4-14
決して短くない廊下を通って、店として使うであろう改装中の広間も通り抜けて、多分大事な商談とかをするために残されたのであろう応接室に案内される。貴族の邸宅の家具をそのまま買い上げたのか、椅子とか机とかが異様に豪華だ。壁にある暖炉とか柱とかにも、妙に凝った装飾がされているし。
「お掛けになってお待ちください」
「はぁい」
コリンズに言われて、マリアベルは可愛らしく返事をして椅子に座った。けど、グレイ達は躊躇ってしまう。椅子に張ってある布、どう見てもグレイの母親が持っていた一番良いドレスよりも立派な布が使われてるし。身だしなみを整えてきたとはいえ、じゃっかん薄汚い冒険者姿だし。
「ほらほら」
マリアベルは気にしていないように、自分の隣の椅子を叩く。座れって、事らしい。
最初に腰掛けたのはローゼリットだった。それからアランもハーヴェイもグレイも、怖々座る。柔らかっ。沈み込んでしまいそうになって、グレイは慌てて手摺を掴む。
ローゼリットはこういう椅子にも座り慣れているのか、浅く腰掛けて、綺麗につま先を揃えている。こう見ると、やっぱりローゼリットは品がある。まぁ、王女様なんだから当たり前っちゃ当たり前か。
「マリアベル」
「うん」
アランが硬い声で尋ねると、マリアベルはいつも通りのほにゃっとした笑顔で頷いた。アランはその笑顔にちっとも和まなかったみたいだ。硬い表情のままで、呻くように続ける。
「ハリソン、商店」
「そうよぅ。あのねぇ、あたし、マリアベル・ハリソンって言うの」
「お前がハリソン商店の“放蕩娘”か!」
愕然としたようにアランが叫ぶ。ローゼリットも驚いたように目を見開いた。マリアベルはちょっと恥ずかしそうに髪に触れて、笑う。
「そう呼ばれてるのはねぇ、知ってる」
「有名なの?」
グレイが尋ねると、有名も何も、とアランは呻いた。
「お……貴族よりも富める金融王、ハリソン商店の長女だぞ! その癖、社交界に一切顔を出さない深窓の何とやらかと思ったら、実家を出奔したって噂だ」
アランはグレイに念押しするように言う。
「いいか、噂が王都に住んでるだけの一般人に伝わる様な家だぞ」
「……」
グレイはしばらく考える。
「……もしかして、マリアベルの家って、凄い?」
「ローゼリットほどじゃ、ないよぅ」
マリアベルは笑う。そらまぁ、そうかも知れないけど。
アランは「マジか……何で冒険者……まぁ魔法使いだからか……」とかぐるぐる呻いて考えている。ハーヴェイは「あ、はは……そっ、かー……ハリソン商店かー……」とか笑おうとして失敗していた。アランもハーヴェイも王都育ちっぽいから、都会の噂にはグレイよりは詳しいのだろう。
グレイからしたら、そうかー凄いのかー、としか感想が抱けない。ちょっとグレイの頭は残念な出来なのかもしれない。でもまぁ、余計なことで悩まなくて済む頭だから、グレイ自身そんなに嫌いではない。
話しがひと段落したとき、部屋の扉がここんっ、と叩かれる。返事が遅れると、ここここんっ、とやけにリズミカルに追加で叩かれた。何だろう、この既視感。
マリアベルは嬉しそうに立ち上がって扉を開けに行った。
「――マーリンお兄さま!」
「マリアベル! よく来たね!」
マーリンお兄さま、と呼ばれた人は、マリアベルを抱き締めようとして――何でだか空振りした。別にマリアベルが避けたりしたわけじゃない。マーリン自身も不思議そうな顔をしている。マリアベルは、仕方ないなぁって顔だ。
空を抱き締めて、マーリンは首を傾げた。
「……何故だろう?」
「相変わらず、お兄さまの運動神経は素敵ねぇ」
そういう問題なのか? グレイには分からない。アランにもハーヴェイにもローゼリットにも分からなそうだ。後ろに立っていたコリンズさんはただ苦笑している。
グレイは1回だけ会ったことがある、マリアベルの兄さんだった。マリアベルにそっくりな、煌めくような緑の瞳に、短いとはいえふわっとした金髪が、マリアベルとの血の繋がりを如実に感じさせる。
マーリンは気を取り直したように、マリアベルの頭を撫でようとして――やっぱり空振りして肩に手を載せる形になった。大丈夫だろうかこの人。
「……ともあれ、よく来たね、マリアベル。元気そうで嬉しいよ。そうしてグレイ君は久しぶりだね。君も無事で何よりだ。お三方は初めまして。マリアベルの兄の、マーリン・ハリソンです」
「お久しぶりです」
グレイは慌てて立ち上がって頭を下げる。
ローゼリットはするりと立ち上がった。
「初めまして。僧侶のローゼリットです」
アランとハーヴェイはガタガタ立ち上がる。
「アランです」
「ハーヴェイです。初めまして」
3人が口々に言うと、ほんの少し笑みを深めてマーリンはローゼリットに訊き返した。
「僧侶の?」
「はい、僧侶です」
「では、私はマリアベルの兄として振る舞わせて頂こうかな――いつも、マリアベルと仲良くしてくれてありがとう。どうかこれからもよろしく」
笑うと、マーリンはますますマリアベルに似ていた。にゅーふふ、とマリアベルは嬉しそうだ。ローゼリットも、仲の良さそうな兄妹をみて顔をほころばせる。
「こちらこそよろしくお願いいたします――マーリンさんは、ミーミルへお仕事にいらしたのですか? ハリソン商店の本店は王都にあったと記憶していますけれど」
「うん。今、ウルズで一番勢いがある街だからね。今回支店を開くことにしたんだ。それに、ハリソン商店は元々薬屋だから。迷宮から黒欠病に効果のある植物が見つかったと聞いたら、座ってはいられないよね――あぁ、これは話の比喩で、座って座って」
マーリンに手で勧められて、全員椅子に座り直す。マーリンの横に座ったマリアベルがそっと付け加える。
「それに、画家さんや詩人さんをたっくさん連れて来たみたいね」
「ハリソン家が芸術家の支援をしているのは知っているだろう。そして緑の大樹は今や、ウルズの国中の興味の的だ」
「でも、迷宮を、冒険者を、安い見世物にするなんて」
マリアベルの声には珍しく、本気の苛立ちがあった。
「安くはないよ」
マーリンはどうと言う事でも無いように微笑む。
「うんと高く、売るのだよ。人の人生も買えるくらい」
「にゅーん……」
マリアベルは不満そうに唸って、それから、グレイ達が居る事を思い出したらしい。
「……そんな感じ、なのです」
どうもマリアベルは実家とは方針が合わないらしい。だから、今日までグレイ達に紹介しなかった。そんな感じだろうか。
「お兄さまとあたしは、仲良しではあるんだけどね」
「この子は“放蕩娘”だから」
アランの方を見て、マーリンは笑う。聞こえていたらしい。アランは困ったように眉を寄せる。
「あー……」
呻いて、何を言えばいいか分からなくなったらしい。珍しい。マーリンは仕方なさそうに、少しだけ寂しそうに、笑った。
「まぁ、大部分では事実でもある。この子は思うままに生きる事しか、出来ないのだろうから」
「そうねぇ。だから、家を出たの……出来るだけ、支援も受けないようにしてね。でも、ローゼリット達に内緒にしておくのも、何だか変かなと思ったから、今日来たの」
「私はマリアベルの初めての女の子の親友を紹介して貰えて、とても嬉しいよ」
「にゅにゅい……」
マリアベルは恥ずかしそうにマーリンの服の裾を引っ張った。
「お兄さま、それは内緒にしてねって、言ったのに……」
「おや、そう言えば」
マーリンは穏やかに微笑む。どうにもこうにも、マーリンはマリアベルより何枚も上手らしい。
ローゼリットは幸せそうにはにかんでいる。
「うふふ……親友……」
「にゅ……あのね、お兄さまには時々手紙を出してたから……」
もにゃもにゃと口の中で言って、マリアベルはすくっと立ち上がった。
「……にゅあー! もう、帰ります!」
「おや、慌ただしい」
「だって、迷宮を踏破するから、急いでるの!」
「そうだねぇ」
マーリンは、また、少しだけ寂しそうに笑った。マリアベルは念押し確認をするように言う。
「……そうしなきゃ、生きて行けないの」
「そうだねぇ。君は魔法使いだ。私達の理解の及ばぬ、手の届かぬ、魔法使いだ……」
マーリンは立ち上がって、グレイ達に深々と頭を下げた。
「……グレイ君、ローゼリットさん、アラン君、ハーヴェイ君、どうか、どうかこの子をよろしくお願いします」