5-11
6階まで降りてくれば、もう大丈夫、みたいな気分になる。
襲って来る生き物が弱くなるってこともある。まぁ、食料の問題が一番大きい。6階の大広間では、食事を提供している天幕もあるし、携帯食料を売っている天幕もある。安心だ。しかも、普段、迷宮内で拾った物品を売りに行っている『リコリス商店』の出張所まであるから、かなり荷物を軽くすることが出来る。
「“エスペランサ”?」「“エスペランサ”だ」「ハリソン商店のお抱え冒険者」「金にもの言わせやがって」
だけどまぁ、グレイ達に対する評価も、聞こえて来るから長居はしたくない。
いつの間にか、グレイ達“エスペランサ”は良くも悪くも有名になった。
有名人税ですわ、とリーゼロッテはあっさり言ったけど、マリアベルは複雑な顔だ。装備だけじゃ、ないもん、と右側だけ頬っぺたを膨らませていた。
グレイとしては、んー、まぁ、なぁ……みたいな気分だ。ハリソン商店から贈られた装備がなければ、14階にこんなに早く到達することは出来なかったのは、事実だ。
ミーミルの街の、穴熊亭とか、大公宮とかでも、だいたいグレイ達に対する評価はそんなもんだから、ミーミルに戻ると猫の散歩道亭に籠っていることが多い。1日か2日休んだら、すぐにまた緑の大樹に戻る。
緑の大樹の中では、女神さまの采配があるから、この6階の大広間以外で他の冒険者に会うことはまずない。だから、静かで、好きだ。
「……行きましょうか」
ちょっとだけ頬っぺたを膨らませて黙り込んだマリアベルの代わりみたいに、リーゼロッテが一同を促す。アランが、複雑な顔をしているリコリス商店のお兄さんから、色んな品を売った代金を受け取ると、「行くか」と頷いた。
リコリス商店にとって、10階を越えている数少ないギルドである“エスペランサ”は決して悪い客では無いはずだ。でも、冒険者同士の揉め事は他所でやって欲しい、そんな所か。
リコリス商店のお兄さんは、丁寧にグレイ達に頭を下げた。表情を隠すみたいに。さっさと出て行ってほしいと、言うみたいに。
「そうだねぇ。行かないと、ね」
ハーヴェイも最新式の銃を隠すみたいに抱えて歩く。
6階まで降りてくれば、もう大丈夫、だけど、少しだけ悲しい。
カーン、カーン、と広間で木こりが木に斧を入れる音が、不吉に響く。
1年ちょっとで、この大広間は広がった。大広間の隣に通っていた道も、1本大広間にくっついてしまった。
女神さま達に敬意を払い、迷宮の形を人の手で変えることを良しとしない、ギルド“桜花隊”や、“夢追人”は、木こり達の護衛を続けるギルド“シェヘラザード”に正式に抗議をしたとかしないとか。まぁ、政治の話だ。グレイ達には縁遠い話だ――多分。
あと一息、って感じで、5階を通り抜けて、4階と5階を繋ぐ階段のほど近くにある駐屯地まで行きつく。詰めている衛兵を見るなり、マリアベルがぱぁっと顔を輝かせた。
揃いの鎧と、顎まで覆う形の揃いの兜を身に着けているミーミル衛兵の違いなんてグレイ達には分からないけど、マリアベルは何故だか個人の見分けが付く。どうやら、グラッドの兄貴が居たらしい。向こうもグレイ達に気付いたのか、手を挙げて嬉しそうな声音で「おぉ、“エスペランサ”!」と言ってくれた。
「グラッドさん、こんにちは!」
マリアベルがぺこっと頭を下げると、グラッドは天を仰いだ。
「もう、こんばんは、の時間だな。天幕、使っていくか」
「空いてますか?」
「空いてるよ」
「わぁい!」
嬉しそうにマリアベルが弾むと、顎まで覆う形の兜で見えはしないけど、たぶんグラッドの兄貴も微笑んで、黒い三角帽子の上からマリアベルの頭を撫でた。わっしゃわしゃ撫でた。
「にゅーふふー。お借りしますー」
「おう、ゆっくり休んでけ」
本来は、まだ6階の大広間に辿り着けず、でも、夜を迷宮で過ごしたい、そんな新米に毛が生えた様な冒険者の為に用意されている施設だから、グレイ達は普段は使うのを遠慮しているんだけど、グラッドの兄貴がいるし、空いているという事だし、で、つい甘えてしまう。
ミーミルの衛兵からは、マリアベルは相変わらず大変人気だ。それに、リーゼロッテ、つまり、ウルズの王女様がいるパーティに対して、悪態を吐くことは彼等には出来ないだろう。
そんなわけで、駐屯地ではかなりリラックスして過ごせる。というか、天幕に入るなりマリアベルはばったりうつ伏せに倒れて、「にゅすー、にゅすー」とけったいな寝息を立て始めた。リラックスし過ぎだ。リーゼロッテは、眠っているマリアベルが背負ったままのリュックを下ろしてあげることは出来ないか考えて、いつもの通り諦めた。うん。無理だと思う。
アランは天幕の入り口付近に座っている。ハーヴェイは、ちょっとだけ、と呟くように言って、銃の整備を始めた。グレイは荷物を下ろして、とりあえず6階で買ったパンに齧りつく。リーゼロッテは、水筒の水を飲んでいた。
思い思いに過ごしていても、しばらくすると、アランが船を漕ぎはじめ、ハーヴェイが荷物を仕舞って転がり、リーゼロッテがマリアベルの隣に横になる。荷物から取り出した毛布を広げて、リーゼロッテ自身と、マリアベルに掛けてやっていた。
グレイも、低階層には慣れた、6階を過ぎればもう大丈夫、とか思っていても緊張していたのか、目を閉じるなり、即座に眠れた。
起きたら、ローゼリットがいた。マリアベルの横で、くぅくぅと寝息を立てている。
グレイはびっくりするけど、マリアベルもアランもハーヴェイもリーゼロッテも平然としている。ローゼリットが呪われて眠り姫になった? マリアベルがちょっとだけ顔をしかめる。そんな怖い事、言わないでよぉ。
そっか、俺の勘違いか。グレイが言うと、そうだよぉ、とか、マリアベルが歌う様に言い、当たり前だろ、とか、アランが言い、変な夢みたんだねぇ、とかハーヴェイが笑い、実際ここにロゼがいるではありませんの、とかリーゼロッテが言った。確かに、駐屯地の天幕の中で、マリアベルの隣で、ローゼリットは眠っている。教会で、1人ぼっちで氷の中にいたりしない。
良かった。
ほんとに良かった。
ほっとした。良かった。泣きそうだ。何だ、グレイの夢だったのか。良かった。本当に。そうだよな、そんなひどいこと、あっていい訳が無い。
ローゼリットがもう2度と目覚めないかもしれないなんて。
そんなこと。
――そういう夢を見た。
グレイが本当に目を覚ますと、うっすらと天幕の中も明るくなりつつあった。天幕は、あんまり遮光性はないんだ。朝は明るくなるし、夜は暗くなる。冒険者は、明るい所でも眠るのにも慣れているから、困らない。ただ、ミーミル衛兵に守られて、安心して休める場所があれば御の字だ。
さすがのアランも、いい加減5階の駐屯地で警戒するのはやめたのか、入り口付近で横になって寝ている。ハーヴェイも、特に不寝番はしていない。マリアベルは始めから熟睡だ。
マリアベルの横では。
当然だけど、リーゼロッテが眠っている。ローゼリットは、いない。
何か顔が濡れているな、と思ったら、泣いていた。
夢が、幸せ過ぎた。
もう1年も経ったのに。
でも、慣れないことが、少しだけ嬉しい。何度でも傷付きたい。グレイ達の、義務だ。きっと。
1分でも1秒でも、忘れるなんて駄目だ。ローゼリットは今も1人ぼっちで眠っている。冷たい氷の中で。
鼻を啜ったら、「ぅん……?」とかリーゼロッテが起きそうになったから高速で顔を拭う。
傷付くのは義務だけど、でも、泣き顔を見られたいわけじゃない。
身を起こして、リーゼロッテは一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったみたいだ。「おはよう」とグレイが小声で挨拶すると、リーゼロッテは何度も目を擦って、ようやく駐屯地の天幕の中にいるって理解したのか、「あぁ、5階に、戻って来たのでしたわね……」と半分夢の中にいるような声で言って、「おはようございます」と返して来た。
それから、隣のマリアベルを見て、にゅすー、とか幸せそうに寝ているマリアベルを見つめて、少しだけ安心したように笑った。
「どうしたの?」
「誰かが泣いている夢を見ましたの。もしかしたら、マリアベルかしらと思ったのですけれど、違いましたわ」
良かった、とリーゼロッテは囁いた。うん、俺です。ごめん、夢の中に出演して。
リーゼロッテはもちろんグレイの様子になんて気付いていないから、ゆっくりと伸びをしている。グレイ達の話声のせいで起きてしまったのか、ハーヴェイとアランも「おはよぉぉぉ」とか「……おぅ」とか言い出す。最後に、マリアベルが「にゅぅーん……」と唸りながら起き上った。
「にゅ。おはようリゼちゃん」
いつの間にか自分の上に掛けられていた毛布を見て、マリアベルは微笑む。リーゼロッテはちょっと照れたように、素早く毛布を回収した。
「おはようございます、マリアベル」
「にゅふふ」
「だから、にゅって何ですの?」
「にゅーふふふふふ!」
「お前も大概にしつこいな、リゼ」
「うるさいのですわ! アラン」
「にゅーふふふふふ!」
まぁ、そんなこんなで賑やかなまま、朝食を食べる。6階でたんまり買い込んだから、携帯食料とは言え、久々に豪華な食事って感じだ。まだ柔らかいパンに、燻製肉を挟んで食べる。うんまい。けど、温かかったらもっと美味いだろうなー。
「迷宮は好きだけど」
マリアベルも、グレイと同じようにまだ柔らかいパンに燻製肉を挟んで、齧りついて、飲み込んで、言う。
「ご飯だけは、迷宮の外で食べる方が、好き」
「それはな」
「それだけはねー」
アランとハーヴェイも同意する。
「猫の散歩道亭の朝ご飯が楽しみですわ」
小さなナイフで赤い果物の皮を剥きながら、リーゼロッテまでそんなことを言い出す。姉妹揃って、国民に近しいというか何と言うか。
「こればっかりはな」
パンを食べ終わって、グレイは籠手を着け直す。アランやグレイの準備が済むと、ひょいっと魔法使いの杖を握り直して、マリアベルが微笑んだ。
「さて、行こうか」