4-15
マリアベルは普段よりも軽やかに歩いて、猫の散歩道亭まで帰って行く。肩の荷が、少しだけ下りたらしい。グレイにはよく分からないけど、やっぱり家の事情を黙っているのは――パーティの仲間に秘密があるのは、しんどかったのだろう。
ローゼリットの足取りも、同じくらい、いや、マリアベルよりもっと軽やかだ。マーリンさんに親友と評されたのがよっぽど嬉しかったんだろう。女性陣の背中には、羽でも生えてそうな感じだ。あぁ、2人はどこでも、どこまでも行けそうだなぁ、と呑気に思う。
迷宮を踏破するから、急いでるの。
そうしなきゃ、生きて行けないの。
マリアベルはマーリンさんに語った。うんとお金持ちの家のお嬢様なのに、地面を転がったり怪我をしたりしながら、迷宮を登るマリアベルは。そうしなきゃ、生きて行けないのか。大変な話だ。
そうしたら、グレイは付き合おう。迷宮を踏破して女神さまに会うまで、マリアベルに付き合おう。
グレイが誓いを新たにしたのに気付いたみたいに、マリアベルは振り返る。
「どした?」
「にゅふふ、何だか、嬉しい感じがしたの!」
「……そりゃ、良かった」
「うん!」
マリアベルは魔法使いだ。不思議で、不可解な。だけど、気持ちを見透かされて嫌な感じはしない。マリアベルは嬉しそうに歩いて行く。
「明日も、迷宮に行こうねぇ」
「そりゃ、冒険者だしな。迷宮行かないと」
「そうねぇ」
「7階にいる何かは心配だけど、それでも踏破するなら、7階も通り抜けないと」
「うん」
ほんの少し、マリアベルは顔を引き締めた。
「マーベリックさんのお話だと、うんと強い何かが居たって、ね。ミノタウロスみたいな感じかな」
「ん。かもな」
「そしたら、またグレイ任せになっちゃうね……でも、頑張って、くれる?」
「何とかする」
何の根拠も無く言い切ってから、グレイは慌てて付け足した。
「……出来るだけ」
にゅふっ、とマリアベルが噴き出した。聞いていたアランとハーヴェイも「だよな」とか「だよねぇ」とか言い合っている。「いつも、頼りにしてしまってごめんなさい」ローゼリットにまで言われて、そうかな、とか不思議な感じがする。
「ローゼリットが謝る様なことじゃないよ。怪我しそうだな、って思いながら戦う時にはローゼリットの事を完全に頼りにしてるし。俺は盾役だから、ハーヴェイとかマリアベルが仕留めてくれるのを頼りにしてるし、もし俺が駄目になってもアランがいるって頼りにしてるし」
「え」ローゼリットが口に手を当てる。
「にゅ」マリアベルが2回まばたきをした。
「う」ハーヴェイが頭に手を乗せる。
「そ……」アランが頭上に視線を動かした。
何となくつられてグレイも空を見上げる。夕方より夜に近付いた藍色の空で、一番星が煌めいていた。街の外では、緑の大樹が街を擁くようにそびえ立っている。ミーミルの、景色だ。アランが絞り出すように言った。
「そうか……」
「にゅふふー!」
いつになくはしゃいだ感じで、マリアベルがグレイとアランの肩をぺしぺし叩いて来る。
「何」
「にゅふふっ! グレイもローゼリットもアランもハーヴェイも大好き! って事」
「何だよ急に」
恥ずかしい事言うなよ。そんな事を言いそうになって、そもそも恥ずかしい事を言ったのはグレイが先のような気もしてくる。
「私も大好きです!」
じゃっかんいつもより浮かれた感じで、ローゼリットが頬を薔薇色に染めて全員に告げる。
「大好きだよね!」
「はい!」
マリアベルとローゼリットは手を取り合ってきゃあきゃあ喜んでいる。うん。視線が逸れて、良かったなハーヴェイ……。
必死で鼻を詰まんで上を向いているハーヴェイを、せめてもの慈悲で背後に隠してやりながらグレイはアランの方を見る。アランもグレイと一緒になって、ハーヴェイをローゼリットの視界から隠してやりながら、憮然とした表情をする。背後を振り返らずにアランは言った。
「……鼻血の時は上、向くなって言うだろ」
「ぜんぶのむからいい……」
蚊の鳴くような声で、ハーヴェイ。大丈夫だろうか。でもまぁ、死ぬ前にローゼリットに笑顔で大好きとか言われて良かったな。
「いきててよかった……!」
「安い人生だな、おい」
アランは呆れたみたいにハーヴェイを振り返る。グレイもそっと後ろを窺うと、ハーヴェイは宣言通り鼻血を飲み込みながら、涙ぐんでるみたいだった。流石にじゃっかん引いた。もしも、もしも色々な立場とかアレとかソレとかを乗り越えて、ローゼリットと付き合える事になったら、ハーヴェイはその瞬間死ぬんじゃなかろうか。
不意にマリアベルが足を止めて振り返る。
「にゅにゅ、アランもグレイもどうしたの? 変な顔して」
「してるか?」
変な顔っていうか、つーか気付け、魔法使い、みたいな顔をしてアランが応える。
「してるよぉ」
マリアベルはほにゃっとした顔で頷いて――それから、アランとグレイが庇っているハーヴェイの様子に気付いたらしい。
「……でも、照れてるんだって思う事にする!」
たたっと足を速めて、マリアベルはローゼリットと腕を組んだ。
「どうしました?」
「にゅーん、くっつきたくなっただけ!」
「うふふ、甘えたさんですね」
「にゅーふふ!」
これでもう、ローゼリットが後ろを振り返ることは無いだろう。ナイスだ、マリアベル。ローゼリットはマリアベルと仲良く歩きながら、でも、と少しだけ声を曇らせた。
「7階にいる何かは、少し心配です……踏破は遅くなってしまいますれど、また職業ギルドに行って新しい特技を覚えて来ませんか?」
「にゅにゅ……」
マリアベルはぎゅうっとローゼリットにしがみつく腕に力を込めたみたいだった。
「……そうねぇ、浮かれ過ぎは、良くないねぇ。お金に余裕もあるし、ギルド、行こうか」
「臆病者め」アランが呆れたように言うけど、「まぁ、6階ほとんど素通りだったし、7階はもっと住んでる動物も強くなってるだろうし」とかグレイまで言ったら納得してくれた。ハーヴェイはまだ話せる状況じゃないけど、2、3回頷く。鼻血、早く止まると良いな。
猫の散歩道亭を目指して歩く。明日はギルドだ。マリアベルが小さく歌う。聞き慣れたものなのか、ローゼリットまで一緒になって歌っていた。明るくて楽し気で、でも、何故だか歌詞は切なくなるような悲しさがある。2人は腕を組んだまま、歌う。歌って歩く。2人の幸せがずっと続けばいい。祈る様に、グレイは思った。