5-08
おう、とか、うん、とか、ええ、とか答えて、歩き出す。
かつて14階と15階を繋ぐ階段の前に、雷を自在に操る竜がいた事と関係があるのか、ないのか。13階の生き物は、どの生き物も雷精霊の術に耐性がある。それどころか、マリアベルみたいに雷を落として来る生き物もいる。初めて見た時にはちょっと信じがたかったけど、でも、信じられなくても事実だった。認めるしかない。
「あ、そうだ、アラン。ちょっと待って」
しばらく歩くと、思い出したようにマリアベルが呪文の詠唱を始めた。何度も聞いている筈なのに、どことなく、聞き慣れない。普段の話し声とは違う、ちょっと固くて、透き通るような声でマリアベルは呪文を唱えた。
「Geben Sie einen goldenen Zuflucht」
一瞬、アランの身体が発光するように輝く。辺りを照らしたりするような物ではないが、見間違いとも言い難いような明るさである。『雷精霊の守護』。雷から身を守れるようになる魔法だ。この階層でマリアベルが『雷撃』を使うことはまずないし、敵は使って来るから、アランに『雷精霊の守護』を掛けておく判断はかなり正しい。
「すまんな」
「どういたしまして! ……じゃあ、さっそくだよ」
マリアベルは微笑みかけて、やめた。ハーヴェイの鎧がわずかに光っている。
「ごめん! 気付かなかった――」
ハーヴェイが慌てて銃を構える。先制攻撃は、無理だろう。
「大丈夫! 今日まで何回倒したと思ってるの!」
詠唱を後回しにしてでも、マリアベルが一同を鼓舞する。リーゼロッテは『犠牲の代行』の詠唱で必死だ。
「……来るぞ!」
アランが走りながら声を上げた。向こうは、影に隠れて雷精霊との交信を済ませていたのだろう。鼻先に光が弾けている。彼らの使う魔術は、『招雷』と呼ばれている。
「我らが父よ、どうかこの子羊をお持ちください!」
リーゼロッテの『犠牲の代行』が間に合った。雷が落ちる。狙われたのは、グレイ達より後ろ。武器を弓から銃に持ち替えてもなお身軽なハーヴェイは躱したらしい。魔法使いのマリアベルは、魔術に耐性がある。「にゅいぎゅ……っ!」と呻いて、でもすぐに顔を上げて『火炎球』の詠唱に入った。
「きゃっ……!?」
リーゼロッテは頭を抱えてしゃがみ込んだ。『犠牲の代行』で防がれると分かっていても、怖いもんは怖い。のだろう。
とにかく、誰も昏倒したりはしていない。良いことだ。グレイ達は『招雷』を落として来た相手に斬りかかる。
狐、だ。
毛皮の色は雷のような金色。大きさは、相変わらずの迷宮産。大きい。座っていて、グレイと同じくらいか、少し小さいかと言った所か。鼻先は、黒に戻っている。血のように赤いつぶらな瞳は、意外と可愛らしい。
狐――『妖狐』、と呼ばれる雷精霊に愛された迷宮の生き物は、グレイ達を誘うように後退していく。おびき寄せだろう。この先の曲がり角には、迷宮の生き物が控えているに違いない。そう、人外魔境手前の13階ですら、迷宮の怪物達は互いに連携を取り、冒険者を葬らんとしてくるようになっていた。
「どうする?」
「引くか」
狐が曲がり角の陰に隠れてしまうと、舌打ち交じりにアランが答える。妖狐を追って走ったために、マリアベル達と多少距離が空いてしまった。妖狐はまた、雷精霊との交信を済ませたら、『招雷』を放ってくる事だろう。それでも、2人で何が待ち構えて居るか分からない所へ突っ込むのは、あまりにも危険だった。
こちらが引くと、あちらが出て来る。
また、妖狐が『招雷』を放った。リーゼロッテが悲鳴を上げる。その奥からぞろぞろと兎が出て来る。2階でぴょんぴょん襲って来た大型犬サイズの『跳ね兎』を、更に凶悪にしたような『跳び兎』だ。いや、ふざけている様な名前だけど、名付けたのはグレイじゃない。かつての冒険者だ。
兎の毛皮は冒険者の血で染めた様に、真っ赤だ。『跳ね兎』より『跳び兎』の方が1回りくらい大きい。好戦的なのは、相変わらずだ。雷精霊の術に耐性があるのも。この緑の大樹の中で、兎ってのはそういう種族なんだろう。
まとまって襲い掛かって来る跳び兎に、グレイは盾の後ろに身体を隠すようにして、体当たりする。2、3匹撥ねた気がするけど、グレイも勢い余ってすっ転んだ。
「いぃっ……!?」
自分でも信じられない様な凡ミスだ。アランが慌てたように駆け寄って来て、跳び兎に向かって剣を振るう。マリアベルが「Ärger von roten……!」と『火炎球』の詠唱を仕上げの直前で止める。だけど、グレイもアランも跳び兎に囲まれてしまって引けない。
「えいっ!」
ハーヴェイが駆けつけてきて、至近距離から跳び兎を撃った。撃ち殺した。一撃だ。銃は戦場を変えるよ。マリアベルが微笑んでいたような気がする。もはや、必要無いんだろうか。剣は。鎧は。盾は?
「だーっ! 知るかー!」
気合を入れるように喚いて起き上る。盾を振り回すと、脚力と牙は凶悪だけれど、体重は軽い跳ね兎がまた2匹吹っ飛んだ。上手いこと、交信の途中だった妖狐にぶつかって、交信を妨害できたみたいだ。
「アラン! 下がろう!」
「おう!」
「wird gefunden!」
グレイとアランが下がるが早いか、マリアベルが『火炎球』を放つ。
難しいことはマリアベルに考えてもらう。そうしよう。それが良い。グレイは、まずグレイに出来ることを、確実に、堅実に、こなしていくのが一番だ。
「妖狐1匹、跳び兎があと2匹だよ!」
ハーヴェイが辺りを見回して叫ぶ。思ったより、多くない。落ち着け。まだ13階だ。ローゼリットが眠って待っている。こんなところで足止めを食らう訳にはいかない。
跳び兎をグレイとアランが1匹ずつ受け持つと、ハーヴェイが強引にその間を突破した。
「我らが父よ、どうかこの子羊をお持ちください!」
リーゼロッテが『犠牲の代行』をハーヴェイに掛ける。
閃光。と、わずかに遅れて、轟音。
『招雷』がハーヴェイに落ちた。直撃だ。だけどリーゼロッテの『犠牲の代行』は、ふわん、とそれこそ子羊の毛皮みたいな光の盾を生み出して、ハーヴェイを守り切った。
「ごめんねー」
今も昔も変わらない、気の抜けるような掛け声を上げて、ハーヴェイが妖狐の頭を撃ち抜く。こいつさえ倒せば、残りの跳び兎はそこまで怖くない。怖くない? いや、迷宮はいつだって怖いもんだ。
「おぉうぇぁ……」
変な声出た。
来た。増援だ。もちろん、向こうさんの。
ふよん、ふよん、とそれは浮かんでいる。人の魂みてーだな、と初めて見た時アランは言っていた気がする。グレイも同意したかったけど、僧侶のリーゼロッテに、不謹慎ですわ! とかアランが怒られていたからグレイは黙っていた。
マリアベルの放つ『火炎球』とも似ている。青白い光を放って、それはふよんふよん飛んでいる。攻撃手段は体当たりしか持っていないんだけど、見た目通り熱い。凄く。しかもそいつ――正式名称は『彷徨う炎』は、現れる時は凄く群れて現れる。今も、6匹くらいいる。
ふよんふよんと上下に揺れるような跳び方をしている癖に、直進すると決めるとかなり早い。跳び兎を仕留めかけていたグレイとアランの横をふよふよふよっ、と通り過ぎて行く。
「この……っ!」
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
リーゼロッテが短杖で殴りつけて1匹追い払い、マリアベルが『氷槍』を放つけど、6匹中2匹しか当たらなかった。残りの3匹は元気にリーゼロッテやマリアベルに群がっていく。
「熱っ……!?」
リーゼロッテが左手で顔を抑えてしゃがみ込んだ。短杖をぐるぐる振り回して彷徨う炎を追い払っている。
「リゼ!」
アランが跳び兎の頭をかち割るなり、リーゼロッテの方へ駆けよる。彷徨う炎は、見かけに反して、幸いに物理攻撃も効かなくはない。というか、斬ると、粘土を斬ったような、意外なほど確かな手ごたえがある。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
ローブをちょっと焦がしたマリアベルが、再度『氷槍』を放つ。阿吽の呼吸で、アランが『属性追撃』を合わせた。彷徨う炎が2匹地面に落ちる。
「にゅりゃー!」
鎮火するみたいに、マリアベルが地面に落ちた彷徨う炎を足蹴にした。何とか立ち上がったリーゼロッテは、『癒しの手』の詠唱中。
もう何が何だか分からなくなりかけながらも、「あと彷徨う炎4匹!」というハーヴェイの声に励まされる。
「リーゼロッテ、マリアベル! こっちだ!」
グレイは、彷徨う炎も他の生き物もいない後方を示して叫ぶ。マリアベルがリーゼロッテの手を引いた。
「いつもごめんね」
囁くような声で、グレイとすれ違う時にマリアベルが言った。謝るなよ。役割分担だって。そういう事を言ってやりたいけど、それどころじゃない。
『激怒の刃』を使って、彷徨う炎を1匹ずつ落としていく。妖狐や跳び兎に比べたら的が小さいからか、ハーヴェイも短剣に持ち替えていた。
残りの彷徨う炎を4匹、無事に落として、一息――とは行かなかった。マリアベル達のさらに後ろ、足は遅いけれど、とんでもない巨体を誇る亀が迫って来ているのが見える。
「――行こう!」
逃げよう、じゃなく、行こう、といつもの調子でマリアベルが叫んだ。
そうだ。行こう。迷宮の果てまで。一緒に。
必要でも不必要でも、グレイはマリアベルと一緒に行こう。