4-25
「にゅ、にゅわぁぁぁっ!?」
マリアベルが悲鳴を上げて、ローゼリットと地面の間に身体を差し込んだ。もう、全身で行った。ナイスガッツ。
「うぐにゅぅ……」
そんな光景をグレイが見えたのは、トラヴィスの大声に思わず振り返ってしまったからだった。
慌ててサイクロプスに向き直る。だけど、サイクロプスは頽れる様にそこで死んでいた。迷宮の生き物を、いや、どんな生き物だって止めを刺すのは大変だけど、そんなことをしなくても、間違いなく死んでいると確信が持てるような、そんな倒れ方だった。
「勝った……?」
アランが怪訝そうな顔でサイクロプスの腹を長剣の先で突く。ぴくりともしない。
「勝ったのよ! 凄い!」
キーリが明るく言う。キースもほっとしたようにその場に座り込んでいた。
「やったぁぁぁ! ありがとう!」
だけど、マリアベルはローゼリットの下から這い出して、妙に不安そうな顔でローゼリットの顔を覗き込んでいた。
「……ローゼリット?」
ローゼリットはくったりとして目を閉じている。慌ててマリアベルは自分の膝にローゼリットの頭を乗っけて、首元で脈を確認して、それから軽くローゼリットの肩を揺らした。問題なかったらしい。
「ローゼリット、起きて?」
「ジェラルド、リ、『解毒』を……!」
ハーヴェイがおろおろとマリアベルの傍をうろつきながら依頼する。「そうだな」ジェラルドはずれた眼鏡を持ち上げて、落ち着いて祝詞を唱えた。錫杖をローゼリットに向ける。
「我らが父よ、悪しきものを打ち消す力をお与えください」
ジェラルドの錫杖が輝いて――そうして、ローゼリットは、目を覚まさない。
「にゅにゅ……?」
マリアベルが、もう、グレイが今まで見た事も無いくらい心細そうな顔でトラヴィスとシェリーを見上げた。ジェラルドが、何だかおかしいなって顔をする。それから、トラヴィスとシェリーが、真っ青になっているのを見て、ぎゅうっとグレイの胃が縮んだ。何。何ですか、その顔?
不穏なものを感じとったのか、アランが1歩踏み出した。脅えたように、シェリーが1歩下がる。あの、何、何ですか。
グレイの心臓が、サイクロプスと戦っている時以上に、とんでもない音を立て始める。胃の中がひっくり返りそうだ。ちょっと、待て。待って。グレイは祈るように思う。まだ、言うな。吐きそうだから。
トラヴィスがその場に膝を付いて頭を下げた。待って。止めてください。そんなん。
「……すまない」
「どういう、意味ですか?」
アランは落ち着いて――いや、出来るだけ落ち着こうとしながら尋ねた。だけど、アランの顔色は真っ青だ。全身が小刻みに震えていた。
シェリーまでアランに、いや、アランではなくて、倒れているローゼリットに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい……まさか、本当にこんな事があるなんて。私達も噂でしか知らなかったの。ごめんなさい。ごめんなさい。巻き込んで、まさか本当に、こんな、こんな事になるなんて……!」
「だから、それはどういう……!」
的を射ない回答に、アランが苛立たしげに尋ねる。とうとうジェラルドが「どうしてだ……!?」と呻いた。トラヴィスは頭を下げたまま言う。
「――ローゼリットは、もう目を覚まさない。サイクロプスの命を代償にした呪いだ。どんな僧侶も、この呪いを解く事は出来ないと、聞いている」
すとんっ、とハーヴェイがその場に座り込んだ。一瞬で、瞳がガラス玉になったみたいだった。虚ろな目で、ローゼリットを見つめて、呟く。
「うっそだぁ……」
ハーヴェイとは対照的に、マリアベルがローゼリットを抱きかかえる様にして立ち上がった。くるっ、と振り返る。緑の目が、燃える様に輝いていた。グレイとアランを睨みつけるみたいに見つめて来る。マリアベルは頑なな口調で言う。
「かえろう」
「マリアベル……」
気遣わしげに、ジェラルドが手を伸ばす。ジェラルドはその噂を知らなかったんだろう。だけどジェラルドの『解毒』は効かなかった。つまり。そんな。そんな!
マリアベルは強く首を振って、ジェラルドからの同情を、あるいは、諦めろと諌める手を、振り払った。
「かえろう。ミーミルに戻って、教会につれていくの。ローゼリットを。大丈夫――だいじょうぶ。解けない、呪いが、あるはずが、ないよ!」
言葉は強いものだったけど、後半は悲鳴になっていた。
「かえろう――ねぇ、帰るの! ほら! 急いで! ハーヴェイ、立って!」
初めて聞くマリアベルのヒステリックな声に、ハーヴェイが弾かれたように立ち上がる。復活したらしいアランが「代わる」とマリアベルからローゼリットを受け取る。
「グレイっ!」
マリアベルに呼ばれて、グレイもぎくしゃくと歩き出した。なぁ、マリアベル。気付いてるか。その、お前の態度が。一番。
アランの腕の中で、ローゼリットはすやすやと眠っているだけの様に見えた。
ハーヴェイが先頭を歩き出す。マリアベルと、アランが無言でそれに続く。グレイは振り返って、呆然としているキースやキーリやジェラルドに、そして今なお頭を下げたままのトラヴィスとシェリーに頭を下げた。
「……俺達、先に、帰ります。俺達だけで、帰ります」
どうか付いて来てくれるな。そういう意味を込めて頭を下げてから、小走りでマリアベル達の背中を追いかける。
マリアベルも、アランも、ハーヴェイも何も言わない。グレイもそうだから、分かる。口を開いたら、泣き事とか恨み事が溢れて止まらなくなって歩けなくなってしまいそうだった。だから、絶対に、口を開けない。だけど、頭の中の声は止まらない。どうして。そんな馬鹿な。呪いなんて。目を覚まさないなんてある筈が。どうしてローゼリットが。どうして俺達は助けに行ったり。どうして。どうして!
「う、ぅぅぅぅっ……!」
誰かが呻いて泣き出した。マリアベルかな、と思ったらハーヴェイだった。マリアベルは黙ってハーヴェイの肩の下に腕を差し込んだ。ハーヴェイを支えるみたいにして、そのまま歩く。
蜂に遭遇して、アランが負傷した。あの太い針で、腕を刺された。大怪我って程じゃないけど、血が出て、怪我は怪我だ。そして――そして、誰も治療をしてくれないことに、気付く。
泣き事は、恨み事は、何とか堪えて。
グレイ達は現実的な事だけを、ぼそぼそと口にし合った。
「ロゼ、また、荷物に獣避けの鈴持ってんじゃねぇか」
アランが言って、ローゼリットの鞄に手を掛ける。思わずグレイは止めてしまった。
「でも、女の子の荷物を勝手に開けるなんて」
「あたしなら、許してくれるかも」
マリアベルが力無く笑って言う。
「……許してくれなくても、いいけどね」
許してくれても、許してくれなくても、目を覚ましてさえくれれば。
マリアベルがそう言ったのが、聞こえた気がした。実際は、そこまでは口にしていなかったけど。
ハーヴェイは明後日の方向を見て、呆けたように突っ立っている。7階だぞ、と言いたくなるけど、堪えた。ハーヴェイは、ずっと、ローゼリットが好きだったんだ。いや、違う。ずっと好きなんだ。仕方ない。あんな風にトラヴィス達に脅されたら。
そうだ、脅しだ。冒険者登録所の責任者が言ったように。大公宮の老大臣が言ったように。グラッドが、マーベリックが言ったように。脅しだ。死ぬかもしれない、なんて。仲間を、ローゼリットを失うかもしれないなんて。そんなの脅しに決まっている。
魔法のエキスパートであるマリアベルが言ったんだ。解けない呪いは無いって。だから大丈夫だ。教会に戻れば、誰かがあっさりと呪いと解いてくれるに決まってる。あっさりじゃなくても、ローゼリットはこのウルズ王国のお姫様なんだ。それを持ち出せば、大僧侶とか、とにかく凄い偉い人がわっと出て来て、呪いを解いてくれるに決まってる――
結果として、グレイがハーヴェイよりも遙かにぼんやりしている間に、マリアベルはローゼリットの荷物の中から獣避けの鈴を見つけたみたいだった。ガラン、と獣避けの鈴を鳴らす。
「……行こう」