4-19
「キマイラ、いないと思うよぉ」
しょんぼりしかけたハーヴェイを慰める様に、マリアベルが魔法使いの杖でハーヴェイの肩を叩いた。
グレイはマリアベルの顔をまじまじと見つめてしまう。
「え、何で?」
「にゅ? あのねぇ、昨日の夜に衛兵さんが『キマイラの死体確認したー』って言ってたから。何処かのパーティがやっつけたんじゃないかな」
「あ、そういう……」
魔法使いの神秘的なやつかと思ったら、違った。グレイはほっとする。マリアベルは、そこまで手の届かない存在は無かった。
「得意不得意は誰にでもあるからねぇ」
マリアベルはほにゃっと笑う。
「あたしも氷精霊ちゃんの術はちょっと苦手だし。ハーヴェイも、ミノタウロスはすぐ気付いてくれたからねぇ。14階の竜のことも。だから、キマイラが苦手でも、気にすることないよぅ」
ハーヴェイは振り返って少しだけ笑った。
「ありがとう、マリアベル」
「どういたしまして」
2人ともふわふわとしてるけど、そう言われてみればハーヴェイだってグレイは持ってない感覚1つ持ってるっぽいよなぁとか思いながら歩く。そういうのってやっぱり生まれ持っての才能なんだろうか。僧侶は修行を積めば誰でもなれるって話だから、訓練なんだろうか。はてさて。
ともかくグレイは持っていない感覚を駆使したのか、ハーヴェイは「あ」とか呟いて上を見上げた。つられて上を見る。何か居た。
「どうも……」
思わずだけど、グレイは会釈をしてしまう。「いや、つうか」とか言ってアランは剣を抜きかけるけど、ローゼリットがその手を抑えた。相手――そう、木の枝の上に立って、小さな弓を構えていた小人みたいな生き物は、じっとローゼリットを見つめて、それから、弓を下ろした。妙に矢の先が黒ずんでいて、嫌な感じだ。多分、毒、塗られてる。
木の皮を裂いて編んだような服まで着ているし、迷宮の動植物にはグレイ達より遥かに精通していることだろう。
「先に、進ませてもらいますねぇ」
マリアベルがぺこっと頭を下げて言うと、妙に肌の色が白くて目が大きい小人みたいな生き物は顎を引いた。頷いたんだろか。意思疎通、出来んのかよ……。
「進みまーす」
ハーヴェイもそんな事を言って、小人みたいな生き物から視線を外さないままそろりと歩き始める。
「お騒がせしました……」
盾でマリアベルとローゼリットを庇うようにしながら、グレイも歩き出す。小人みたいな生き物は動かないで、じぃっとこちらを見つめている。顔の割に大きすぎる目の目力凄い。
「失礼します」
「……」
ローゼリットとアランも、そろそろと動く。
そんな事をしている間に、木の上で音がした。ガサガサと。どうも、姿が見えないだけで他にもいっぱいいらっしゃるらしい。ハーヴェイじゃないけど、首の後ろがざわざわする。今のところ、襲って、来ないけど。大丈夫かこれ。
小人みたいな生き物の大きさは、地面に立ったら大体グレイの膝くらいまであるだろう。やり辛そうだ。っていうか、今まで見たことも無いくらい人間っぽい生き物と戦うのは、精神的にもやり辛い。出来れば戦いたくない。
そろりそろりとグレイ達は歩き、曲がり角を曲がる。と、小さな笛を吹いたような高い音がした。ガサガサと、音が続く。
「……移動したの、か」
アランが背後を振り返る。
「そのようですね」
ローゼリットも、安堵したように大きく息を吐いた。緊張していたらしい。
「びっ……くりしたねぇ! 小人さんいたよ!」
マリアベルはじゃっかんはしゃいだような声を上げた。そんな声を聞いてしまうと、グレイの所にも驚きとか恐怖より興奮がやって来る。
「何だ今の! すげー、人っぽかった!」
「ね、凄い! びっくりした! あたしが話しかけたら、頷いてくれたよね!」
「頷いてた! 人の言葉分かるのかー!」
「女神さま、何でもありだね! 武器持っててちょっと怖かったけど、目がくりくりしてて可愛かったなぁ」
それはどうだろ。グレイとしては同意し辛い。「可愛かったか……?」怪訝そうにアランが突っ込む。
「にゅすん。可愛くなかった?」
「微妙」
微妙と言いつつアランがきっぱり答えると、「にゅー……」マリアベルは不満そうに口を尖らせる。
「可愛いかったですし、戦わずに済んで良かったですね」
ローゼリットが言うと、「にゅ、そうねぇ」とすぐに機嫌を直してマリアベルはその場で小さく弾んだ。そう言えば、とグレイは思う。
「迷宮の生き物にしては、珍しく襲って来なかったよな」
「冒険者は『怖いキマイラをやっつける生き物』だって思われてるのかもねぇ」
「あー、そういうのもあるのかもなぁ」
4階のカマキリはヘビとか――ちなみに正式名称は『巻き付き毒蛇』だった。安定の見たまんま感が凄い――ダチョウとか――こっちの正式名称は『疾走ダチョウ』らしい。かつての冒険者のセンス凄い――を主食にしているというから、迷宮内にも食物連鎖は存在している。あの小人みたいな生き物がキマイラを捕食する側だとは思えなかった。
そしたら、小人みたいな生き物にとって、冒険者はそんなに悪い生き物でもないのかもしれない。武器を持ち、人間の言葉や仕草を多少なりとも理解する知恵があるなら、それくらいの判断はつくことだろう。
「5階、あんな生き物がいたんだねー。何回か通ってるのに、初めて見たね」
「ね、今キマイラがいないからかなぁ」
「まぁ何にせよ素通り出来て良かったな」
はしゃぐハーヴェイとマリアベルに、アランがまとめて会話が終了する。
ハーヴェイはまた辺りを警戒しはじめ、マリアベルはローゼリットの横の後列に戻る。ローゼリットが地図を描いたり確認したりする時には、時々、マリアベルが錫杖を預かっている。
6階の大広間に、今日は“桜花隊”の恭右さんと翔左さんはいないみたいだった。彼等だって、いつも6階で食事を作っているわけではないだろう。前回初めてこの広間にグレイ達が踏み込んだ時に、会えた事がむしろ幸運だったのだ。グレイは何となく、そういう幸運は全てマリアベルのお陰のような気がしてしまう。
そろそろ昼食時だったから、移動食堂でパンとスープを買う。迷宮内で採れたという植物と、迷宮の外から持ち込んだらしい豚の燻製肉を煮込んだ黄金色のスープに、日持ちしそうな硬い黒パンを浸して食べる。これはこれで美味しいけど、“桜花隊”で貰ったスープの方が美味しかったな、とか思う。
「にゅふぁー」
マリアベルは満足だったらしい。スープの一滴、パンの一欠けらも残さず食べきって変な声を上げる。にゅふぁーって。グレイはもう、うんと昔から聞いているから慣れてしまったけど、お店の人はどういう意味だろうと怪訝な顔をしていた。何でだかグレイが照れてしまう。
「とっても美味しかったです。ごちそうさまでした」
微笑んでマリアベルが食器を返すと、お店のおいちゃんも安心したようだった。
「ご贔屓に」
「はぁい」
「また来ます」「ご馳走様でした」とかハーヴェイやローゼリットが言うと、ますますおいちゃんはご機嫌になったみたいだった。
「お嬢さんたちみたいに可愛い子は、いつでも歓迎するよ」
言われて、ハーヴェイは微妙な顔をする。グレイとアランは何とか笑いをかみ殺し――損ねて、ふぐっ、とか、くふっ、みたいな音が漏れた。ハーヴェイに幸あれ。
大広間の端では、また、カーン、カーンと木に斧を入れている音が響いていた。鐘の音のようだった。こちらでは、今日もまたギルド“シェヘラザード”の面々が、護衛に当たっているように見えた。メンバーは流石に変わっているんだろうけど。
「護衛をいつも付けているという事は」
ローゼリットもそちらを見て、感想を呟く。
「6階の動物も、時々は大広間の冒険者を襲いに来るのでしょうね」
「そうねぇ。迷宮の動物からしたら、だいぶ勝ち目のない戦いに思えるけど。でも、来るのねぇ」
マリアベルも、思慮深げな表情でそちらを見ていた。迷宮の動物が――ひいては3柱の運命の女神さま達が、何を考えているのかは分からない。けれど、この大広間を快くは思っていないだろうなと、根拠無くグレイも思う。
便利だけど、大広間に対してあまり良い感情を持っていないからか、いつもの3人が横になれる程度の道幅に戻るとほっとする。迷宮の動物に襲われるかも知れないけれど、迷宮の中ではこの道幅が、そして襲われるかもしれない緊張感が、普通だ。