5-03
ローゼリットがパーティから抜ける事になって。
困ったことは、僧侶がいなくなることだけじゃ、なかった。
指揮官がいない。
ローゼリットはグレイ達のリーダーのような役目を担っていて、いつでもマリアベルを確実に守って、グレイやアランのような前衛に後ろから的確な指示を飛ばしていてくれた。とはいえグレイ達だって、1年近くやっていたんだから、阿吽の呼吸というものがあるだろう――とは甘かった。甘すぎた。いや、2階や3階や、4階あたりまでならどうとでもなった。でも、それから先が大変だった。
リーゼロッテはリーゼロッテなりにすごく頑張っていたけれど、来ると思っていた回復が来ず、こないと思っていた支援の法術が飛んでくることが多々あった。退避の指示が来ないから、マリアベルの魔術に巻き込まれかけて、慌てて躱したらそこを狙われて酷い目にあったことも、あった。周りを見回している人がいないから、ダチョウを相手にしている間に、カマキリが寄って来てえらい目にあったことも、あった。
グレイ達は、何かをもう1度組み立て直さなきゃいけなかった。
その為に、グレイもアランもハーヴェイもマリアベルもリーゼロッテも頑張った。今までは黙っていても出来たことが出来なくなったのだ。そうしたら、声を出して、頼むしかなかった。回復が欲しいのか、支援が欲しいのか。声に出して、尋ねるしかなかった、魔法は何を使うのか、敵はどれくらいいるのか、どれを誰が受け持つべきか。
武器の性能にも助けられて、何とか再び7階まで到達することが出来るようになるのに、3か月近く掛かった。
そうして、もう1つの問題にぶち当たった。
記録者がいない。
グレイ達は、この1点に関しては完全にローゼリットに頼り切っていた。他の誰も、手伝おうとすらしなかった、出来なかった、作業だった。
縋る様にリーゼロッテを見てしまったけど、リーゼロッテも困ったように首を振った。
「ち、地図など描いたことがありませんわ……!」
せめて、とマリアベルが羽ペンと羊皮紙を取ったけど、結果は惨憺たるものだった。繋がるべきではない所で道が繋がって、交差すべきところでは道は重ならず、何度も書き直されて地図は真っ黒になった。泣きそうな顔でマリアベルは「何で読めるのに描けないんだろう!」と天を仰いだ。女神さまに抗議するみたいに。何とか涙を堪えるみたいに。
でも、やるしかなかった。
ある時アランが思いついて、羊皮紙に縦横等間隔に線を引いて、5歩進むごとに1マス塗り潰すようにして地図を描き始めてからは、何とかそれなりの精度の地図が得られるようになった。その時のマリアベルの喜びようったらなくて「アラン大好きー!」とか言ってアランにぎゅいぎゅい抱き付いていた。
鎧の上からだったし、マリアベルだし――とかグレイが思っていたら、予想の斜め上を行くくらいアランが顔を赤くしていて、おや……? みたいにグレイが思ったら、リーゼロッテが、どうです言いましたでしょ? みたいな顔をしていて、何かアレだった。アレってどれだ。
ちなみにその後の進展は無いらしい。らしいというか、グレイが見ている限りは、無い。あってもいいと思うけど。とか物見高く思ってしまうのは、ローゼリットが居なくなった当初の時よりは、人生に余裕が出て来たのかもしれない。
辛い悲しいしんどいと、どんなに思ったって、あの日サイクロプスの前でローゼリットが倒れた時の、その後に大僧侶に「この呪いを解く術を知る僧侶は、この世にはいない」と言われた時の絶望に比べたら、どんな痛みも軽く思える。思えて、しまう。傷は少しずつ塞がって行く。ローゼリットが居ないままに。
かなり、嫌だ。
マリアベルそれが許せなくて、自分で傷を抉るみたいに、毎月ローゼリットに会いに行っている。魔法がきちんと掛かっているかの確認だよぉ、とマリアベルは笑うけど、多分まぁ、嘘だろう。毎月、よろよろしながら帰って来ている。
ハーヴェイはそれに同行したかったみたいだけど、教会で他の僧侶さんに止められてローゼリットの寝所には入れなかったらしい。寝所、だ。考えてみれば男のハーヴェイが入れないのは当然なんだけど。
マリアベル曰く、ローゼリットは年齢を取らないまま氷の中で眠り続けているらしい。
ずぅっと、あたし達の、ローゼリットよ。
自分で自分の首を絞めるみたいに、マリアベルは笑う。
グレイ達のローゼリットであって、良いはずが無い。ローゼリットはローゼリットのものだ。だけど今の状況では、そうとしか言いようが無かった。グレイ達のローゼリット。麗しいウルズの眠り姫。
ちなみに、噂では、『迷宮を踏破した者は、麗しの姫を得るだろう』と語られているけれど、リーゼロッテは鼻で一笑してみせた。「あの陛下が、ロゼをどこの馬の骨ともしれぬ者に与えるはずがありませんわ」と。
どこの馬の骨とも知れぬハーヴェイは、分かってたけど、落ち込む、みたいな顔で下を向いてしまって、リーゼロッテは慌てて「しゃんとなさいな! ハーヴェイ」とか背中を叩いて励ましていた。そういう人間関係らしい。
そしたらマリアベルがほにゃほにゃ笑って、「そしたらハーヴェイ」とか言った。
「迷宮を踏破して、ハーヴェイのお父さまとお母さまが良いよって言ったら、ハーヴェイ、うちの養子になる?」
「え……?」
ハーヴェイは弾かれたように顔を上げる。
「ハリソン商店の、次男」
マリアベルは噛んで含めるように説明した。
「で、迷宮踏破者。ラタトクス細則第8則もあることだし、陛下だって、そうそう軽んじることは出来ないと思うけど」
ラタトクス細則第8則ってのは、緑の大樹の頂点へ辿り着いた者へは、ウルズ王より褒美を与える。というあれだ。
ご褒美にローゼリット、というのは何だか変な気分がするけど。でもまぁ、対外的には認められてもおかしくはない。王より富める――という枕言葉を持つ大商家、ハリソン家の次男で、ローゼリットの呪いを解いたパーティの一員で、ローゼリットだって知らない相手じゃない。
ぼんやりとマリアベルの顔を見つめ返すハーヴェイの代わりみたいに、アランとリーゼロッテが勢い込んで言った。
「それで頼む!」
「お願いしますわ!」
「にゅ、ふふふ!」
マリアベルは嬉しそうに笑った。
「アランとリゼちゃんはハーヴェイ想いねぇ」
「え、で、でもクロフォードのお父さんとお母さんが」
ハーヴェイは困惑したようにアランの両親の名前を出したけど、アランは至極真面目な顔でマリアベルに繰り返した。
「それで頼む。ハーヴェイの親代わりの俺の両親だって、手放しで喜ぶはずだ」
「……にゅ? アランのご両親が、ハーヴェイのお父さまとお母さまなの?」
マリアベルは何が何だか分からないなぁ、といった風に首を傾げた。
確かに。
ハーヴェイの名前は、ハーヴェイ・チューリングで、アランの名前はアラン・クロフォードだ。アランとハーヴェイが兄弟って事はないだろう。
きょとんとしたマリアベルやグレイの顔を見て、アランは頭を掻いた。
「そういや話してなかったか」
「にゅーん? 色々あるのねぇ」
マリアベルはふわっとまとめようとしたけど、ハーヴェイが口を開いた。
「僕の両親、子供の頃に他界しちゃって。で、僕はアランのおうちでお世話になってるんだ」
「にゅにゅ……」
ほんの少し、悲しそうにマリアベルは眉を寄せた。でも、ハーヴェイがあんまり悲しそうじゃなかったから、すぐに眉を元の位置に戻した。
「……ハーヴェイは、幸せ?」
「幸せだよ。アランの両親に引き取られて、ローゼリットに出会えて、一緒に冒険者になって。僕は本当に幸せ者だ」
その言葉には多少の痛みが含まれていたものの、嘘では無さそうだった。
マリアベルはひょいっと手を挙げてハーヴェイの頭を撫でる。
「にゅい。良く言いました。褒めて遣わすのです」
「褒められたー」
ハーヴェイもへらっと笑う。
「つーかロゼだけかよ」「私達は……?」とかアランとリーゼロッテは呆れたように言いながらも、優しい顔でハーヴェイを見守っていた。
ハーヴェイと手を繋いでくるくる回って踊りながら、マリアベルは傲慢に、残酷に笑った。
「そしたらハーヴェイ。あたし達、どうしたって、誰より早く迷宮を踏破して、女神さまに会わないとねぇ」
「……そう、だねぇ」
遠くを見てハーヴェイは頷いた。ぱっ、と手を放したせいでマリアベルが2、3歩つんのめる。アランが転びそうになったマリアベルを支えた。
「にゅ。ありがとねぇ、アラン」
「おぅ」
「でも」
ハーヴェイは怖々とマリアベルを見つめた。
「誰よりも早く、踏破しなきゃ、駄目かな。やっぱり。2番とか、3番じゃ、駄目かな」
「そう、ねぇ……」
マリアベルはアランと手を繋いだままで、ほんの少し目を細めた。
「女神さまが何回も出てきてくださるとは限らないからねぇ。最上階に、いつでもいらっしゃるって分かってるなら良いけど、そうじゃないし。迷宮を最初に踏破した人だけに、ご褒美でお目通りが叶うなら。そうしたら、あたし達は誰よりも早く踏破しなきゃいけない」
「“ゾディア”よりも、“カサブランカ”よりも、“桜花隊”よりも、早く」
「そう」
「今、14階で足止めを食らってる僕達が、18階を行くあの人達よりも、早く」
「そう!」
マリアベルは、ともすれば引きつりそうな顔で笑う。
「だから、急がないと。早く、行かないとねぇ」
アランからそっと手を放して、マリアベルは杖を掲げた。
「さて、行こうか」
魔法使いは、止まらない。グレイ達も、止まれない。
迷宮の、果てまで。