5-04
そうしてハーヴェイ達は歩いている。
んだけど。
「にゅーわーぁぁぁ!!」
「マリアベル!?」
つるっつるに凍った地面に滑って、変な悲鳴を上げながら転んだマリアベルに手を差し伸べている余裕は、ハーヴェイにはちょっと無い。非道だと思われるかもしれないけど。いや、もしも転んだのがローゼリットだって、手を差し伸べている余裕はない。ない……よ? 多分。いや、どうだろうな……。
ハーヴェイはごにゃごにゃ考えながら、それでも出来るだけ冷静に照準を相手に合わせる。早い。純白の毛皮を持つ狼は、一時たりとも足を止めずに跳ね回っている。
リーゼロッテが慌てたように詠唱を中断させて、マリアベルに手を貸して起こしてやった。あーあ、と内心思わなくもないけど、やっちゃったもんは仕方ない。それに、リーゼロッテも呑気に詠唱してる場合じゃなくなっていた。
「このぉっ!!」
マリアベルに半分手を貸したままの不十分な姿勢のまま、リーゼロッテが短杖を振り抜いた。雪で出来た滴型の身体に、やっぱり雪で出来た短い手と足が生えていて、黒石が目と口を作っている。そんな生き物(?)が、リーゼロッテに砕かれる。放っておくと、どんどんどんどん仲間を呼んでくるから、早めに倒すのが重要だ。
『冒険の終わり』、と詩的な名前で呼ばれるその生き物(?)は砕くと10匹――ではきかないけれど100匹に1匹くらいは、体内に希少金属の塊を含んでいて、それはそれは大層高値で売れるという。
雪が降り出す9階から現れ始めるから、10階の氷の魔人に挑む力量の無い冒険者達は、9階で『冒険の終わり』を狩って、狩りまくって、大金を手にして、そうして緑の大樹から去って行く。そういった事情があって、かつての冒険者はこの生き物(?)に『冒険の終わり』なんて名前を付けたのだろう。
ハーヴェイ達が居る11階では、比較的簡単に倒せる『冒険の終わり』だけじゃない。今、まさにグレイとアランが相手取っている純白の狼、『スノーウルフ』や、今、ここにはいないけど、突然頭上から襲い掛かって来る『スノーバード』や、直接攻撃がほとんど効かない、頑強な甲羅を持つ『スノーカブト』など、多種多様な生き物が生息している。
どいつもこいつも、頭に『スノー』が付いてるのは、ハーヴェイのせいじゃない。かつての冒険の偉大なセンスだ。あとまぁ、みんな白いのは事実だし。
スノーウルフの動きは早すぎで、銃で狙えそうにないから、ハーヴェイは武器を短剣に持ち帰る。誰も彼も手一杯だから、声に出す。
「ごめん、スノーウルフ撃てそうにないから、『冒険の終わり』を仕留めに掛かるね!」
「了解!」と籠手をスノーウルフに齧られながらグレイが、「仕方ねぇな!」と足を止めたスノーウルフに斬りかかりながらアランが、答える。
「Ärger von roten wird gefunden!」
転んでけっこう痛かったのか、腰に右手を添えながら、マリアベルが『火炎球』を『冒険の終わり』の群れに向かって放つ。群れ、だ。もう6匹くらい集まっている。早く倒さないと。
6匹を放っておくと、すぐに12匹になって24匹になる。単体ではそう強くないけれど、ある意味では恐ろしい敵だ。
『火炎球』の爆発に巻き込まれて、3匹が倒れた。残りの3匹が、また3匹仲間を呼ぶ。『冒険の終わり』が仲間を呼ぶときに発する高い声が、やけに耳に付いた。
木々の奥から続々と現れる3匹を、マーベリックから譲り受けた短剣で手早く仕留める。マリアベルの家から、もっと良い短剣を貰う事も出来たけど、この短剣は手放したくなくて、今も使っている。とはいえ、迷宮を踏破するには役者不足の感が否めなくて困っていたら、マリアベルのお兄さんのマーリンさんがあっさりと教会に話を通して、短剣に特殊な強化を掛けてくれた。
本来なら、相当な伝がなければ――それこそ、ギルド“ゾディア”みたいに街に貢献しているか、大僧侶とは言わなくても、かなり高位の僧侶でなければ頼れない様な伝を使って、掛けて貰った強化は切れ味の強化と、自己修復の機能だ。
呼んで文字の通り、何とこの短剣、刃こぼれしても勝手に直る。そんなとんでもない強化を付与して貰うために、ハリソン家が教会に幾ら寄進したのか、想像もつかない。マリアベルは、ハリソン家の長女は、気にしなくていいんだよぉ、とのんびり笑う。いや、気にしろよ、とアランがマリアベルの頭を軽く小突いていた。のはさておき。
『冒険の終わり』は、その短剣であっさりと裂けた。1匹を裂いて、仲間を呼ぼうとしているもう1匹に駆け寄って蹴り飛ばす。雪で出来た脆い身体は、それだけで半分くらい崩れる。崩れかけても尚、仲間を呼ぼうとする『冒険の終わり』の頭頂部に、短剣を叩き込んだ。
「ハーヴェイ! 右斜め後ろにもう1匹! それでおしまい!」
「ありがとう!」
マリアベルに言われて、振り向き様にまた1匹仕留める。
「どういたしまして!」
答えて、マリアベルは詠唱に掛かり――は、しない。というか、してもスノーウルフとグレイとアランの距離が近すぎる。リーゼロッテの『犠牲の代行』で、マリアベルの魔法を防ぐことは出来るけど、如何にも手間だ。大体、見ている間にもグレイとアランは2人掛かりでスノーウルフを倒せそうだし。
だからハーヴェイは、あえて周囲に視線を飛ばす。周囲。スノーウルフ1匹だけで追加無し。上空――ほらね。
「マリアベル! 上からスノーバードが来てる!」
「にゅい!」
マリアベルは高速で『雷撃』の詠唱を開始する。リーゼロッテが、その傍らで短杖を握り直した。ハーヴェイも、一直線に落ちて来るような勢いで襲い掛かってくるスノーバードに銃を向ける。撃つ。けど、駄目だなって感触があった。派手な音を立てて飛んでいった銃弾は、実際、スノーバードの羽にしか掠らなかった。
スノーバードの鋭い嘴を打ち返すように、リーゼロッテが短杖を長く持って振るう。当たらなかったけれど、スノーバードはまた上昇した。
「Goldenes Urteil wird gegeben!」
上昇しつつあるスノーバードを、さらに上から落雷が襲う。スノーバートは落ち掛けながらも、嘴をマリアベルに向けて来る。
「にゅわわっ!?」
「やぁっ!」
再度、リーゼロッテが短杖でスノーバードの嘴を払う。横に飛んだスノーバードは、丁度スノーウルフに上段から長剣を振り下ろしている所だったグレイの背中に当たった。
「うわっ!? 何!?」
「ご、ごめんなさい!」
言いながら、リーゼロッテはスノーバードに駆け寄る。確実に、短杖で頭を潰して仕留めた。雪が、赤く染まる。
「スノーバードをねぇ、リゼちゃんがえいってやったら、グレイの背中に飛んでいっちゃって」
マリアベルがまったりとした声で告げると、グレイも何となく状況を察したらしい。
「あー、それで」
グレイは頭を潰されたスノーバートと、じゃっかん気まずそうなリーゼロッテを見比べる。
「ともあれ、お疲れ、かな。もういないか?」
「もういないよー」
これは、ハーヴェイが答える。ローゼリットがパーティから抜けて、戦闘の様式はちょっと変わった。ハーヴェイは全体を見回す役割を受け継いだ――かもしれないし、みんなにちょっとずつ分担されたかもしれない。一言で、はーい、こう変わりました、とは言い難い。
さっそくという感じで、アランとマリアベルは『当たり』が無いか、『冒険の終わり』の死骸(?)を漁っている。
「ねーなー」
「ないねぇ」
希少金属は、そう簡単には出て来てくれないみたいだ。というか、ハーヴェイ達は、今までそれこそ100匹以上『冒険の終わり』を倒したと思うんだけど、希少金属の塊を拾ったことはない。引きが悪いのか、あるいは、君達には必要ないでしょう、と女神さまが判断したのかは微妙だ。
スノーウルフと正面からぶつかったグレイは、いくら鎧の性能が良くたって多少の怪我は避けられない。リーゼロッテが手当てをしていた。
「マリアベル」
グレイの手当てが終わると、リーゼロッテはマリアベルを手招きした。
「にゅぅん?」
マリアベルは首を傾げる。
「あたしは怪我してないよぉ?」
「転んだでしょう。痣になっていたら、大変だわ」
「自分で滑って転んだだけだし、大丈夫だよ」
「ダメですわ!」
有無を言わせず、リーゼロッテはマリアベルに短杖を向ける。
「我らが父よ、慈悲のひとかけらをお与えください」
「リゼちゃんは心配性ねぇ」
マリアベルはすこぉし悲しそうに微笑んだ。リーゼロッテは心配性だ。それから、ローゼリットも心配性だった。マリアベルのことになると、特に。
そういう事を、思い出してしまって、いるのだろう。ハーヴェイがそうだから、分かる。
たぶんマリアベルと似たような表情を浮かべて、マリアベルと目を合わせる。そうねぇ、と言わんばかりに、マリアベルは黙って頷いた。
「魔力切らすなよ」
「アランが怪我をしなければ良いのですわ!」
偉そうに言ったアランに、強気に言い返す。この辺はリーゼロッテならではだ。
「お前な、前衛に無茶言うなよ」
「あら、グレイとは違ってアランはちょろちょろ走り回っているだけなのですから、大丈夫でしょう」
「ちょろちょろってな」
「ふん!」
「にゅふっ、リゼちゃんとアランは仲良しねぇ」
マリアベルに言われて、リーゼロッテとアランはお互い不本意そうだ。でも、否定はしなかった。否定してもドツボに嵌まるだけだって分かってるんだろう。基本的に仲の良い従兄妹だ。
「……参りましょうか」
「だな」
リーゼロッテとアランが言う。「そうねぇ」とマリアベルが腰を撫でて言い、未だにリーゼロッテとアランの言い合いに慣れないグレイが「……行く?」と恐る恐るみたいな感じで2人の顔を窺った。
「行こうか」
ハーヴェイがマリアベルの真似をして言うと、ほにゃりとマリアベルが笑う。
「ハーヴェイ、まねっこー」
「真似したー」
笑って――そうだ、ローゼリットが居ないのに、楽しいことも、嬉しいことも、ある。それが何だか酷い裏切りのような気がして、笑う度に、何処かが痛む。泣きたくなる。でも、その痛みも少しずつ薄れていく。ローゼリット。ローゼリット!
世界で一番大切な少女の名前を呼ぶ。
どうしました? と答えてくれる人は、いない。
だからハーヴェイは歩く。歩く。歩いて、行く。