16
「にゅふふ、ところでその剣、どうしようか」
マリアベルがふわふわと寄って来て、グレイの長剣を眺める。長剣には青虫の粘液が白く固まって、こびり付いている。擦ってみるが、剥がれそうにない。
「アランの足に付いたのはどうしたんだ?」
グレイが尋ねると、アランが長剣の柄頭を、マリアベルが杖を示して言った。
「気合いで砕いた」
「砕いたよー!」
「……うん、まぁ、そうだよな」
グレイが頭を掻くと、青虫の背中から短剣を引き抜いて、その辺の葉っぱで体液を拭ったハーヴェイが言う。
「ちょっと削ってみる?」
「あー、ちょっと借りてもいいか」
「いいよー」
ハーヴェイから短剣を借りて、削るように長剣の表面を擦ると、白い糸のような粘液が、多少剥がれ落ちた。
「……まぁ、こんなもんかな」
「うーん、そだねー」
鞘に収まる程度には剥がれ落ちたので、ハーヴェイに礼を言って短剣を返す。
「帰って研いで、何とかなるかな」
「買い直しになったら、結構キツいよな」
「青虫用に1本持つか」
「まさか」
アランとグレイで話していると、ふとマリアベルが思いついたように言いだした。
「ねぇねぇ、燃やしてみようか」
「……は?」
アランが驚いたようにマリアベルを見る。マリアベルはなんか自信ありげな顔だ。
「うん、だからね、ちょっと燃やしてみない? アランの足燃やすわけにはいかないけど、剣なら燃えないから、ちょっとくらいなら大丈夫でしょ? もとは青虫のヨダレ的なあれでしょ? 燃えないかなぁ?」
「いや、理屈的には分かるけど……マリアベル、炎精霊の魔法も使えるのか?」
「使えるよぉ、スルヴァちゃんの魔法は、派手に使うと後が困るけど」
ほにゃりと笑って、マリアベルは答えた。
「また“ちゃん”付けだ……」
どうでもいいことをハーヴェイが呟く。「魔法使いって……」と言いながら、アランは首を傾げている。世に広まっている魔法使いのイメージと、マリアベルがあんまり重ならないのはグレイにもよく分かる。
「まぁ、後が困らない程度に、やってみてもらえるか?」
グレイが長剣を地面に置いて言うと、マリアベルは頷いて詠唱を始める。他の3人は興味津々、といった顔で事の成り行きを見守っている。けっこう離れた場所から。
「Ärger von roten wird gefunden!」
マリアベルが『雷撃』よりも多少時間を長めにかけて唱え終わる。炎精霊スルヴァの恩寵による『火炎球』の魔法だ。杖の先に、人間の握り拳より、少し大きい程度の火の玉が突如生まれ、ふよふよとグレイの長剣に近寄っていく。
「むーん……」
マリアベルは珍しく真剣な顔だ。本来ならば、敵に叩き付けるだけだが、長剣に近づけて留めようとすると難しいらしい。
「あっ、そうだ、コレ燃やせば?」
ハーヴェイは比較的乾いていそうな落ち葉を拾って、グレイの長剣と、火炎球の近くに撒いた。すぐに木の葉に火がついて、燃え上がる。長剣の上にも炎は広がり、何ともいえない異臭を漂わせて青虫の糸が燃える。
「おぉ!」
「やったぁ!」
グレイとマリアベルが歓声を上げる。途端に火炎球がかき消えた。魔法とはそういうものらしい。火炎球が消えても、しばらく木の葉が燃える。炎が広がらないように、下草に着いた炎は慌てて踏み消す。
しばらくすると、多少燃え滓は残っているものの、ほとんどの白い固まりは剥がれ落ちた形になった。
「取れたなー」
感心したようにグレイが言うと、マリアベルが「さぁさ、あたしを讃えるといいよー」と言ってくるから、わしゃわしゃと魔法使いの帽子と一緒に髪を掻き回す。
「にゅいー。すっごい閃いたのに。役に立ったのに」
素早く身を引きながら、口を尖らせてマリアベルは言うが、楽しそうだ。魔法使いの帽子を被り直して、言う。
「さて、行こうか」
言って、杖を掲げる姿は、ちょっと魔法使いっぽい。かもしれない。
知っている場所だからといって油断しすぎた、と反省して、曲がり角では、一旦ハーヴェイが確認に行くことにする。自然と、ハーヴェイ、アラン、グレイが前列になり、マリアベルとローゼリットが後ろを歩くことになる。
思った以上に青虫騒動で時間を食ったが、おそらく始めにミーミル衛兵たちに連れて来られた場所に辿り着く。行き止まりの方には改めて戻らず、まだ歩いた事の無い場所に進むことにする。
1度、噛み付きネズミの集団と遭遇したが、ハーヴェイに噛み付いている奴をグレイが切り捨てると、すぐにまた逃げて行った。わざわざ死体から引っこ抜くのは躊躇われたが、ちょうど抜けたようだったので、落ちているネズミの牙を拾って帰ることにする。
「あ、青虫でも何か拾えばよかったな」
グレイがふと思い出して言うと、ハーヴェイが「爪、っぽいの拾ったよー」と呑気な声で応じる。
「爪っぽいのって何だよ」
アランが尋ねると、ハーヴェイは首を傾げながら言った。
「え、だって爪っぽいんだけど青虫って爪無いよね? でも爪っぽいんだけど、そもそもアレは青虫では無し……?」
「俺が悪かった。何でもいい」
アランはそう言って切り上げる。が、マリアベルが「そうだよねー。爪っぽいけど、青虫には爪がー」と引き継いで首を傾げている。ローゼリットはあまり思い出したくないのか、ちょっと青い顔をしていた。
その後も、着実に地図を広げていく。この辺りには、ネズミ、モグラ、蝶、と、青虫くらいしか生息していないようだった。蝶は鱗粉が厄介だが、それよりもモグラの爪が痛い。
「モグラ、きっついなー」
また2匹、モグラを切り捨ててグレイが零すと、「いい防具、欲しいよな」とアランが応じる。今回は、アランの方が派手に引っ掻かれてかなり出血していた。ローゼリットが慌てて『癒しの手』で治している。
行き止まりで、ちょっと広くなった場所に出た為、昼の休憩にすることに決める。各々でもさもさとパンやら干し肉やらを齧りながら、一息つく。
「今が昼なら、そろそろ戻り始めた方がいいのかな」
ハーヴェイが言うと、マリアベルがローゼリットの地図を眺めながら首を振る。
「けっこう、行ったり、行き止まりで戻ったり、してるから。そんなに急いで戻らなくても、出口だけ目指すなら、行きよりずっと早く帰れるはずだよ」
「へぇ、そうだっけ」
「うん、今、ここ」
言いながら、全員に見えるようにマリアベルが地図を広げる。安定のローゼリットクオリティで描かれた地図は、思った以上に広がっていた。ついでに。
「……ただ、もしかして、もう戻るしか、行く場所無い?」
地図を確認してから、ハーヴェイが尋ねると、ローゼリットが曖昧に頷いた。
「分岐点があったら、道があることを記録していたのですけど。これでもう、全部回れる場所は回ったことになるんですよね」
「2階? に、行けそうな場所、無かったよねぇ……? どっかの木の分け目に入るとか、それこそ登るなら、木に登らなきゃいけないのかな?」
ハーヴェイがその辺りの木を見上げて言う。つられて全員で見上げたが、アランが首を振った。
「いや、聖騎士もこの迷宮に挑戦してるんだから、それは無いだろ」
「あ、確かに」
防御に特化した聖騎士の装備は、かなりの重装備になる。まさか彼らが木登りをするとは考え難い。そんなことをしなくてはならないのならば、緑の大樹に挑戦するのは盗賊や狩人などの軽装の者ばかりになるだろう。
「道の見落としもねぇ、無さそうなんだよね」
マリアベルがふわふわとした口調で言う。描くのは苦手だが、地図を読むのは得意なマリアベルだ。地形の把握も得意な彼女の言葉は、口調の割には、信憑性がある。
「そーすると、入り口の時点で、逆に行けばいいのかな」
地図の入り口を指さして、ハーヴェイが言う。
「まぁ……どちらにせよ、戻るしかなさそうです」
ローゼリットがまとめのように言って、全員が頷いた。
その後は、何となく帰り道感が出てしまって、見た事の無いような青い花を摘んだり、また果物をもいだりして進む。先程青虫を倒した所を通り過ぎると、不思議なほど“だいぶ痕跡が無くなっていて”全員で、迷宮怖いな、とか言い合う。モグラだろうか、ネズミだろうか、それとも他の生き物か。
「共食いだったらどうしようねー」
あはは、とかちょっと引きつった笑い声を上げながらハーヴェイが言うと、マリアベルとローゼリットが後ろから杖と錫杖で無言の抗議をした。
もうすぐ入り口という地点で、蝶の群れに遭遇した。思わず欲が出たのか、マリアベルが『雷撃』をかます。おそらく2匹分の鱗粉の結晶が拾えて小躍りするが、ふとグレイは言った。
「ところでマリアベル、今日、あと何回魔法使える?」
既に『雷撃』2回、『火炎球』1回使用済みだ。マリアベルはちょっと気まずそうに、
「……今日はもう厳しいかも。使えて、『雷撃』があと1回くらい、かな」
と、正直に答えた。鱗粉をだいぶ吸ったハーヴェイに『癒しの手』を使ったローゼリットも、ちょっと申し訳なさそうに手を上げて言う。
「正直、私の『癒しの手』も、あと2、3回しか使えないと思います……」
マリアベルの魔法よりも、回復が切れることの方が深刻だ。拾った蝶の鱗粉に思いを馳せて、誰からともなく、「今日はもう帰るか」と話がまとまる。