14
2階でアラン達と分かれて、部屋に戻る。誰もいない。まぁ、受付に鍵が預けられていたのだから当然だろう。朝から緑の大樹に入って、出てきて、大公宮、リコリス商店、屋台街と回って今だ。途中で防具を置きに来れば良かったかもしれない。疲れた。
そんなことをグレイは考えながら、剣と鎧を外して伸びをする。そのまま寝そうになったが、何とか堪える。風呂はまだやってるよな、多分。というか、マリアベルはそっち行ってるのか? とか考えながら、グレイは着替えを漁った。
鍵を受付に預けて、沐浴場に向かう。と、またアランとハーヴェイに会った。2人も同じように、防具を外して、着替えを持っている。
「よ」
「ま、そうだよな」
「だよねー」
軽く手を上げて言い合う。
沐浴場は共用で、正直、あまり広くなかった。他の宿泊客と時間が被ると、気まずそうな感じだ。幸いにして、3人しかいなかったので遠慮なく洗い場に入る。
「僧侶ってすげーな、全然、怪我の跡が無い」
手足を確かめて、グレイが言う。アラン達は慣れているんだろうけど、グレイにとっては非常に新鮮な感覚だった。
「減った血の分は、『癒しの手』じゃ戻せないから無理するな、とはロゼがいつも言ってるけどな」
「いや、でもすごいだろ。ほんと凄いぞコレ」
アランはそう言うものの、グレイにはまさしく神の奇跡としか思えない。とりあえずお湯に浸かってもしみない奇跡である。
「ローゼリットは、すごいんだよー」
ハーヴェイがお湯に浸かりながら、とろけるような顔で言う。幸せそうだな―、とか呑気にグレイは思う。
何となく会話が途切れて、黙ってお湯に浸かっていると、不意に壁の向こうが騒がしくなった。
『あ、やったぁ。貸切だよー』
『本当ですか? 良かったです』
物凄く聞きなれた、声だ。待て待て、思わずグレイは立ち上がりかけ――やめた。いや、慌ててこちらが出る必要は無いですよ?
「向こう……」
超小声で、アランが壁を見ながら言った。お前、あんなに他人事顔してたくせに、とグレイは思うが、場合が場合だ。完全に水に流して、アランが見つめる壁の方を、グレイも見る。
恐らくというか、間違いなく、壁1枚隔てた先は女湯なのだろう。壁は天井まであるが、2か所、通気孔がある。そこから声が通るようだ。
『うにゅふぁー、疲れた―』
マリアベルの変な溜息と、水音。いや、別にグレイはマリアベルのことは、緑の大樹に登るパーティの仲間だとしか思っていないわけだが。何というか、何となく。
『随分、歩きましたからね』
ローゼリットの声は、大きくない割に良く通る。マリアベルも、実際は声が大きいわけではないのだが、しょっちゅう変な声を出す割に滑舌が良いのか、要するに良く聞こえる声だ。きっとそのせいに違いない。別に全神経を耳に集中させているわけでは。
『ねー……うむにゅう』
『どうしました?』
『うーん、あのねぇ、うん、その、ちょっと思っただけ』
マリアベルにしては珍しく、切れが悪い。ちょっと黙って――まるで、耳を澄ませるように。『うーん、向こう誰もいないのかなぁ。水音しないなぁ』とか言った。
どうする――? マリアベルは、決して頭が悪くない。というかむしろかなり回転が速い方だ。声が聞こえて来なくても、宿の構造上、隣が男湯であることを間違いなく理解している。思わずアランとハーヴェイと顔を見合わせる。ここで、いることをアピールした方が良いのだろうか。
ハーヴェイが、まったく水音を立てずに首を振った。お前……と言いたそうな顔をアランはしたが、そのくせ声も出さないし、まったく動かず水音も立てない。いや、アランもだろ、とかグレイは思うが、やはり、何も言わない。
『誰かいませんかー?』
マリアベルは相変わらずの効率優先の直球さで声を上げた。
まずいか? ここで黙っているのは罪か? グレイはやはり思うが、気付いている。決して自分が返事をしないことに。ハーヴェイは、いっそ、ここで声出したらお前らは味方じゃない、みたいな顔をしているし、アランはじゃっかん気まずそうだが、味方のようだ。うん、まぁ、そんなに悪いことしてないよな? 俺たち。とかグレイは思う。
『いないみたいですね』
ローゼリットが言うと、『うん』とマリアベルが頷いたようだった。そして、『あのねぇ』と続ける。
『ちょっと……その、ローゼリットって、着痩せする方だなぁと、思っただけ』
『えっ……あ、えと、えぇ、そう、ですか?』
『うん。あ、別に悪い意味じゃなくて、ローゼリット、見た通り細いよ? でも、その割には胸、おっきいよね』
マリアベルー!!
3人は間違いなくその瞬間、心中でその名前を絶叫した。
『そ、そんなことはありませんよ。あの、普通に、太っている、だけで』
『そんなことあるよー。腕とか、脚とか、見た感じ、あたしとそんなに変わんないし……でもあたし、ちっちゃいんだよね……』
『……気にするほどちいさくは、無いと思いますけど』
『そうかなー。もうちょっと育って欲しいんだけどなー。いっぱい食べてるのになー』
『むしろ、それくらいの方がかわいいと思いますけど』
ローゼリットー!!
3人は間違いなくその瞬間、心中でその名前を絶叫した。アランは愛称だったかもしれない。
何だ、何なんだ、お前ら。っていうかどんなだ。
『そう? かなー? えいっ』
『ひゃっ!?』
『にゅーん。やっぱりこれくらいの方が、こう、むぅぅ……』
『ま、マリアベル、ちょっ、抱き、つかないで……にゃっ!?』
『にゅふふ、にゃっ、て、にゃんこさんみたーい。かわいいにゃー』
ちょっとちょっと、マリアベルさん。何やってんですか。おそらく、言うべきだ。白状するべきだ。ここに最初から居たと。これ以上はまずい。何がまずいかグレイには分からないが、とにかく絶対まずい。
恐らく、この思いも共有出来たのであろう。アランが真っ赤な顔をしながら――単純に湯当たりしたとかいうわけではあるまい――親指で出口を指した。撤退しよう。アランが声に出さなくても、グレイには分かった。そうか! そうだ。その通りだ。このまま黙って撤退するべきだ。とりあえず音を立てるな。
ハーヴェイにも伝えようと、アランとグレイはハーヴェイに向き直った。色々吹っ飛んだ。
「ちょ、ハーヴェイ、おま、鼻血ってな!」
「あ、馬鹿!」
思わず突っ込んだグレイに、慌ててアランが言った。まぁ、結論から言えば全員馬鹿だった。
『う、にゅえぇっ!?』
『ちょっ、アラン!? グレイ!?』
マリアベルとローゼリットが悲鳴を上げる。逃げてもどうにかなるものではないのは分かっていたが、とるものもとりあえず男どもは逃げ出した。
『ちょっと、グレイっ!? いつからいたの!? もぅっ、ばかーっ!』
マリアベルが壁を蹴っ飛ばした音がした。ような気がした。
まぁ逃げ出したものの、鼻血を出しているハーヴェイを置いていくのも躊躇われ、服を着てから水で濡らしたタオルを渡してやったり、アホだ、とか、そんな顔して純情か、とかアランとグレイで散々ハーヴェイを罵ってから部屋に戻ると、グレイの荷物が廊下に出されていた。
追い出された――とか軽くグレイが途方に暮れかけていると、足音で気付いたのか、おもむろに部屋の扉が開く。「マリアベル」と言いかけて、グレイは口を閉ざした。
「アラン達の部屋、2階の左奥ですから」
恐ろしいほどの無表情で、顔を出したローゼリットがそれだけ言って、扉を閉める。何というか、美人なだけに物凄い迫力があった。
「さっきはゴメ……」
扉は閉められたものの、一応言いかけると、駄目押しのように、鍵をかけられる音がした。はい。分かります。グレイは思って、荷物を持って2階に降りる。
言われた通り、左奥の部屋を叩く。
「アラーン、ハーヴェイー。追い出されたー」
言うと、割とすぐ扉が開いて、アランが苦笑気味に言った。
「ロゼが出て行った。まぁ、そうだよな」
「うん。正直、今後部屋割り変えないかとか言おうと思ってたから、ちょうど良いっちゃ良いんだけどさ」
「だよな。まぁ、入れよ」
「お邪魔します。というか何というか」
アランに言われて部屋に入ると、想像通り、部屋の大きさ自体は2人部屋と変わらない。2段ベットの分、圧迫感はある。ただし3人で使うため、1つベットが空いているから荷物を置けて逆に広く使えるかもしれない。
「全然良くないよー……ローゼリットが出て行っちゃったよー……代わりに来たのがグレイだよー……ひどい話だよー……」
悲しげにハーヴェイが言うが、まだ鼻に布を詰めているから全力で間抜け顔だ。グレイは怒る気にもなれない。
ハーヴェイが転がっているのは、右の2段ベットの下段だ。上がアラン、左の上段をローゼリットが使っていたらしい。左の下段は、荷物置きのようだ。左の下段を指差してアランが言う。
「見ての通り、ここ、荷物置きに使ってるからグレイもそうしてくれ。空いたのが上だから――」
アランがそこまで言うと、跳ね起きたハーヴェイが「ちぇすとー!」と言って、アランの背後から強襲した。それ、盗賊の特技? とかグレイが思ってしまうくらい、見事なチョップだった。
「ってーな!」
アランが抗議するが、ハーヴェイは恐ろしいほど真剣な顔だ。
「あのね、アラン、グレイ」
「……お」
「……おう」
ハーヴェイの気迫に気圧されて、アランとグレイは半歩引いた。
「……土下座すればいいかな?」
「いいかな? っつーか、いいよ。ハーヴェイ、お前が上使えよ……」
もう純情とか通り越してないかこいつ、とか思わなくもないが、グレイは思わずそう言った。「つーか、引くわ」とアランが言うが、言葉の割にはどうでも良さそうだ。
ハーヴェイはグレイの両手を掴んで、泣き出しそうな勢いだ。
「本当に、グレイ達とパーティを組めて良かったよ……! もしもグレイが迷宮で死んだら、絶対死体は僕が持って帰るからね……!」
「やなこと言いやがるな」
ぺっ、とハーヴェイの両手を振り払う。何かそう考えるとちょっとあれなので「荷物、移していいか?」とグレイが尋ねると「そうした方が良い。ハーヴェイの何かがうつるぞ」とアランが真顔で答えた。
そんなわけで、アランとグレイで、ハーヴェイが使っていた場所に荷物を移して、元荷物置きのベットをグレイが使うことにした。ハーヴェイは、ローゼリットが使っていたベットに上るなりうつ伏せになったままピクリとも動かない。
「……また、鼻血出すなよ」
グレイが他に言いようも無くハーヴェイに言うと、「ちょっといま忙しいから話しかけないで」とくぐもった返事が返ってくる。
「マジか」
じゃっかん引きながらグレイが呟くと、アランが上のベットに転がりながら呆れたように言った。
「外だと、とてもこんなだとは思えないだろ」
グレイは頷いて、上にいるから見えないかと思って声に出す。
「あぁ。何か、マリアベルに対してあれだったし、女慣れしてそうって言うか、そんなかと思ったけどな」
「ところが、実際はこのざま何だよ」
「このざまって」
思わずグレイは笑うが、まぁ、このざまかもしれない。ハーヴェイはボロカスに言われているが、返事もしない。忙しいらしい。
「まぁ、面白いからいいよ」
「そりゃ、良かった。じゃ、おやすみ」
グレイが答えると、ちょっとほっとしたようにアランが言った。何だかんだで、面倒見が良い奴だよな、とか思う。
「うん、おやすみ」
グレイも答えると、すぐに眠れるような気がした。実際、その通りだった。