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「……まさか、ハリソン商店の“放蕩娘”はあなたですの?」
いつぞやと同じような会話だった。アランは「すまんリゼ、書き忘れてた」とか言っていた。マリアベルはくるくると長い金髪を指に巻き付ける。
「にゅーふふ、そうねぇ、そう呼ばれてるのは、知ってる」
「ハリソン商店の長女がどうして冒険者など! 危ないのですから、すぐにお止めなさいな!」
「リゼちゃん、鏡見る?」
「くっ……!」
リーゼロッテはよろめいた。確かに。でも、リーゼロッテは負けなかった。
「わ、私は陛下の御命令で! 止められないのですわ!」
「あたしは、止められないわけじゃないけど、止めないよぉ。だって、魔法使いだもん。迷宮に挑むのを止めたら、魔法使いじゃ、なくなっちゃうもん」
「あ……」とリーゼロッテが小さく呻いた。マリアベルは魔法使いだ。そして魔法使いはローゼリットに魔法を掛けた。ローゼリットの時を止めて、永遠の命を保障する魔法を。マリアベルが魔法使いであることを止めたら。
「それはその……そうでしたわね……」
リーゼロッテはしょんぼりと椅子に座り直す。
「気にしないで。ところでアラン、書き忘れてたって、なぁに?」
耳聡く聞いていたらしい。アランが、「ロゼの母親に近況報告の手紙を……」とか説明を始めて、リーゼロッテが、その手紙をクロフォード家に回していた事を言及するとアランは頭を抱えた。
「もう2度と、手紙は送らねぇ」
「なぁに? ご家族に知られたら困る様な事を書いてたの?」
「書いてねーよ」
「じゃあ、良いじゃない」
「……良くない」
「にゅーん?」
マリアベルは首を傾げる。リーゼロッテが不思議そうに、尋ねた。
「にゅって、何ですの?」
「にゅ」
「えぇ、その、にゅですわ」
グレイとしては、初めて出会った時から確かにゅいにゅい言ってたから、それがマリアベルだと思っていたのだけれど。まさか突っ込む人が現れるとは。マリアベルは当然の事を子供に教える大人のように微笑む。
「にゅいにゅいはにゅいにゅいだよ」
「……え?」
「にゅいにゅいはにゅいにゅいなの」
「えぇぇ……?」
いっそ哲学的ですらある回答だった。嘘だ。滅茶苦茶だ。リーゼロッテ、可哀想に。
「にゅいにゅいはにゅいにゅいだ」
「にゅいにゅいはにゅいにゅい何だよねぇ」
とか調子に乗ったらしいアランとハーヴェイも言い出す。
「だ、だから何ですの……!?」
「にゅいにゅーい」
楽しそうに言って、マリアベルは扉の方に目を向けた。と、ここんっ、とリズミカルに叩かれる。
「お兄さま!」
「やぁ、待たせてすまないね。ちょうどお客様が来てしまっていて」
「そんなに待ってないよ、お兄さま」
「それは何より」
「それでね、お兄さま」
マリアベルは無邪気に笑って両手を差し出した。
「武器と防具、くださいな。迷宮を誰よりも早く踏破出来るくらい。ハリソン商店が持っている中で、一番良い武器と防具を5人分ちょうだい。お金は、無いけど」
ひぃぃぃぃぃ! マリアベル!
兄妹の仲の良さを知っているグレイでさえ、ぞっとした。隣のリーゼロッテは卒倒しそうだ。ハーヴェイも顔を引きつらせている。アランは悔しそうに黙って俯いていた。
そして、マリアベルの兄さんのマーリンさんは、穏やかに微笑んだ。
「良いよ。今、コリンズさんに用意してもらうから、ちょっと待っておくれ」
しかも快諾だった。リーゼロッテが慌てて立ち上がる。
「いっ、頂けませんわ!」
そうだ。それしかない。グレイ達が断るしか。マリアベルの分は、貰えば良い。マリアベルは実の妹だ。しかも魔法使いのローブ位なら。
だけどグレイ達はそうはいかない。鎧だなんて、高級品だ。高級品の高級品とか、訳が分からない。こんな簡単にぽんと受け取っていい筈がない。
「リゼちゃん」
マリアベルの声は穏やかだった。声は穏やかなのに、その瞳は苛烈だった。緑の大樹のようだ。その恐ろしいまでの極端な二面性が、今や違和感無く同居している。
「だけど、あたし達は迷宮を踏破しなきゃいけないんだよ。分かっているよね?」
「でもっ……でも、あなたは“放蕩娘”でしょう。だというのに、お兄様に、お家に、ご迷惑をお掛けするなんて、いけないことだわ」
「リーゼロッテ姫、構わないのですよ」
マーリンさんがリーゼロッテを宥める様に言う。
「父も承知の上です。私達にとって、マリアベルの安全の役に立つのならば、5人分の武器と防具など安い物なのですよ」
「そんな……」
絶句するリーゼロッテの横にアランは立つと、リーゼロッテの頭を掴んで、自分と一緒にマーリンに頭を下げさせた。
「お世話に、なります」
「あぁ、アランくん、姫君に頭を下げていただくわけには。マリアベルの願いです。私の可愛い妹であり、父にとって目の中に入れても痛くないほど大切な娘であるマリアベルの願いです。私達が、好きで叶えるのですから、お気になさらず……それにしてもマリアベル。驚いたよ。君がハリソン家を頼りに来るだなんて」
「悪い魔法使いになることに決めたの」
マリアベルはほにゃほにゃ笑って、マーリンに答える。
「お兄さまとお父さまの、優しさと愛情に付け込むの。そういう、目的の為なら、何でもする悪い魔法使いになるって、決めたの」
「悪い魔法使いでも、良い魔法使いでも」
マーリンはマリアベルの頭を撫でようとして、やっぱり外した。ほんの少し肩に触れて、続ける。
「君は私の可愛い妹だ。父上の大切な娘だ。私達が愛している事を、どうか忘れないで」
「そう、ねぇ……」
でも、迷宮へ、行くけど。
マリアベルの緑の瞳はそう語っていた。
あらゆる富の欠片と、怪物と、死者に満ちた迷宮へ、行くけど、と――。