5-18
幾多の悲劇が量産されるなか、幾人かの英雄が、生まれつつあった。
筆頭は、言うまでも無い。炎竜の真正面から挑みかかっているギルド“ゾディア”の5人と1匹。
ギルド“カサブランカ”は堅実に、ギルド“桜花隊”は犠牲を恐れずに、赤い鱗を削ぎ落すようにして炎竜の身体に傷を増やしていく。炎竜の死角からの一撃離脱を徹底しているのは、たった2人の “エスペランサ”。
そう、ハーヴェイとマリアベルだ。
何でこんなことになってるのか。ハーヴェイにはよく分からない。分からないけど、マリアベルを庇うようにして走りながらハーヴェイは辺りを見回す。こんな機会は滅多にない。というか、最初で最後かもしれない。
10階の氷の魔人の時もそうだった。
世界には、あっちと、こっちがある。
未知の世界を歩いて行ける、圧倒的強者と、身の丈に合った所で冒険を終えるしかない、弱者がいる。ハーヴェイは、間違いなくこっち側だ。弱者側だ。ハリソン商店から贈られた武具で、何とか強そうな顔をしているだけだ。
あっち側のローズマリーが、宙を舞う。
重力、仕事しろ。とか言いたくなる。ほんとに何やってんの重力。人間が、ああも軽やかに舞うように、でも確実な重みをもって炎竜に斬りかかったり出来るものか。
ローズマリーは見ていて空恐ろしいくらいの軽装姿で、ひらりひらりと炎竜の爪や牙を躱しては、ハーティアの『氷槍』に合わせて『属性追撃』を決めて行く。時折、マリアベルの『氷槍』すら拾って、炎竜に瑕を刻んでいく。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
「あははっ!」
『氷槍』を放つハーティアも、『属性追撃』を合わせるローズマリーも、ひたすらに楽しそうだ。負ける――つまり、死ぬとか、考えないんだろうか。だろうなぁ。彼等は人間が竜すら屠れると、知っている。
知っているのは、強い。
知っている側に、ならないと。
だからマリアベルはハーヴェイを連れて来た。リーゼロッテの為に、アランは置いて来た。グレイは火蜥蜴の討伐に向かおうとしていた。だから、一緒には歩けないと、思ったのだろう。
「……ハーヴェイ!」
マリアベルが呪文の詠唱を止めて、息を吐く。炎竜の息吹の範囲に入らないように、尾の届く範囲に入らないように、炎竜の側面を取り続けながら走り回っていつの間にか息が上がっていた。
「一旦下がる!?」
「下がらない! ねぇ、ハーヴェイ! 強く、なりたいね!」
恋い焦がれるような瞳で先達の魔法使い――ハーティアを見つめながら、マリアベルは熱に浮かされたように言う。
「強くなりたい。ならないと。焦っても仕方ないけど、でも、でも、走らないと!」
「うん!」
分かるよ。マリアベル。
炎竜がこちらを向きそうになったから、また走る。マリアベルは途切れがちになりながらも呪文を詠唱する。炎竜の死角に入ると、ハーヴェイもまた弾丸を装填する。
強くなりたい。強くなりたい。ならないと。
馬鹿だなって笑われたって。
あの“ゾディア”よりも強くなって、誰よりも早く迷宮を踏破したいんだ。
ただ座って、羨ましそうに3大ギルドを見上げていたハーヴェイにさよならを言わないといけない。
「マリアベル、ハーヴェイ!」
呼ばれて、振り返る。マリアベルはチェシャ猫みたいな顔で笑っている。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
苦手なはずの氷精霊の術を連発して、マリアベルはしんどいはずなのに、笑う。賢くてすこぅし意地悪な猫みたいな顔で。
「……アラン。リゼちゃん置いて来ちゃったの?」
「お前らが先に行くからだろ!」
分かるような、分からないような事を叫んで、アランは「やるぞ」と言った。
やるの。やれるの? ねぇ、本当にあんなおっかない炎竜に近付いて、『属性追撃』を合わせられる?
マリアベルはそういう事を、わざわざ言わなかった。チェシャ猫の顔のまんまで、杖を掲げた。
「――やろう。やっつけよう」
ふぅ、と息を吐いて、マリアベルは続けた。
「きっとローズマリーさんには、マリーちゃんかアレンさんが僧侶の魔法、『浮遊』を掛けてるから、あんな風に戦えるんだろうね。あたし達には出来ない。だから、出来ることをしよう――炎竜の脚を狙うから、アラン、合わせて」
「分かった」
アランは硬い顔で頷く。アランはどうやらリーゼロッテを置いて来たらしい。つまり、『犠牲の代行』がない。近付くだけで、命懸けだ。でも、アランは頷いた。
炎竜が動きを止める。息を吸う。吸って、吸っている。ギルド“ゾディア”のローズマリーとハーティアが妨害に走る。今だ。
ダダダダダッと音がしそうな勢いで、アランも駆けて行く。炎竜の鱗は、1枚1枚が宝石のようだ。炎に照らされて、煌めいている。恐ろしい生き物なのに、あぁ、なんて綺麗なんだろうとハーヴェイは感嘆する。人を喰らうものなのに。人を斬り裂くものなのに。人を焼き尽くすものなのに。だけど、炎竜は、あまりにも美しかった。
そういう生き物を、寄って集って冒険者は殺す。
女神様の御許に辿り着くために。
ごめんね、といつもの通り内心で呟いて、ハーヴェイは銃を構える。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
マリアベルの高い声。
ハーヴェイの銃声。
それから。
「我らが父よ、どうかこの子羊をお持ちください!」
リーゼロッテが悲鳴のような声で、叫んだ。
炎竜の超高温の息吹が撒き散らされる。余波だけで、アランは燃えてしまいそうだ。だけど、ふんわりとした光に包まれる。炎の余波を受けても融けなかった『氷槍』が炎竜の脚に突き刺さる。それとほとんど同時に、アランの剣が鱗を散らした。
ハーヴェイのすぐそばで、短杖を掲げたリーゼロッテが喚く。
「もうっ! アランのおバカ! マリアベルの、ハーヴェイの、おバカ!! どうして、どうして……!」
「にゅふふー」
マリアベルは満足そうに笑って、リーゼロッテに抱き付いた。良く慣れた飼い猫みたいに顔を擦り付ける。
「置いて行って、ごめんねぇ……でも、来てくれるって、信じてた」
リーゼロッテの髪を撫でると、マリアベルはグレイにも微笑みかける。グレイは炎竜と、ギルド“ゾディア”と、マリアベルを順番に見た。
「マリアベル」
「うん」
「――迷宮、踏破しよう。誰よりも、早く。俺達、5人で」
「うんっ!」
マリアベルが弾みそうな勢いで頷く。
あっち側に、行こう。
怖いし、心が挫けそうになる時も、これから何度だってあるだろう。だけど、決めた。行くんだ。
あっち側に。5人で。
ハーヴェイは銃を装填する。マリアベルも、『氷槍』の詠唱を高らかに開始する。グレイが、アランの傍らに駆けて行く。
誰かが致命的な所に傷をつけたのか、炎竜が轟咆を上げた。
マリアベルがこんな時でも、歌うような、楽しそうな声で言う。
「だいじょうぶ。いつか終わるから!」
それ、大丈夫なのかな。ハーヴェイにはよく分からない。でも、ハーヴェイも口の中で、だいじょうぶ、と呟いてみる。何となく、上手く行くような気がしてくる。だいじょうぶ。いつか終わるから。そうだ、いつか終わるだろう。何もかも。
だいじょうぶ、みんなでしあわせになろう。
ハーヴェイは祈る様に呟く。
銃声が、轟いた。