4-28
そのまま、ぽてぽてと変な足音を立てて歩き始める。マリアベルの足音だ。いつものマリアベル、だよな。
真っ黒な三角帽子の下で、マリアベルがどんな顔をしているのかグレイには分からなかった。
どさくさにまぎれて、と言うか、ギルド“ゾディア”の威光に隠れて、グレイも通して貰う。ローゼリットが眠る部屋に入ると、弾かれたようにリーゼロッテ姫がこちらへ駆けて来る。
真っ赤な目をして、涙を拭って、マリゴールドの前で、王女様だと言うのに床に膝をついて両手を組んだ。聖女に祈る、ただの僧侶のように。
「マリゴールド様! ロゼを助けてください! お願いします!」
「姫様……!」
護衛らしい騎士たちや、付き添いでやってきたらしい大公宮の老大臣がぎょっとした様な声を上げる。でも、そんな外野の雑音には構わずリーゼロッテ姫は――ローゼリットの双子で、アランの従兄妹の女の子は、頭を下げて繰り返した。
「お願いします、ロゼを、私の妹を助けてください!」
「顔をお上げになって、リーゼロッテ姫」
マリゴールドは、リーゼロッテ姫と同じように膝をついて、リーゼロッテ姫を起こした。
「お願いします、お願いします……!」
涙交じりに、まるでハーヴェイみたいにリーゼロッテ姫は繰り返す。
「申し訳ありませんけれど、呪いを解くのは――解けるのは、今のわたくしではありませんの」
リーゼロッテ姫は、頬を思いっきり引っ叩かれた様な顔でマリゴールドを見上げる。
「では、では、いつ、誰が? ロゼは……妹の命は、持ってあと数日だと。間に合うのですか?」
「間に合わないよぉ」
マリアベルがおっとりとした声で告げる。リーゼロッテ姫が凄まじい瞳でマリアベルを睨みつけた。
「あの時の、生意気な魔法使い!」
「そう。あたしねぇ、魔法使いなの。魔法使いだから、来たの。聞いて。リゼちゃん。ローゼリットの呪いは、女神さましか解けない。今は、誰にも出来ない――だから、あたしが、ローゼリットの、時を止める」
マリアベルが魔法使いの杖を掲げた。
マリアベルの数歩後ろにいるグレイからは、マリアベルがどんな表情をしているかは見えない。だけど、おっとりした、笑ってるみたいな声で言うマリアベルに、リーゼロッテ姫は確かに気圧された。
「時を、止める……?」
「そう。10年前のレレタンスの街の様に。あたしでは、何もかもとはいかないけど、ローゼリット1人なら、きっと出来る。マリゴールドさんが助けてくれるから、出来ないわけがないよ」
「レレタンス……北の氷雪姫事件の様に?」
流石一国の姫君と言うべきか――リーゼロッテ姫はごく当然のようにその2つ名を口にした。マリゴールドが懐かしそうに微笑む。
「そう、わたくしが起こした事件の様に」
「マリゴールド様が?」
リーゼロッテ姫は訳が分からないままにマリアベルとマリゴールドを見比べる。それから、縋るように騎士――ではなく、老大臣でもなく、アランを見た。
「この子、何を言っていますの?」
「マリアベルを」
アランは噛み締める様に答えた。
「信じろ」
俺は信じる。お前に全部賭ける。アランがそう言った様な気がした。マリアベルが、小さな声で答えた。
「死ぬ時は一緒よ」
縁起でもない事を言うな、ってグレイは言いたかった。でも、言ってる場合じゃない。だから、マリアベルの肩に手を乗せた。マリアベルはグレイの手に軽く触れる。一緒だ。俺もいる。
マリゴールドがマリアベルの耳に、顔を寄せた。
「良い事、可愛い子。わたくしと同じように唱えるの」
「はい」
「Alles, 」
「Alles, 」
「was ich habe ich dir geben」
「was ich habe ich dir geben」
マリアベルとマリゴールドは。魔法使いと、かつての魔法使いは声を揃える様にして氷精霊に願う。2人の声は歌のようだ。誰も、2人を止めない。止められない。ギルド“ゾディア”の聖騎士が、2人を護るように立っている。そうでなくても、完全に手詰まりだ。
王が誰よりも愛する娘を、誰も救えない。
ただ、3柱の運命の女神を除いて。
「何……?」
リーゼロッテ姫が、慌ててローゼリットに駆け寄った。
「氷……?」
ピキピキと音を立てて、ローゼリットが氷に覆われて行く。アランが、リーゼロッテ姫をローゼリットから引き剥がした。リーゼロッテ姫は不安そうだ。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「大丈夫だ」
何の根拠も無くアランは言い切る。いや、根拠は無くても、アランはマリアベルに賭けた。他には何とも言えないだろう。
氷は瞬く間にローゼリットの全身を覆い切った。更に十重二十重に氷の茨の蔓が覆って行く。
今やマリアベルの詠唱は絶唱と化していた。いつものほにゃほにゃ笑う少女の声とは思えない。マリゴールドと輪唱の様に呪文を詠唱する様には、誰もが声を失った。マリアベルに反感を持っていたリーゼロッテ姫さえ聴き惚れている。天上におわす我らが父の御許で奏でられていてもおかしくない様な音楽だった。花嵐にも似た音の洪水。
透き通るような少女と娘の声が、氷精霊に永遠を希う。
その悲しみを。その愛情を。その痛みを。
そのただの呪文の詠唱は、どんな言葉よりも雄弁にマリアベルの心情を語った。
頭から足の先までを、音の奔流に押し流されるようだった。グレイの、アランの、ハーヴェイの、リーゼロッテ姫の、情に篤い僧侶達の目から、自然と涙が溢れ出た。
「Kümmern Sie sich bitte um unsere Liebe,Here!」
「Kümmern Sie sich bitte um unsere Liebe,Here!」
祈りの様に、呪いの様に、ただ狂おしいほどの想いを込めて、マリアベルは唱えきる。
誰も、何も、言えなかった。
その氷雪姫達の詠唱を耳にした者は、魂を奪われたように、身動き1つしないで呆然としていた。
ひょいっ、と魔法使いの黒い三角帽子のつばを持ち上げて、マリアベルはアランを、ハーヴェイを、それから振り返ってグレイを見てほにゃりと笑う。
「さて、あとは迷宮を踏破するだけだね――行こう」