13
大公宮を出ると、すっかり夕方になっていた。マーベリックに教わったリコリス商店へ向かうことにすると、自然と緑の大樹を見上げることになる。
ミーミルの街は、緑の大樹の南部と西部に広がっているから、地図を見る限りは“緑の大樹を囲む街・ミーミル”だ。だが、実際に街のどこからでも緑の大樹が見えるこのミーミルを歩いていると、確かに“緑の大樹に擁かれる街・ミーミル”であることが実感できる。緑の大樹は途方もない巨木で、内部には恐ろしい生物が住んでいるのだが、不思議と不気味な感じはしない。むしろ、いつでも見守られているような気分だ。
「……おっきいねぇ、緑の大樹」
マリアベルがしみじみと呟く。
「14階って、どの辺りだろうな?」
やはり緑の大樹を見上げて歩きながら、アランが言った。
「っていうかさー、階。って、なんだろうね。今日入った感じ、地面があって、上の方は木っぽくて、日の光とか見えたよね?」
ハーヴェイが言う。確かに――と全員で首を傾げながら歩いていると、ほどなく、『リコリス商店』という看板の掲げられた店舗が見つかった。冒険者で賑わっているが、比較的、戦士や暗黒騎士に、盗賊が多い、ような気がする。役割分担だろうか。
「観測結果に基づいた、事実」
そっとローゼリットが呟くと、にゅふっ、とマリアベルが心底愉快そうに笑った。かもな、とかアランが頷いている。
店舗に入ると、あちこちに腰ほどの高さの木の台が並べられていた。一見飲食店のようなレイアウトだが、椅子はない。台に冒険者がさまざまな物品を乗せ、店員らしき商人が、帳面を片手に次々と何かを記入している。
「いらっしゃいませー! お客様、こちらへどうぞ!」
きょろきょろしていると、明るく声を掛けられる。小母さん、と呼ぶのは躊躇われるが、それほど若くもない女性がグレイ達に向かって言い、木の台を示していた。
5人でそろそろ移動すると、ふぅむ、と女性は唸ってから素敵な笑顔で言った。
「ようこそ、リコリス商店へ。お客様、初めて見る顔ね。新米さん?」
「そう、昨日なったばっかり」
マリアベルが答えて、まだぴかぴかしている冒険者証明証を見せる。女性は頷いてから続けた。
「あら、では、ようこそ、ミーミルへ。緑の大樹の物品を、売りにいらしたのですよね? 大公宮からの証明書はお持ちですか?」
「はい」
ローゼリットが、先程大公宮の大臣から受け取った証明書を見せると、女性は一応、書類の数字と、証明証の裏の数字を確認してから続けた。
「うん、問題なさそうですね。では、物品をこちらの台に置いていただけますか。物品ごとに当商店における引き取り額が決まっているので、個数と、単価をこちらの台紙にわたくしが記載させていただきます。問題無いようでしいたら、奥のカウンターで、台紙と現金の交換をお願い致します」
現金を店内のあちこちに置かない配慮であろう。グレイ達は言われた通り、拾ったモグラの爪や、蝶の鱗粉の結晶を置いていく。赤い果物はマリアベルが、食べるからダメ! と主張したので置くのをやめた。女性にちょっと笑われた。とりなすように、美味しいですよ、と教えてくれたが。
「では、こちらになります。ご確認ください」
台紙を渡されて、5人で覗き込む。モグラの爪×4、鱗粉の結晶×1(匹分)――と、単価と、合計金額。金額を見て、思わずグレイは言った。
「あの、この値段……」
「はい。物品ごとに当商店で取り決めている引き取り額となります。恐れ入りますが、ご満足いただけない場合は、お引き取りを――」
「あっ、いえ、不満っていうか」
慌ててグレイは首を振った。グレイと同じようにびっくり顔のマリアベルが続けた。
「鱗粉の結晶、こんなに高く買い取ってもらえるんですか」
確かにマーベリックも「なかなか拾えない」とは言っていたが――5人分の1週間の宿代がまかなえるような値段だ。5人のびっくり顔を見て、女性は安心したように微笑んだ。
「えぇ、鱗粉の結晶は、入荷量が少ないことと、薬の材料になることから、この値段でお取引させていただいております」
「すごーい!」
マリアベルが嬉しそうに言ってその場で弾む。よかったねー、とか言いながら、ハーヴェイがマリアベルの魔法使いの帽子の上から頭を撫でた。
その後はつつがなく換金を行い、受け取った現金は5人で等分することにした。端数が出たので、その分は多数決でローゼリットに預かって貰うことに決めた。
「うーん、冒険者になって、一攫千金を狙うって、ちょっと分かったね」
店を出るなり、伸びをしてハーヴェイが言う。グレイも頷きながら言った。
「運が良かったんだろうけど、初回でこれだもんな」
幸先がいいというか、何と言うか。興奮気味に話しながら、夕食はどうするという話になって、マリアベルとローゼリットは疲れたから今日は猫の散歩道亭で済ませると言い、グレイ、アラン、ハーヴェイは目抜き通りの屋台に行ってみると言った。明日の探索に持ち込む昼食も、何となく男女で分かれて調達することになった。
「それじゃ、また宿でね!」
マリアベルが手を振り、ローゼリットと一緒にパン屋に向かう――途中で、「あ、あの髪留め可愛い!」と言い出して、ローゼリットも一緒にその屋台を覗き込み、2人で店員と話し始めていた。
「あれは、長いぞ……」
「疲れたんじゃなかったのか、あいつら」
グレイとアランがぞっとしたようにその光景を見て呟く。まぁまぁ、とハーヴェイが2人の背中を押した。
目抜き通りに出ると、昨日と同じように屋台が並び、あちこちからいい匂いが漂って来ている。それぞれ好きなものを買って、屋台の間に幾つも置かれている立ち食い用のテーブルを1つ確保した。
「じゃ、かんぱーい」
ハーヴェイが、木のコップに入った麦酒を掲げて言う。グレイとアランもコップを合わせた。
「「かんぱーい」」
さして冷えていない麦酒だが、何というか、沁み渡るような感じだ。
「あー、うっまいな」
「グレイ、おっさんくさい」
ハーヴェイは笑いながら、生地の厚いピザをちぎって口に運んでいる。うっせ、と言ってから、グレイも買ってきた串焼き肉に噛り付く。香辛料の香りと、あふれる肉汁と油が、何とも言えない幸福を運んでくる。アランはけっこう飲める口なのか、すぐに1杯空けて、酒類を売り歩いている給仕女に、麦酒1杯、と声を掛けて小銭を渡していた。
「初日だったけど、無事に帰ってこられて、ほんと良かったよね」
しみじみとハーヴェイが言い、アランが頷いてから言った。
「あとまぁ、結晶拾って良かったよ」
「確かに。あれ、拾わないとそこで終わりだからなー」
グレイも同意する。正直、マリアベルが拾い始めて、何をやっているのかと思わなくもなかったのだが、結果としては非常にお手柄だった。あいつ、持ってるんだよなー、とグレイは思う。
「あとはどこまで持って帰るかだよね。モグラの爪も、悪くは無かったけど、全部剥ぎ取るのもなんかねー。かさばるし。ネズミもなんか持って帰れば良かったかな」
ネズミ――正式名称は『噛み付きネズミ』だったか――を思い出しているのか、首を傾げながらハーヴェイが言う。
「名前からすると、牙とかか?」
「口こじ開けて引っこ抜くか―? 何かな」
噛み付かれて、その鋭さを知っているアランはそう言うが、グレイはその作業を思うと、わざわざ持って帰らなくても良いような気がしてくる。確かに、と言い出したアランも頷いた。
蝶をしばらく乱獲するか? とか、ただ倒しづらいし鱗粉が厄介だとか、そもそもマリアベルも1日に2、3回しかあの魔法を使えないとか、他の特技も覚えたいけど、ミーミルの職業ギルドってどこにあるんだろうなとか、収入あったけどちゃんと節約してもっと良い装備買った方が良いかなとか、どこの店に良さそうな兜があったとか――まぁ、食べながらなので話半分に今後の事を話すが、結局は明日の朝に5人揃って考えるかということでまとめる。
時間が経つにつれて、周りに他の冒険者も増えてきて――当然、全員がグレイ達より先輩の冒険者で、ついでに、ほぼ全員がグレイ達より年上に見える。腹も満たされたことだし、さっさと猫の散歩道亭へ引き上げることにした。
街灯は少ないが、あちこちの飲食店が夜でも営業しているので、街はあまり暗くない。しかも男の3人連れという気安さもある。マリアベルと2人で歩いていると、こうはいかない楽さだった。アランとハーヴェイとだらだら話しながら、アラン達と話すきっかけになった、マリアベルのふわふわの髪に、感謝だよなー、とかグレイは思う。
「マリアベルはさ」
ちょうとグレイがそう思っていたところで、ハーヴェイがおもむろに言った。
「うんっ!?」
「何でそんな驚いてんだよ」
不意を突かれて変な声を上げると、笑いながらアランが言った。深く考えずにグレイは言う。
「いや、ちょうどあのふわふわを考えてたから」
と、アランとハーヴェイが顔を見合わせて、「そりゃ、まぁ……」「そっ、か……」と半笑いになる。待て待て、とか思ってグレイは慌てて続けた。
「別に深い意味があったわけじゃなくて」
「いや、良いんだよ、全然。マリアベル、うん、かわいいよね? 深い意味が無くても考えちゃうよね」
ハーヴェイにとりなすように言われて、なんか違う、とグレイは思う。
「そーじゃなくて、こう、アランとハーヴェイとパーティ組めて良かったと思ってたら、酒場で話すきっかけになったマリアベルの髪がな、こう!」
「うんうん、そっかー」
「つーか、そんなムキにならんでも。2人で旅してたんだろ?」
「旅はしてたけど、別に俺とマリアベルはあれだぞ。何もないし。俺、故郷に彼女いるし」
勢いで言って――あぁ、いるし、じゃなくて、いたし、だよな、とグレイは思う。彼女はグレイが緑の大樹の迷宮に向かうことに反対だった。というか、両親も親戚も周りの友人も、全員が反対だった。それでもグレイはマリアベルと旅に出て、ミーミルへ来た。
「え、そうなのか」
アランが本気で驚いて言う。ハーヴェイは、あー、とか頷いていた。
「確かに、僕がマリアベルにちょっかい出しても、全然嫌な顔しないなーとは、思ってた」
「ハーヴェイ、お前、分かっててやんなよ……」
「だってマリアベルかわいいし」
呆れたようにアランが言い、悪びれることなくハーヴェイは答えた。何となく気まずくて、頬を掻きながらグレイは言う。
「だから……うん。そんな、感じなんだよ……」
どんなだ、とかグレイ自身も思うが、他に言いようも無かった。
「だいたい……うん……それを言うなら、ローゼリットはどうなんだよ……?」
何がだいたいなのかも全く分からないが、話を逸らしたい一心でグレイは言う。
言うと――ハーヴェイは顔を赤らめて、アランがすげぇ嫌そうな顔をしてそれを見た。あ、はい、何となく分かりました。とか内心なのに敬語でグレイは思う。
「ローゼリットはー……美人さんだよね、うん!」
ハーヴェイは無理やり話をまとめるようにして言った。「なんだかなー」とアランが呟く。えぇい、他人事のように、とグレイは思うが、実際、他人事なのだろう。
あー、ハーヴェイはローゼリットが好きなんですねー。だったらマリアベルにちょっかい出すなよ、とかグレイは思いながら、猫の散歩道亭に向かって歩く。
何だこの感じ、青春か。とか居心地悪くグレイが思っていると。「……ったく、青春か」とアランが呟いたので噴き出してしまった。同じ戦士だからだろうか。妙なシンクロ率だった。
と、グレイが思っていたら、ハーヴェイも笑い出した。
「何それ。青春か、って」
「そんなだろお前ら。びみょーな空気を醸し出しやがって」
ハーヴェイが笑いながら言うと、アランも堪え切れず、といった感じで笑いながら応じる。
猫の散歩道亭が見えてくると、そういえば、今後部屋割りはどうするんだろうな、とグレイは思う。
「3人は部屋どうしたんだ?」
木製のベルを鳴らして扉を開けながらグレイが尋ねると、アランが答えた。
「節約ってことで、3人で1部屋使ってる。2段ベット2つ入ってるんだよ。だからほんとは4人部屋」
「へぇ……」
と言うことは、部屋の大きさとしては、グレイ達の部屋とほとんど変わらないのかもしれない。受付でサリーからアランもグレイも鍵を受け取る。女性陣はまだ戻って来てないのか?
「僕たち2階だけど、グレイ達は?」
「俺たち3階」
「じゃ、ここで」
「おーう」