽になった。周りにいる冒険者への被害も格段に減ったと思う。
だいじょうぶ。いつか終わるから!
いつかは終わる。その前に、グレイ達は学ばなければいけなかった。考えなければいけなかった。5人で竜を殺す方法を。雷竜、炎竜、とくれば、氷竜もこの迷宮の何処かにいるだろう。
「『浮遊』を、覚えなくては。それに、それに『聖者の守り』も、『殉教者の教え』も」
リーゼロッテが、『犠牲の代行』の祝詞を紡ぐ合間に、呻くように言う。マリゴールドの紡ぐ祝詞は多彩だった。同じ魔法の重ね掛けはほとんど効果が無いけれど、別の種類の魔法を重ねることは、意味がある。だから、僧侶は幾つもの魔法を覚えるのだ。
声に出してる暇はないけど、グレイも内心でぼやく。俺なんてあれだよ。あの竜の爪を、正面から止めて、潰されないようにならないと。アレンさんみたいに。
「……『銃撃手』ギルド、入ろうかなぁ」
魔力の込められた特殊な弾薬を詰めているのか、撃つ度に炎竜の鱗を凍り付かせているアルゼイドを見ながら、ハーヴェイが呟く。
「あたし、もっと、もーっと、精霊と仲良くならないと」
肩で息をしながら、マリアベルはハーティアを見る。ハーティアの周りは、空気まで凍り付いているようだった。というか実際、炎竜の息吹のせいで大広間の気温は上がる一方なのに、ハーティアの周りでは水蒸気が凍って煌めいていた。
「俺はアレだな。アレ、出来るようにならねーと」
死ぬほど楽しそうに――は、どうでも良いとして。舞うように剣を振るっている――いや、身体ごと剣を舞わせているローズマリーを見てアランは溜息を吐いた。出来るのか、俺。とは、アランは言わなかった。偉い。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
マリアベルがかなり低い位置に『氷槍』を放つ。しっかりと、アランは『属性追撃』を合わせた。チェシャ猫の顔で、マリアベルは笑う。
「同じことが出来て、でもカロンの分は足りないのよぅ」
「……だよね」
やはり肩で息をしながら、ハーヴェイ。
ギルド“ゾディア”の忠実な獣は、時にローズマリーの足場となり、時に身体を張ってマリゴールドを護っている。良いなぁ。
「我らが父よ、愛し子に憐れみと祝福をお与えください!」
途切れかけた『加護』をリーゼロッテは掛け直す。
「……でも、出来ることはまだまだある事は、分かったのですわ! 私達は、まだ強くなれる余地があるのですわ! それは、素晴らしい事ですわ!」
そうだ。リーゼロッテの言う通りだった。
グレイ達はあの人達に比べたら色々足りない。足りなすぎる。でも、努力する事は出来る。明日“ゾディア”になれなくたって、1歩ずつ、近付く事は出来る。きっとその努力は、迷宮の踏破に繋がっている。
「にゅーふふ、あたし達、これまでも、これからも、うーんと、頑張ろうねぇ!」
マリアベルが笑う。こんな時でも。
心から楽しい、訳ではないだろう。当たり前だ。今なお、炎竜は暴れていて、暴れまくっていて、逃げ遅れた“カサブランカ”の冒険者が1人踏み潰されて無残な死体を晒している。こんなに居たのかと驚いてしまうくらい、6階のあちこちから火蜥蜴は広場に集まって来ていて、どこのギルドも手一杯だ。炎の熱気と、血の匂いでむせ返る様だ。
それでもいつかは終わる。
誰かの冒険のように。
誰かの人生のように。
何もかも、いつかは終わるんだ。
終わりまでに、どこまで歩いて行けるだろう。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
高らかにギルド“ゾディア”の魔法使い、ハーティアが叫んで――そうして、幾多の冒険者を葬った炎竜が、どぅっと倒れた。その巨体に下敷きになりかけた、ギルド“桜花隊”のメンバーが悲鳴を上げる。だけど、その悲鳴を覆い隠す様な大歓声が上がった。
「“ゾディア”!」「“ゾディア”!」「ギルド“ゾディア”!」「竜殺し!」
広場の空気がいっぺんに変わった。何か、こう、大きなうねりが見えた気がした。グレイの気のせいだろうけど。
炎竜に掛かりきりだった、“ゾディア”が、“カサブランカ”が、“桜花隊”が――それからもちろん“エスペランサ”も――火蜥蜴の討伐に加わると、ようやく一連の狂乱が過ぎ去って行った。
僧侶達が、ギルドを、パーティを越えて負傷者の救助に走り回る。リーゼロッテも、「無茶すんなよ!」というアランの声を背中に受けながら、『癒しの手』を振り撒くように使っていた。ギルド“ゾディア”のマリゴールドが、いつぞやと同じ広範囲の回復魔法を使って、光の粒が広場の中に降り注ぐ。
リーゼロッテに比べたら、どうしたって手持ち無沙汰なグレイ達が立ち尽くしていると、誰かがぽてぽてと歩み寄って来た。誰かって言うか、ハーティアだった。
「やぁ、ギルド“エスペランサ”――こっち側へ、ようこそ!」
実に魔法使いらしい、底の見えない、優しいんだか意地悪なんだか良く分からない、そういう笑みでハーティアは笑う。
ハーティアの正面に立って、マリアベルも負けじと笑った。いつものほにゃりとした、幸せな猫みたいな顔で。
「ありがとう、ハーティア。あたしも、あたし達も、ねぇ。そっち側に行くの。力不足でも、役者不足でも、行くの。決めたの」
「良く来たものだよ」
ハーティアは、グレイと、アランと、ハーヴェイと、リーゼロッテの無事を確認したみたいだった。静かに、続ける。
「そして実際、1人も死なずに良くやったものだ」
「にゅーふふ! そう、ねぇ……」
マリアベルはほんの少し、目を細める。あっちも、こっちも。助けようとして、助からなかったり、すでに手遅れだったりする死者で溢れている。
あっちでギルド“カサブランカ”に囲まれて倒れている冒険者は、もしかして、ジョーゼットじゃなかろうか。こっちでギルド“桜花隊”が黙祷を捧げている相手は、翔左と恭右のどちらだろう。
「……ギルドの勢力図も変わるだろう。さて、ギルド“エスペランサ”、君達もおいで」
ハーティアに手招きされて、何だか良く分からないまま付いて行く。笛吹き男についていく子供みたいに。連れて行かれたのは、炎竜の巨大な死体の傍だった。
「にゅにゅ」
ギルド“ゾディア”のアルゼイドとかローズマリーとかアレンは、すでに何枚か竜の鱗を頂いたみたいだった。そうだ。これ。すっげぇお宝の山みたいなもんじゃないか。それに、これがあれば、マリアベルの『火炎球』の威力も底上げされるだろう。ハーティアも、ひょいっ、と手を伸ばして、小さく何かを囁きながら竜の鱗を1枚剥がした。
グレイ達に竜の鱗を見せながら、今度は、優しい、面倒見の良い、先輩冒険者の顔で笑う。
「君達にも権利がある。持って行くと良いよ」
はぁい、とか、はい、とか、大丈夫ですかね……? とか言いながら、グレイ達も竜の鱗に手を伸ばす。
いきなり生き返って襲って来たりしないよな?
ドキドキしながら、竜の鱗に触れた、と思った瞬間。