5-14
「ただいまぁ」
「まー」
お互いよろよろした感じで、マリアベルとハーヴェイが言いながら猫の散歩道亭の男部屋に入って来る。っていうか何しに来たマリアベル。
グレイが何か突っ込む間もなく、2段ベットの下の、グレイ達が荷物置きに使っているベットにぽふんと座って、足をばたばたさせて「ご飯ー! みんなでご飯食べようよぉ」とか言って来るから、グレイもアランもそうだなとか言いながら起き上がる。ぞろぞろ連れ立って部屋を出る。いつの間にかすっかり夜だ。階段の所で、マリアベルは上に登りながら言って来る。
「リゼちゃんも呼んでくるねぇ」
「おーう、先に食堂で適当に注文してるよ」
「お願いねー」
マリアベルは魔法使いの杖に縋る様にして、よろよろと、階段を登って行く。教会から戻って来た時はいつもそうだけど。泣かないマリアベル。強くなったマリアベル。本当に、そうだろうか。
グレイの隣で、ハーヴェイもよろよろしている。よろよろしている癖に、グレイと目が会うと力無く笑って、「迷宮に、また明日も行こうね」とか言って来る。マリアベルみたいに。
「明日は無理だろ。明日は。弾丸の補充、いつするつもりだ」
冷静にアランが突っ込む。ハーヴェイは目を瞬かせて、そうかぁ、と呟くように言った。
「もう夜だった……じゃあ、明後日も、迷宮、行こうね」
「……まぁな」
アランは複雑そうな表情で頷いた。
買い物以外、特にミーミルの街でする事も無い。強いて言うなら、マリアベルの兄さんのマーリンさんの所に無事の報告に行くくらいか。時々行き詰ると、職業ギルドに特技を教えてもらいに行ったりもする。今は、そんな感じでもない。
猫の散歩道亭は、冒険者、しかも新米冒険者に相応しい安宿だ。部屋は清潔だけど、決して広くないし、沐浴場なんて、正直狭くて他の冒険者と時間が被ると気まずい感じだ。
だから、少し懐事情に余裕が出来ると、みんな他の、もうちょっと良い宿に移って行く。そういうものだ。猫の散歩道亭に限らず、宿のランクごとに、滞在する冒険者の到達階層も変わる。
だというのに、14階まで到達した、強豪ギルドの1つである“エスペランサ”が未だ滞在していると言う事で、縁起が良いとか御利益がありそうだとかそんな感じで、猫の散歩道亭は最近、新米冒険者に大変人気の宿になったらしい。宿の女将のサリーさんは、「あんた達も、もっと良い宿に移れば良いのにねぇ」と口では言いつつも嬉しそうだ。
今も、食堂に入るなり、ちらちらと視線が向けられるのを感じる。6階で向けられるようなものとは質が違うから、こそばゆいだけで、悲しくはならない。
「“エスペランサ”?」「“エスペランサ”だ」「14階まで到達したって」「俺らとそんなに年、変わんないのに」
密やかに交わされる会話に、ますます背中がむず痒くなる。装備だけ、じゃないと、思うけど。素直に称賛されると、それはそれで否定したくなる照れくささがある。
アランは平然とした顔で、注文を取りに来た青年に、適当に注文している。頼む品数は、かなり多い。今や装備を買う事の無くなったグレイ達は、お金の使い道が、ほとんど無いのだ。マーリンさんに少しでもお返ししようとしたら、マリアベルにそっくりなほにゃりとした笑顔で、でも断固とした口調で、「君達が迷宮を踏破したら、受け取ろうかな」と断られてしまった。
そんなわけで、猫の散歩道亭に恩返しも兼ねて、あと純粋に猫の散歩道亭の食事は美味しいから、とにかく食べる。食い溜めしておく。迷宮に入ってしまえば、どうしたって食事は簡素になる。
注文が終わった頃に、マリアベルがリーゼロッテと1階の食堂に下りて来る。リーゼロッテの前髪には、ちょっとだけ寝癖が付いていた。寝てたらしい。そりゃまぁ、疲れるよなぁ。
リーゼロッテが席に着くと、「リゼ、寝癖付いてるぞ」とアランが低い声で言った。途端に顔を赤くして、リーゼロッテは髪を押さえる。
「寝癖、付いて無いって、言ったではありませんの……!」
「にゅっふっふ」
「マリアベルの嘘つき!」
「可愛かったから、ついねぇ、嘘ついちゃった」
宿の中だからか、今日はもう迷宮に行かないからか、長い金髪をお下げにして黒い三角帽子とローブを脱いだマリアベルは、チェシャ猫みたいに笑ってリーゼロッテに答えた。
「ひ、ひどいですわ!」
「にゅふふ」
リーゼロッテが寝癖の付いているところを押さえている。でも、手を放したらまたすぐに、ぴょこん、と跳ねた前髪を見て、マリアベルは楽しそうに笑う。
「まぁ、お前の前髪何て誰も見てねーよ、気にするな」
アランが全然フォローになってない事を言った。
「アランもグレイもハーヴェイもマリアベルも見ているではありませんの! もうーっ!」
リーゼロッテは一生懸命前髪を引っぱってるけど、簡単に取れる寝癖ではなかったらしい。手を放したら、また、ぴょこっ、と跳ねる。可愛い。
グレイは思わず半笑いになりかけて、慌てて下を向く。リーゼロッテは気付いたのか、ますます憤慨したように、「グ、グレイまで笑うなんて、酷いですわ……!」とか呻いた。
「ご、ごめん。なんか可愛くて」
「かっ……!」リーゼロッテはもう倒れそうだ。「かわ……あわわ……」
「リゼちゃん、大丈夫?」
隣に座っているマリアベルがリーゼロッテを支えた。
「はぅぅぅぅぅっ……」
リーゼロッテは目が回っているようで、マリアベルにしがみついている。マリアベルはちょっと溜息をついた。
「時々、グレイはずるいよねぇ」
「や、え、う?」
そんなつもりは無かったのだが。ハーヴェイもアランも、違う意味で半笑いだ。いや、そんなつもりは無かったでございますよ?
そんなこんなで話していると、サリーと、給仕の青年が幾つもの皿を運んでくる。
「あんた達、今日も仲良しだこと! “エスペランサ”はこうじゃないと! はい、いっぱいお食べ!」
マリアベルは「わぁい! いただきます!」とか嬉しそうな歓声を上げた。注文していない皿が、1つ多い事に気付いたのか、アランは微妙な顔だ。青年のミス、ではない。
サリーが全ての皿を置いて去って行くと、給仕の青年は――ミーミルの、ごく普通の、そして1年以上前からずっと猫の散歩道亭で夜だけアルバイトをしている、おそらくローゼリットの事が好きだった青年は――アランが頼んでいない、香草を詰めて焼いた鶏肉を置いて、そっと頭を下げた。
「……頑張ってください、“エスペランサ”」
その言葉の意味に気付いている癖に、まるで気付いていないみたいな顔をして、マリアベルがにっこりと笑う。
「はい! 頑張ります!」
青年が去った後の食卓は、戦場だ。男3人とマリアベルで、相争う様に食べる。食べまくる。別に、足りなければ追加で注文すれば良いと、頭の何処かでは分かっているのに、とにかく競うように食べる。ローゼリットと同じく少食のリーゼロッテは、呆れたように、でも楽しそうに、良く食べる4人を見て微笑んでいた。
「マリアベルは、良く食べますわねぇ。細いのに」
リーゼロッテはサリーにデザートを追加注文して、マリアベルのほっぺたをつっつきながら言う。マリアベルは2回まばたきをした。
「うーん、そうねぇ。魔法を使うから、お腹が空くのかなって思ってたんだけどねぇ。違うみたいねぇ」
マリアベル自身も不思議そうに、首を傾げて続ける。
「お兄様もお父様もお母様も、そんなにたくさん食べないの。たくさん食べるのはあたしだけだったから、マリアベルはおっきくなるよーって言われてたんだけど、あんまりならなかったし。残念。にゅすん」
おっきくなる――どころか、マリアベルは小柄な方だし、リーゼロッテの言う通り、華奢だ。リーゼロッテは、楽しくなって来たのか、むにむにとマリアベルのほっぺたをつまみながら尋ねる。
「大きくなりたかったの?」
「そうねぇ。だって、素敵じゃない? 桜花さんみたいに、すらーっと背が高くて、強いのって」
「それは、そうですわね」
マリアベルがさらりと名前を出したのは、ミーミルの3大ギルドの1つ、“桜花隊”のギルドマスターである。いつぞやに6階でご飯を御馳走してくれた翔左と恭右の『姉上』で、今は恐らく18階を探索しているであろう、超凄い冒険者だ。
我らが父は人に二物を与えず、とか言うのに、ギルド“ゾディア”の戦士、ローズマリーのように、ギルド“桜花隊”のギルドマスターも、すっさまじく美人だった。二物与えすぎだった。
もちろんグレイ達はまだ18階になんて到達していない。でも、上層階に向かう時に、ちょうど、階段を下りて来た桜花さんに遭遇した事が、1度だけあった。
翔左や恭右のように、どこか異国めいた服装に、顔立ちの、でも、とんでもなく美人な冒険者だった。
マリアベルの言う通り、すらーっと背が高くて、長い黒髪が艶めいていて、僅かに反りのある長剣を携えた、前衛っぽいお姉さんだった。とんでもなく美人だった。2回言ってみる。ローゼリットとかのお陰で美人には慣れたと思ったけど、まだまだだった。
切れ長の黒い瞳を向けられただけで、グレイは何か平伏しそうになった。そういう、圧力のある美人だった。マリアベルとは、まぁ……。似ても似つかない。
グレイの失礼な視線に気づいたのか、にゅー、とマリアベルが呻く。グレイはちょっと目を逸らす。まぁねぇ、とマリアベルが言った。
「似ても似つかないのは、分かるけどねぇ」
こう言う時に、マリアベルは本当にマリアベルで、魔法使いだと、思う。賢すぎじゃ無かろうか。もしくは、グレイが単純すぎるのか。
ハーヴェイが慰めるみたいに言った。
「マリアベルはマリアベルで、可愛いよ」
「ありがとねぇ」
「……桜花さん、ちょっとおっかなかったし」
「……そうかもねぇ!」
小声でハーヴェイが付け足すと、にゅふふ、と愉快そうに笑った。
「強くて、綺麗な、お姉様。いいなぁ。でも、なれないなら、仕方ないかなぁ。ハーヴェイの、仲良しの、マリアベルでいるね」
「うん、僕達の、仲良しの、マリアベルでいてね」
「にゅーふふ、良いよぉ」
マリアベルは機嫌良さそうに、頷いた。デザートが届いたので、リーゼロッテと分けあってゆっくり食べている。
さて、明日は、じゃない、明後日は、また迷宮だ。良く食べたら、良く寝よう。
デザートまで綺麗に食べ尽くして、席を立つ。何処かから入り込んだのか、猫がにゃあ、と鳴いた。