4-22
しばらく歩くと、急に視界が明るくなった。そう感じさせるほどの大量の黄色い花が木に咲いていた。迷宮の外で、春に咲く花に似ている。大きな木に、毬状の小さな花が集まって爆発するように咲き誇っていた。
「にゅわー……!」
「まぁ……!」
マリアベルとローゼリットが歓声を上げる。男どもからしたら、めっちゃ黄色い、って感じだけど。
「綺麗だねぇ」
マリアベルがおっとりと笑うと、ローゼリットも顔を綻ばせた。
「綺麗ですねぇ。良い香りです」
確かに言われてみると、甘くて人懐っこい感じの香りがした。
マリアベルがぽてぽてと歩いて気に近付いて行く。
「持って帰れるかなー?」
1階の青い花のように、こんな所で花を持って帰ろうとする冒険者は少ないだろう。枝を何本か手折って持ち帰れたら、それなりに良い値段で売れるかもしれない。
「ちょっと採って来るよ」
そう言うハーヴェイは、既に木に手を掛けている。「大丈夫?」マリアベルが首を傾げた。ハーヴェイは辺りを見回して、「何もいなさそうだし」と言ってからするすると木を登っていく。
「身軽なものですね」
ローゼリットが眩しそうにハーヴェイを見上げた。「凄いよねぇ」マリアベルも同意して、魔法使いの帽子を取ってひっくり返す。
「マリアベルー!」
「にゅーい!」
もはや阿吽の呼吸で、ハーヴェイが何本か枝を手折って落とすと、マリアベルが帽子で受け止めた。あっという間に黄色い花が、黒い三角帽子から溢れ出る。
「にゅーん、もう一杯だよー!」
「じゃあ降りるねー」
「気を付けてねー」
ハーヴェイが木から降りて来る間、グレイとアランは背後を警戒しておく。何かそんなことが前にあったからだ。ハーヴェイが木に登っている間に、振り返ったらカマキリいました、みたいなことが4階であった。今回は何も来なかった。
無事にハーヴェイが木から降りて来ると、5人で手分けてして花を持ち帰ることにする。迷宮の植物は謎なくらいに生命力が強いのが常だから、折れないようにだけ気を付けて鞄に突っ込む。
「それじゃ、行こうか」
マリアベルのほにゃほにゃしてるけど芯の強い号令で、また歩き出す。歩く度に、ふわふわした金髪と、鞄からはみ出た黄色い花がゆらゆら揺れている。黒い三角帽子と黒いローブがなければ、とても冒険者には見えない。
見えないけど、マリアベルもグレイも――ギルド“エスペランサ”は、既に中堅と言われてもおかしくない7階層に到達している。不思議すぎる。嘘でも何でも、もっと強そうに見えるような恰好をした方が良いだろうか。自分の中で自覚が生まれるかもしれない。
とか、思考が余計な方にずれて行ったので、慌てて戻す。7階だ。グレイ達にとっては新階層だ。蜂はたまたま上手く倒せたけど、油断すると途端に酷い目に合うのが迷宮だし。しっかりしないと。グレイは全員の盾役なのだ! よし気合入った。
少し先行したハーヴェイが、曲がり角まで行って、先を確認してから慌てて戻って来る。どうしたんだろ。
「大変だ! 冒険者が倒れてる! たぶんあれ、キースだ!」
「そんなっ……!」
僧侶のローゼリットが、グレイとアランを追い抜いて駆け出す。「馬鹿!」アランが悪態を吐いて、「にゅい、バカとか言わないの!」マリアベルがアランの背中を杖で小突いて、ローゼリットの後を追う。先頭のハーヴェイはローゼリットの横に並んだ。
「でも、迷宮の動物とか、他のメンバーは見当たらないんだ……!」
何があったんだろう。
キースはむかーし――というほど昔でもないけど、でもまぁそんな気分になれるほど前に、2階層で一緒に暴れ大牛を倒した冒険者パーティの戦士だ。キースの他にも、盗賊で、キースの双子のキーリや、戦士のトラヴィス、狩人のシェリー、僧侶のジェラルドが居たはずなのに。
曲がり角を左に曲がると、確かに傷だらけの戦士が倒れていた。いつぞやよりは、鎧が立派になっている。だけど、あの髪の色、あの体格。うつ伏せに倒れているけれど、確かにキースに見えた。
ハーヴェイとローゼリットが2人掛かりで、キースを仰向けにする。ローゼリットはすぐに脈を確認して、祝詞を唱えた。
「我らが父よ、慈悲のひとかけらをお与えください!」
「うぅ……?」
ローゼリットが輝く錫杖の先を向けると、すぐに呻き声が漏れた。命に別状はなかったらしい。良かった。本当に良かった。
右肩の怪我が一番酷いようだったけど、顔も足も何処もかしこも傷だらけだ。
「ジェラルド……!?」
キースが目を開く。ぽたり、と涙が零れた。よっぽど痛かったんだろうか。だけど、妙に嬉しそうな声で――そうして、ローゼリットの見ると、顔を強張らせた。
「……ローゼリット?」
「はい、お久しぶりです」
キースはよろよろと半身を起こす。呆然とした顔で、グレイやアランやハーヴェイやマリアベルの顔を見て、それから力無く笑った。
「……助けて貰うのは、2回目だね。ありがとう」
「どういたしまして! ……何があったの?」
マリアベルはキースの横にしゃがみ込んだ。何があったの? そりゃそうだ。何かあった。そうでなければ、パーティのメンバーが1人で倒れていたりするものか。ハーヴェイは油断なく周囲を警戒し始めている。グレイも耳を澄ませる。何か聞こえるか。聞こえない。トラヴィス達は何処だ?
キースはぼろぼろと泣き出した。「にゅぅ……」マリアベルが悲しそうに呻く。何かあったのだろう。冒険者にとってはある意味当たり前の、悲劇的な何かが。
「俺には何が何だか……急に後ろから襲われて。逃げようとしたんだけど、逃げ切れなくて。トラヴィスとシェリーが凄いやる気で。何だよ、何なんだよもう……!」
ぐすっ、としゃくり上げてキースは涙を拭った。
「だけど、俺行かないと。助けてくれて、ありがとう。どうして俺だけ倒れてたのか、分からないんだ。一緒に戦ってた筈なのに。たぶん戦いながら、移動したんだと思う。俺は、置いて行かれたんだ」
「……どうして?」
心底不思議そうに、ローゼリットが尋ねる。戦士を置いて行く? 何のために? 逃げようとしたからか? でも、キースは今はやる気だ。何処に居るか分からない仲間を、探しに行こうとしている。キースは推測交じりだけど教えてくれた。
「あの敵――何か魔法とか、呪術みたいなものを使うんだ。目を見ると、眠くなって。ジェラルドの『解毒』が間に合わなかったんだと思う。それで、置いて行かれたんだ」
「……鹿の幻惑みたいなもんか」
アランが苦い声で呻いた。キースも頷く。
「そう、6階の鹿みたいなの。あれも凄く苦労した……何て、言ってる場合じゃないよな」
キースは立ち上がる。多少ふらついたけど、足の傷は深くなかったみたいだ。もしくは、ローゼリットの腕が良いからか。
「まだ近くにいるはずだ。きっと。俺、みんなを探しに行かないと。ローゼリット、怪我を治してくれてありがとう」
「そうねぇ……」
マリアベルは言って、ローゼリットを見た。ローゼリットも頷いて、立ち上がる。
「女神の采配は」とアランが嫌そうに言った。こういう時アランはパーティで一番堅実だ。気付いたらしいキースが、慌てて首を振る。
「危ないよ! マリアベル達は、まだ7階に来たばっかりだろ? 俺達はこれでも、もう8階の探索をメインで進めてたんだ」
「それでもせめて、キースがみなさんと合流するまでは同行させてください。私達は5人ですから、キース1人が増えても女神様の采配には問題無いはずですし」
女神さまの采配――迷宮内では冒険者同士がなるべく出会わないようにしている、というのと、7人以上の集団で迷宮を探索すると恐ろしい生き物に襲われる、というアレだ。
ローゼリットに言われると、キースは大型犬みたいに眉を下げた。確かに、いくら8階をメインに探索している、グレイ達よりも進んでいる冒険者だからって、1人で迷宮を探索するのは厳しいって事に気付いたんだろう。
キースはしばらく考えて、考えて、泣きそうな顔で頭を下げて来た。
「……ごめん。本当に迷惑かけて申し訳ないけど、みんなが見つかるまで、一緒に行動して貰っていいかな」
「いいよぉ……ね?」
マリアベルがほにゃっと笑って、ローゼリットを、ハーヴェイを、アランを、それからグレイを見た。「もちろんです」ローゼリットが当然のように頷く。
「知らない仲じゃないんだから」
ハーヴェイも賛成のようだ。
「……見つかったら、場合によっては別行動させてもらうからな」
アランが釘をさす。キースに、というよりは、マリアベルとローゼリットに対してだろう。
「にゅーん」とかマリアベルが唸るけど、グレイだってミノタウロスみたいなことは、正直もうごめんだ。申し訳ないけど、言っておく。
「その、よく分からない敵に、俺達が加わったって勝てるかは分からない。だけど、キース達が逃げるなら、それは手伝うよ」
「もちろん。グレイ達が危ない橋を渡ることは無いよ。そんなことしちゃダメだ」
「あたし達ねぇ、“エスペランサ”って、言うの」
マリアベルが嬉しそうに告げた。こんな時だけど、誇らしげに笑う。
「誰かの、何かの、希望になるよ、あたし達。きっと、みんなで頑張れば、怖い敵だってやっつけられるよ――行こう」
マリアベルが杖を掲げる。鞄からは黄色い花がはみ出てるけど、凄く魔法使いっぽい。これだからマリアベルは油断ならない。
「……行こう」
誰かが応じたな、と思った。グレイ自身だった。