12
ここまで来たのだから、と全員で頷いて、入り口まで戻り、今度は右に進む。場所のせいか、すれ違う他の冒険者は、僧侶や呪術師、吟遊詩人らしき、後衛の冒険者が多い。
偏見かもしれないが、戦士らしき冒険者は1人も見当たらない。いや、装備を外しているだけかもしれないが。少し廊下を進むと、各種書庫と呼ぶに相応しい、書棚が数十架並ぶ広い部屋に行きついた。
「うにゅあー、書庫。凄い、いっぱいある」
マリアベルが見たまま感動していると、不意に横から声を掛けられる。
「……君たち、新米?」
見ると、何とも具合の悪そうな顔色の青年が、眼鏡の位置を直しながら尋ねてきた。濃い緑のローブに、ミーミルの紋章の刺繍。ミーミルの官吏のようだ。
「はい、新米冒険者です。マリアベルって言います。初めまして! 具合悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「……初めまして。ありがとう、具合は問題ないよ。むしろ今日は良い方だ」
「えぇ……?」
じゃっかん怪訝そうにマリアベルが首を傾げる。慣れたものなのか、青年は首を振ってから気を取り直したように続けた。
「わたしはミーミルの官吏で、この書庫の管理人のマーベリック。書庫への登録と、閲覧申請が初めてなら、説明しようか?」
マーベリックに言われて、マリアベルは嬉しそうに頷いた。
「お願いします!」
「うん、じゃ、君たちここに座って」
やっぱり立っているのが辛かったのか、マーベリックは数冊の本が積まれた会議卓を示す。8人掛けだったから、安心して全員で座る。
「冒険者は迷宮内部の報告義務がある。これはもう、あちこちでうるさく言われてるだろうけどね。実際には、ここで報告を行うことになる。とはいえ、既に他の冒険者が登録している情報もあるから、1から10まで事細かに報告する必要はない」
そこまで言って、マーベリックは本を3冊取り出した。本、のような形のもの、という方が正しいだろう。表紙と背表紙の厚紙だけあるような奇妙な形だ。その中の1冊をマーベリックが広げて見せる。中には、金属の棒が2本、裏表紙から生えていて、留め金があった。
「これが君たちのパーティの図鑑になる。中身は見ての通り、まだ空っぽだ」
マーベリックが触っていない残りの2冊を、マリアベルとハーヴェイがそれぞれ広げて眺めている。そちらも、同じ構造だ。背表紙に書かれている文字だけが、3冊それぞれ異なっている。『地形』『動植物』『その他物品』と。
「わたしが持っている、この『地形』の本には、君たちが書いた地図をただ複写して、挟み込んで行くことになる。もしも未知の階層に、君たちが踏み込んだ場合は、改めてわたしたち管理人に報告して欲しい。その時には、君たちの地図を参考にして、大公宮が管理している原本地図にわたしたち管理人が追記を行うことになる」
にゅ、とマリアベルが手を上げた。マーベリックは頷いた。
「どうぞ」
「未知の階層かどうかは、どう判断すればいいんですか?」
当然のようにマリアベルが尋ねると、マーベリックは苦笑した。
「やる気だなぁ……簡単だ。14階以上に登ったら、報告して欲しい」
「じゅう、よんかい」
マリアベルが噛み締めるように繰り返す。
「そう。現在14階までの報告が大公宮に寄せられている。君たちがトップランカーになる頃には、もう少し進んでいるかもしれないけどね……上部を走るギルドは、今は3つしかないから、そこまで大きな変化はないかもしれない」
「冒険者全員が、踏破を目指しているわけではないのですか?」
ローゼリットが、思わずといった形で尋ねる。マーベリックは苦笑を深めて言った。
「名目としてはそうだけど、ある程度の階層まで進むと、1度の探索でしばらく蓄えが出来るほどの利益を得られるようになるからね。無理に上階層を目指して全滅しても面白くないといった判断か、ある程度まで行って、それなりの蓄えが出来ると引退する冒険者が最近では主流だ。もちろん、その『ある程度』まで辿り着けずに全滅するパーティと、まったく儲からなくて諦めるパーティはもっと多いよ」
「……そういう事情でしたか」
冒険者証明証の裏の、それなりに大きい数字に思いを馳せてローゼリットは頷いた。
「さて、あとは『動植物』と『その他物品』かな。こちらも、今までの冒険者からの報告を基にして、大公宮は1冊ずつ原本を作成している。君たちは、動物や、採取した植物などの、発見場所と、大まかな特徴を報告することになる。報告内容と、原本の情報が一致すると、原本の複写が君たちに払い出される。原本には、命名された動物の名前と、現在分かっている生態が記載されている。複写を集めていくことで、君たちのパーティだけの図鑑が出来上がる仕組みだ」
マリアベルがちょっと首を傾げて、尋ねる。
「報告内容が、原本に存在しなかった場合は?」
「その場合は、仮で原本として登録される。仮版登録後に、他の3パーティ以上から仮版登録内容と同様の報告が上がった場合は、正式に原本として登録されることになる。その際には、最初の報告者へ動物や植物の命名権が与えられる」
マーベリックは、慣れたものなのだろう。すらすらと答えていく。ふと、思い当ってグレイは手を上げた。マーベリックは頷いた。
「どうぞ」
「動物は、見かけただけでもいいんですか? つまり……倒さないで、逃げてきただけでも報告をしてもいいとか、悪いとか」
ふむ、と頷いて、マーベリックは顎に手を当てた。
「その辺りは微妙でね。正直、こちらには判断しようが無い。全ての冒険者パーティから、倒した証明として毛皮やら爪やらを持ち込まれても困るしね。ただ、確かに君が気にしたように、見かけただけで大公宮へ報告を行う冒険者は少ないらしい――冒険者の矜持かな? わたしには分からないが……」
マーベリックはそこまで言って、また、位置がずれた眼鏡を戻す。どうも、あまりサイズが合っていないらしい。
「分かりました。ありがとうございます」
グレイが礼を言うと、マーベリックは片手を上げて頷いてから、さて、と咳払いをしてから微笑んだ。
「では、早速報告をしてみるかい冒険者? おおかた、ネズミと、モグラは倒して、蝶には逃げられ、青虫からは逃げてきたってところかな?」
新米のペースは慣れたものらしい。グレイとアランはちょっとにやりと笑って、アランが答えた。
「蝶も倒しました。なんか、結晶みたいなのも拾いましたよ」
言うと、マーベリックは驚いたようだった。
「凄いな、鱗粉の結晶は、なかなか拾えないって評判なのに……あぁ、そうか、マリアベル、君が魔法使いだからか」
言って、マリアベルを見て納得したように頷いた。にゅふっ、とマリアベルが笑う。
「雷精霊に関連する魔法や特技で蝶を倒すと、拾えることが多いらしいね。あぁ、ただ拾った、とかでなければどうやって手に入れたかも、『その他物品』では報告してもらえると嬉しいな。秘密主義なのか、本当に分からないのか、報告がなかなか上がらないことも多くてね」
マーベリックはさらに別の書類束を取り出して、何枚かの紙を抜き出していく。マリアベルが受け取って、微妙な顔をした。
「……気持ちは分かるけどね」
眼鏡を持ち上げながら、マーベリックが言う。マリアベルは紙を読み上げた。
「『噛み付きネズミ』に、『引っ掻きモグラ』に、『青い蝶』……これ、正式名称なの?」
机の上に紙を並べながらマリアベルが尋ねる。冒険者に無料で配布する形になるのだから当然かもしれないが、かなり質の良くない紙に、正式名称と、動物の図と、簡単な生態の説明文が印刷されている。
「偉大な先人のセンスだ。まぁ、分かりやすいと言えば分かりやすいと評判だよ」
「そうですけどー……『青い蝶』って、まんまだし……」
じゃっかん不満そうに呟きながらも、マリアベルは丁寧に紙を集めて、からっぽの図鑑に挟み込んだ。他にも、『モグラの爪』や『鱗粉の結晶』の報告を行い、同様に紙を受け取る。
「さて、君たちはこの図鑑を持ち帰ってもいいし、この大公宮に預けることも出来る。それから、有料にはなるけれど、君たちの知らない――たとえば地図とか、1階層に現れる動物の数とかの情報を買い取ることも出来る。値段は、今日まで君たちが大公宮へ報告した情報の総数と、大公宮がランク付けした情報の重要度の兼ね合いで変わってくるから、一概に幾らとは言えないけどね。興味があれば、値段表の本があるから見てみると良いよ。もちろん、他の冒険者に尋ねて、口頭で教えて貰うのは君たちの自由だ。まぁ、今日の説明はこんなところかな。質問はある?」
マーベリックが言うと、ハーヴェイは『その他物品』の図鑑を示しながら言った。
「図鑑を預けて、また取り出すときには、どうするんですか?」
「あぁ、わたしたち管理人がこの書庫で預かる時に、君たちの冒険者証明証の番号を控えさせてもらうから、取り出す時にもまた、冒険者証明証を見せてくれればいい。まぁ、大抵のパーティは、報告者が固定になってくるから、だいたい顔パスになってくるけどね……ちなみに、これは偏見では無くて、観測結果に基づいた事実だけど、戦士の報告者はとても少ない」
マーベリックの補足に、全員が、さもありなん、と言った顔をした。
地図は一度書き直してから報告することにして、図鑑を3冊預けて帰ることにする。帰り際にマーベリックは「あくまで君たちの自由だけど」と、前置きをしてから言った。
「この大公宮を出て、中央広場の並びの、いちばん緑の大樹側の角に、『リコリス商店』という、冒険者から迷宮の物品を買い取る店がある。ミーミルの中でも大手で、誠実な商売をしているところだから、持帰った爪や結晶を売るなら、お勧めするよ。他にも商店はたくさんあるし、物品の値段は商店ごとに決めているから、リコリスに売ると一番君たちが儲かるかは分からないけれど、あまり怪しい個人商だと、冒険者とのトラブルが時々起こって、こちらにも色々被害報告だの仲裁依頼だのが来て面倒……っと、これは言いすぎだった。忘れてくれ」
あまり良くない顔色をさらに悪くして、マーベリックは首を振った。後半は完全にただの愚痴になっていたが、助言はありがたく受け取ることにする。
「いえ、ご助言ありがとうございます。リコリス商店に行ってみます」
ローゼリットが言うと、マーベリックは頷いた。グレイ達が立ち上がると、ふと、思い出したように付け足した。
「それじゃ、冒険者。君たちが生きてまたここへ報告に来ることを祈っているよ」