5-06
「新パターンか」
アランがどうでも良い事に突っ込むと、本当に愉快そうにマリアベルは笑う。
「にゅふ、そうだよぉ。いーち、にーぃ、さーん、しーぃ、ご!」
5歩進んで、地図を取り出す。升目を1マス分、進んだ。
「今、ここで、階段はここ! 明るい内に、12階まで行こうねぇ」
主にグレイの為に地図を指し示して、マリアベル。11階と12階を繋ぐ行程の、3分の2くらい進んだところだった。
「なるほど」
グレイは頷いて――それから、いつの間にかマリアベルが先頭に立っているから、襟首を引っ掴む。
「魔法使いは後ろ!」
「にゅにゅ」
マリアベルは仕方ないなぁ、と言いたげだ。それを無視して後ろに追いやる。
「まったく毎度毎度……」
グレイがぼやくと、まぁまぁとかハーヴェイが笑って先頭を行く。
女神さまの采配はばっちり顕在のようで、他の冒険者とすれ違うようなことはない。ただでさえ、人の少ない10階層以降だ。もう、キース達に会うことも無いんだろうな、と思うと、寂しい様な、ほっとするような、不思議な気分になる。
あの後、1度だけ、キース達パーティと会った。穴熊亭でのことだった。
グレイ達のパーティには、リーゼロッテが入って、慣れないながらも何とか4階とか5階の探索を進めていた所だった。もう、けっこう前だ。キース達は、取り憑かれた様に迷宮に挑むグレイ達と違って、ミーミルの街でグレイ達のことを随分探してくれていたらしい。
キースも、キーリも、泣いて謝ってくれた。そこまでしてくれなくても良かったのに。ジェラルドは心底申し訳なさそうな顔で、「サイクロプスはとにかく僧侶を狙うと、聞いた。僕が、僕が――」と言い掛けたので、マリアベルがジェラルドの口を塞いだ。いいの。と。ローゼリットは眠っているだけだから、と。
『教会の眠り姫』と、ローゼリットが、キース達の間では結びついていなかったらしい。
今更隠す事でもないかな、と、マリアベルが、眠るローゼリットの時を止める魔法を掛けたことを話すと、キースとキーリは手放しで喜んでくれた。ジェラルドも、呪いを解くことが難しいのには変わりないと理解しながらも、死んではいない事にほっとしたみたいだった。
そして。
ああ、今でも思い出すと、胸のどっかが引っ掻かれたように痛む。
かつてサイクロプスによって仲間を喪ったのであろうトラヴィスとシェリーの顔には、驚きと、安堵と――そして、はっきり『狡い』と書いてあった。
どうして、どうして同じ冒険者だというのに。と。
どうして冒険者にありがちな、抗えない筈の女神の定めに、無理矢理抗ってみせるのかと。
鈍いグレイが気付いたのだ。マリアベルが気付いていなかったはずが無い。でも、マリアベルは穏やかに微笑んだ。
「そういうわけですから。だから、大丈夫です。ローゼリットの呪いは、きっとあたしが解きます。だからそんなに気にしないでください。どうか、キース達も元気で」
そうして、それきり、キース達とは会っていない。
もちろん、狭い街のことだから、リコリス商店とか、穴熊亭とかですれ違うことはある。でも、もう彼等と会うことは、無いだろう。
つまんない感傷に浸りながらグレイが歩いていると、曲がり道の手前に来たからハーヴェイが「待っててねー」と言い残して1人で偵察に行く。
「……何、考えてたの?」
マリアベルが慰めるように微笑みかけてくる。
魔法使いに内心を読まれたような気がして、ぞっとするような、ほっとするような、不思議な気分になる。でもまぁ、慣れてきた。よく、ではないけど、稀にあることだ。
「何でも」
「そう」
グレイがはぐらかすと、何にもなかったみたいに、マリアベルは小さく歌を歌う。もう、歌詞もリズムもすっかり覚えてしまった、歌。何ならグレイだって一緒に歌える。迷宮で呑気に歌ったり、グレイはしないけれど。
マリアベルは――身長こそ伸びてはいないけれど、綺麗になったな、と思うことがある。例えばこういう時の横顔とか。幼さが少しとれた。相変わらず食事は良く食べるけど、頬の丸みが無くなったような気がする。携帯食が多くなったからかもしれない。迷宮にこもっている時間は、以前に比べたら遥かに伸びた。
もう、日貸しの『猫の散歩道亭』ではなくて、月単位で貸してくれる宿に移った方が良いんじゃないかって話す時はある。でも、マリアベルが「あたしは移らないよぉ」と歌うように、でも、断固とした口調で言うものだから、その話題は保留、という感じになっている。
でも、いくら環境を変えなくたって、グレイ達の背が伸びて止まらないように、何もかもは変わっていく。急がないと。急がないと。そうしなければ、ローゼリットはグレイ達のことを分からなくなっちゃうんじゃないかと、思う。
「……ダメだー、右にいるや」
ハーヴェイがしょんぼりと戻って来る。
「にゅ、残念。そうしたら、迂回しないとねぇ」
マリアベルが地図を広げて、実際の地形も見て、こっちね、と左を指差す。十字路に、そろそろと5人で向かう。右を見ると、ハーヴェイが、いる、と言った奴が居た。
昼間は眠っているらしくて、動かない。横になったそいつの巨体は道をほとんど塞いでいる。人1人ずつなら何とか横を通れなくも無いかも知れないけど、いくら寝ているっていったって、横を通り抜ける度胸はグレイには無い。
何ていうか、やばい。そういう外見をしている。亜竜の1種だと言われているけど、御伽噺で語られる、勇猛で凶暴で、でも何処か美しい、そういう竜と違って、そいつには禍々しさしかない。
6本の首に、3本の尾。ぬめるように輝く鱗は毒々しい紫。何かもう、絶対に近付いてはいけないような威圧感がある。
ちなみにギルド“ゾディア”がこの眠っている『紫鱗竜』を狩るのが大好きだってのは、半ば公然の秘密だ。登りにせよ下りにせよ、彼らが12階を通り過ぎる度に、紫鱗竜が一掃される。4階のカマキリみたいに。12階がえらく通りやすくなっている時には、グレイ達は天を仰いで「ありがとうございました」というのが常だ。
「ハーティアは、しばらくここを通ってないのねぇ」
マリアベルが残念そうに言って、とことこと歩く。
ギルド“ゾディア”の魔法使いは、かつてマリアベルに「すべての竜を、狩り尽くす」と告げた。マリアベルが「迷宮を、踏破する」と言うのと同じ調子で。つまり彼は、そういう風にしか生きられないのだろう。
「それにしても、魔法使いと言うのは、難儀なものですわね。あんなに恐ろしい竜を、毎回倒さなければいられないなんて」
にゅふふ、とマリアベルは笑う。
「そうしないと、生きて行けないの」
「あなたが迷宮から離れられないように」
「そう」
マリアベルが、ひょいっ、と1つ大きく弾むと、魔法使いの黒い三角帽子が飛んで落っこちかける。けど、落ちない。相変わらずの不思議形状を保っている。長い金髪が浮いて、ふわりと背中に落ちた。
「リゼちゃんが、朝夕のお祈りを欠かせないみたいに――かな?」
「どうかしら?」
リーゼロッテが首を傾げると、1つに束ねた長い髪が肩からこぼれ落ちる。ローゼリットに少しでも似ないようにするためか、はたまた単純に邪魔だからか、いつからかリーゼロッテは長い髪をポニーテールにしていた。
「どうだろうねぇ」
「お前ら、ちょっとは静かに歩け」
アランが苦笑いをして振り返る。はぁい、とか、ふん、とか後ろで2人が答えた。




