5-15
「……にゅにゅっ?」
緑の大樹・6階層。
5階から繋がる階段を登るなり、広い広い空間が開けている。
大勢の冒険者が集い、天幕まで用意して、迷宮内の中継地としている地点だ。広間の端では、ミーミルの木こり達が、ギルド“シェヘラザード”のメンバーに守られて、木に斧を入れている。食事や食料を提供する天幕もあり、街で迷宮の品を買い取る『リコリス商店』の出張所もある。そういう、多くの人間が集う、女神さまの采配を逃れた場所だ。
「噂をすれば、なんとやら、ねぇ」
マリアベルが歌うように言って、目を細めた。あちらのお姉さんも気付いたのか、軽く手を挙げて手招きしてくる。グレイ達は、特に逆らう理由も無いのでそちらに向かう。
6階のこの大広間は、街みたいな感じだから、特にハーヴェイが先頭になって歩いたりはしない。っていうか、マリアベルがハーヴェイを追い越して、とてとてと駆けて行く。
「桜花さん、こんにちはぁ」
「おぉ、こんにちは。可愛い魔法使い」
マリアベルがぺこっと頭を下げると、鷹揚に頷いてギルド“桜花隊”のギルドマスターである女性は答えた。
「6階にいらっしゃるなんて、珍しいですね」
「偶には愚弟の顔を見るのも良いかと思うてのう。“えすぺらんさ”の迷宮探索は、順調かえ?」
桜花さんの独特の話し方は、東方の訛りだという。不思議な響きだけど、聞き取り辛い所はない。っていうか、聞き逃したらばっさりやられそうな気がする。そんなことは、無いはずだけど。
とにかく、黒髪黒瞳のとんでもない美人だ。おっとり話しているようで、その微笑みを向けられるだけで首元に鋼の刃を押し付けられているような心地がする、不思議な人だ。
っていうかまぁ、手っ取り早く言うと、おっかない。
けど、そんな思いを顔に出したら、やっぱり一刀で斬り捨てられそうな気がするから、グレイはマリアベルの後ろで曖昧に笑っている事しか出来ない。そんな感じだ。
どんな感じか、よく分からないと思う。でも、対峙していても、グレイ自身よく分からないのだ。
美しくて、鷹揚で、それなのに、1つ間違えれば即座に首が飛ばされそうな気がする。
それが、ギルド“桜花隊”のギルドマスター、桜花さんだ。
そんな御仁と、ほにゃりと会話を交わせるマリアベルは本当に凄い。
マリアベルは少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。
「お陰様で、14階までは何とか。でも、お恥ずかしい話ですけど、14階を探索するだけで精一杯です」
「ふふ、焦ることもなかろう」
「にゅーん。そうですねぇ。焦っても仕方がないのは分かっているんですけど……」
マリアベルが言葉を濁すと、桜花さんが先に言った。
「姫君の御為かえ?」
ウルズの宝石とも呼ばれる、麗しの姫君。グレイ達の、ローゼリット。
“エスペランサ”が、ハリソン商店のお抱え冒険者であることと同じくらい、グレイ達が姫君を守れなかったことも、知れ渡っている。
冒険者は数が多いとは言え、広くて狭い緑の大樹に集う、小さな世界の住人だ。大抵のことは、すぐに冒険者内に伝わる。
マリアベルは半分首を振って、半分頷いた。
「……はい。あたし達の、大事な仲間の為です」
その解答は、桜花さんのお気に召したらしい。桜花さんは、ふわりとマリアベルの黒い三角帽子の上に手を乗せた。
「ふふ。ならば女神様の御許まで駆けてゆくが良かろう。誰よりも速く。妾たちよりも、あの“ぞでぃあ”よりも、“かさぶらんか”よりも速く。疾く行くが良かろう。可愛い“えすぺらんさ”」
微笑んで、励まされている筈なのに、首元に鋼の刃を押し付けられている気がする。何故だ。
分からない、けど、走らなくては、と思う。
改めて顔を上げる。ここはまだ6階。グレイ達が到達しているのは、まだ14階。ここに立つ桜花さんは、18階まで到達した冒険者だ。追いつかなくては。この人に。追い越さなければ。この人を。
そう思うと、ギルド“桜花隊”の奥の天幕群、ギルド“カサブランカ”のものである、白色の生地に黄色の百合の刺繍がなされている天幕の傍には、ギルドマスターのジョーゼットさんもいるみたいだった。珍しい。18階に到達したミーミルの3大ギルドのギルドマスターが、2人も6階にいるなんて。
「さて、呼び止めて済まなかったのう。もうお行き」
桜花さんがマリアベルの背中を柔らかく押しかけて――おや、と目を瞬かせた。
「珍しいこと」
7階から降りて来たのだろう。大広間に、5人と1匹の冒険者パーティが入って来た。全体的に、黒っぽい装束。ローブやケープに銀糸で刺繍された、剣と盾。ギルド“ゾディア”一行だ。
その中でも、黒い三角帽子に黒いローブ姿の魔法使いが、すごい勢いでこっちに向かって駆けて来る。
「マーリーアーベールー!!」
「ハーティア!」
マリアベルも嬉しそうに両手を広げて迎えた。暴走する魔法使いを止めようと、やはりギルド“ゾディア”の戦士と僧侶のお姉さん達が駆けて来るけど、出足が遅れた。追いつけなさそうだ。
ハーティアはマリアベルに抱き付きそうな勢いで、立派な魔法使いの杖を放り出して、マリアベルの両脇の下に手を差し込んで持ち上げた。そのまま、ぐるんぐるん振り回す。マリアベルが子供みたいに無邪気に笑った。ハーティアが歓声を上げる。
「マリアベル! 小さい魔法使いだ!」
「にゅっふーん、お久しぶりねぇ。1年ぶりくらい?」
「こら! ハーティア!」
追いついた戦士のお姉さん――炎のような鮮やかな赤毛に、宝石みたいに深くて澄んだ青色の瞳の美女、ローズマリーがハーティアからマリアベルを取り上げた。
「持ち上げないと分からないのですか! 毎回毎回!」
「にゅにゅ、ローズマリーさんもお久しぶりです」
地面に足をつけながら、マリアベル。おっとりしたマリアベルの調子に、ちょっとだけ気を削がれながらもローズマリーは微笑んだ。
「お久しぶりです、“エスペランサ”。毎度、私達の魔法使いがご迷惑をお掛けしてすみません」
「悪いことは、されてないよぉ」
ふるふるとマリアベルが首を振ると、どうだい、みたいな顔でハーティアが笑んだ。
「魔法使いにはね、魔法使い同士、伝わるものがあるんだよ。邪魔するんじゃないよ、毎回毎回」
「変態はお黙りなさいな」
ちょっと息を切らせながら、冷ややかに言ったのは、ギルド“ゾディア”の僧侶、マリゴールドだ。
氷のような青みがかった銀髪に、双子のローズマリーと同じ、宝石みたいに深くて澄んだ青色の瞳の美女。かつて『北の氷雪姫』と呼ばれた魔法使いで、恋人と双子の為に魔法使いではなくなり、今は僧侶をやっている。けれど、ローゼリットに魔法を掛ける際には、大変お世話になった。
お久しぶりです、とか、お世話になってます、とかグレイ達が挨拶すると、マリゴールドは優雅に頷く。だけど、ハーティアが口を開くと、途端に美しい曲線を描く眉を寄せた。
「黙らないよー。何故なら僕は変態ではないからね。何だって、あちこちで変態変態呼ばれているんだろうね、僕は。そんな変態行為に走ったことなんて1度も無いのに」
それはそれで、かなり疑わしいことを言って、ハーティアは不満そうに口を尖らせた。マリアベルも、そうねぇ、とチェシャ猫の顔で微笑んでいる。
ハーティアはほんの少し腰を屈めて、マリアベルと視線の高さを合わせた。
「――もう、君とは会えないと思っていた。精霊が、それを望まないと思っていた」
「そうねぇ、あたしもそう思っていたのに。なのに、こうしてハーティアと会えて、とても嬉しい」
魔法使い同士の会話は歌のようだ。桜花さんの東方訛りとは別の、不思議な韻律がある。
魔法使い達が微笑みあっている間に、追いついたギルド“ゾディア”のギルドマスター、聖騎士のアレンが桜花さんと話し始めたり、翔左と恭右の2人がハーティアの事を変態だ変態だと囃しだしたりして、一気に賑やかになる。
「こんな所にいるなんて珍しいな、桜花将軍」
「ほほほ、そなた等こそ」
「19階への階段は見つかったか?」
「女神様も容易くないようでの。妾にそう尋ねるということは、そなた等もか」
「あぁ、大方回ったとは思ったんだが」
「別の階で、何か仕事をこなす必要があるのかも知れんのぅ」
ふぅ、と紅を注している訳でも無さそうなのに、桜花さんの鮮やかに紅い花の唇から溜息が漏れる。
「……仕事、って何ですか?」
グレイが何となく――一見尋ねにくそうなんだけど、尋ねやすい、ギルド“ゾディア”の無表情な銃撃手、アルゼイドに尋ねると、アルゼイドは気にした様子もなく頷いた。
「16階では、17階に繋がる階段を見つけるために、15階で封印を解いたことがあった。そういう類の仕掛けがあるのかもしれん。という、話だ」
「なるほど……」
相変わらず、平坦な声に無表情だけれど、親切なアルゼイドだった。
「例えばだ」
アルゼイドは言って、天を仰いだ。つられてグレイもそちらを見やる。
ギルド“桜花隊”と“カサブランカ”のギルドマスターが、そして、“ゾディア”までがこの場所に現れた。
役者が揃った――と女神さまが思ったのかもしれない。あるいは、単なる偶然かもしれないし、たった今、広間の端で木こりが斬り倒した木が、女神さまの大切な木だったのかもしれない。今となってはもうどうでも良い、のだろう。
振動。それから、熱。
一瞬――歴戦の冒険者も、新米冒険者も、商売人も、木こりも。
誰も彼もがその姿を仰ぎ見た。
グレイも、もちろん見た。何故か上と下に階層があるはずなのに、薄く空が見える天から、それは舞い降りた。
迷宮で、グレイはそれなりに色々な生き物を見た。神話の中で語られる様な、半人半牛のミノタウロスとか、複数の動物が合わさったキマイラとか。グレイの身長の倍くらいの大きさのカマキリや羊も見た。
だけど、そういうのとは桁が違った。
アルゼイドが変わらず平坦な声で続ける。
「あれを、斃す、というのはどうだろうか」