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翔左は困った顔で、更にわしゃわしゃマリアベルの頭を撫でる。
「悲しむ事ではないよ。彼の魔法使いは、望んでそう生きている。小さな魔法使いが、若き冒険者が、元気を失くすのは良くない事だ……嗚呼、そうだ。元気を失くして、6階を歩くのは難しいだろう。如何だね、家でご飯を食べて行かないかい?」
「…………」
マリアベルはしばらく黙っていた。それから、そっと顔を上げた。少し恥ずかしそうではあったけど、小さな声で確かに言った。
「…………ご飯」
「そうだよ! “桜花隊”の、迷宮内特製昼餉だ。美味しいよ。ほら、5人で御出で」
翔左はほっとしたようだったけど、アランが慌ててマリアベルの襟首を引っ張った。
「い、いえ、そこまでご迷惑をお掛けするわけには」
「にゅぐー!?」
「あ、アラン! 引っ張り過ぎです!」
苦しそうな声を上げたマリアベルを、男2人から取り上げてローゼリットは抱き締めた。マリアベルは途端に幸せな猫みたいに笑う。
「にゅいにゅい……引っ張られたー。でもまぁ、アランの言う通りねぇ。翔左さん、お気持ちだけとってもありがたく頂戴します」
「ふぅむ」
翔左は顎に手を当てる。この人だってしばらく迷宮にいる筈なのに、髭とか全然生えてない、つるっとした白い肌だった。いや、ちょっとだけ、ウルズ人より肌の色が黄色掛かっている。東の方から来た、人なんだろうか。
「何、君達が“ゾディア”の御気に入りであり、我が“桜花隊”の客人で在ると周知するのは、悪くない事だろう。詰まり此れは政治だ。迷宮は、女神と人が、知恵や力を競うだけの場所では無いのだよ――分かるかね?」
翔左は意味深な顔で、ある方向に視線を投げた。視線を追う。何となく、柄の悪い帽子の集団が、こちらを窺っていた。
誰ともなく、溜息を吐き出す。翔左だけは愉快そうに笑った。
「其の煩わしさを減らす為に、我が“桜花隊”はギルドを名乗ったのだよ――さ、理解したのならば御出で。我が朋友の、愛し子達」
そこまで言われては――グレイ達が強く断る理由は、思いつかなかった。
黒地に薄ピンクの花弁が散っている天幕の近くまで翔左に付いて行くと、何人かの冒険者が昼餉の準備をしている所だった。三角巾まで頭に巻いて、中心で調理の指揮を執っている男性冒険者は翔左に物凄くよく似ていた。兄弟だろうか。
「おぉい、恭右、御客人だ」
「今度は何を連れて来たんだ、御前は」
良くあることなのか、多少呆れたように振り返った恭右は、多分マリアベルを見て納得したような顔をする。
「おや、彼の魔法使いが話していた小さな魔法使い殿か。つい先日5階の入口に居たと聞いたが、もう6階に来るとは早いものだ」
「マリアベルと言います。迷宮を、踏破するつもりなので。急いでます!」
誇らしげに笑って自信たっぷりにマリアベルは言った。久しぶりに聞いた気がする。恭右は驚くでもなく、やはり嬉しそうに頷いた。
「うん。若き冒険者はそうでなくては。善い哉、善い哉」
若い若いとグレイ達を見て言うけど、2人ともどれ位の年なんだろ。見た感じでは、ギルド“ゾディア”のメンバーと同年代――20代前半とか、それ位にしか見えないけど。
恭右と翔左以外のギルドメンバーは、そんなに外国人と言う感じはしない。だけど、誰も彼も何となく余裕があって品が良い感じだ。
「ほら、こちらにお座りなさいな。敷布を靴で踏まないように気を付けてね」
僧侶の女性冒険者が、厚い敷布の一角を示して言う。こちらは水色に薄ピンクの花弁が散っている模様だった。
「素敵な敷布ですね。天幕にも、このお花の花弁が刺繍されていますけど、ギルド名に関係あるんですか?」
ちょこん、と敷布の上に腰掛けてマリアベルが訊ねる。そうよ、と僧侶さんは答えた。
「ギルドマスターの名前が桜花、と言うの。サクラという木の花、って意味。サクラという木は春になると、木の枝と言う枝に薄ピンクの花を付けて、ほんの数日で散ってしまうと聞くわ。ウルズには無い植物だけれど、それらしい刺繍をギルドのものには施しているの」
「1年に、ほんの数日しか咲かないの?」
「と、聞くわね。大将――じゃなくて、ギルドマスターと、その弟2人は、東の果ての島国から来た人だから、本当か嘘か、私達には分からないけど。でも本当だったら、とても儚い花よね。ギルドの装飾も、花が散る様子を描いているの。私達からしたら少し縁起が悪いような気がするけど、彼の国ではその潔さが尊ばれるそうよ」
落ち着いた声で僧侶さんは言って、「どうぞ」と大きな椀を差し出してくる。それからフォークも。
「ありがとうございます……美味しそう!」
マリアベルが椀の中を覗き込んで、幸せそうに笑う。
茶色の汁の中に、何種類もの野菜や肉の塊が煮込まれていた。具だくさんって感じだ。恭右が、木の皿の上に、米を三角に握って海苔を巻いたものも持ってくる。
「調味料以外は、全て迷宮の中で採れたものを煮込んだんだよ。栄養があるし、何より迷宮の植物は味が良い。見た目が洗練されているわけでは無いが、美味しいと思うよ。それからおにぎりもどうぞ」
「「「「「いただきます!」」」」」
5人で声を揃えて言って、椀に口を付ける。ほんのり甘くて、しょっぱい汁の中に、柔らかくなるまで煮込まれた肉とか野菜の旨味が溶け込んでいた。空腹だったのを差し引いても、物凄く美味しい。
「……美味しい」
しみじみとした声でローゼリットが呟く。グレイとかマリアベルとかアランは食べるのにちょっと忙しい。野菜とか肉をはふはふしながら何とか頷く。
「美味しいねぇ」
ハーヴェイだけが声に出して同意して、にこにことグレイ達を眺めている恭右に訊ねる。
「これ、全部迷宮の中で採れるんですか」
「そうだよ。下は2階で採れる根菜から、上は12階に住んでいる豚に似た動物まで」
「12階!? そんなに上から持ってくるんですか」
「うん。迷宮の生き物の肉は、捌いてしまうと驚くほど腐らないものでね。もちろん、途中の階で採れる氷雪も保存に役立てているが……と、まぁ、御楽しみをばらしてしまうのは善くないね」
恭右は辺りを見回した。迷宮の緑は濃く、冒険者達は生気に満ちている。少し離れた所で、翔左もグレイ達と同じものを食べていた。翔左に寄り添うように、僧侶さんが座っている。ギルド“桜花隊”の冒険者は、誰も彼も目が合うと微笑んで会釈を返してくれる。凄い感じ良い。大人だ。何となく、世の人が想像する冒険者っぽくない。こんなギルドを率いる桜花と言うギルドマスターは、どんな人なんだろう。
ほんの少し、恭右は目を細める。
「此の緑の大樹は美しい。そうして其処で生きる冒険者も、美しく在るべきだ。と、僕達は考える。子供に悪さをする様なギルドは、出来るなら潰して仕舞いたい位だが、世の影を失くすのは難しい事だ……残念ながらね」
言っている事はけっこう過激な気がするけど、この人も冒険者というより、賢者とか隠者とかそういう雰囲気だ。
マリアベルが何とか頬張っていたものを飲み込んで、尋ねた。
「“桜花隊”は初めて冒険者が悪辣な冒険者の取り締まりを行ったって伺っています。どうしてだろうって、ずっと不思議に思っていました。何の得にもならないし、逆におかしな言い掛かりをつけられるかもしれないのに。でも、そういう事じゃ、ないんですね」
「ふむ。そうだねぇ」
恭右は意外そうにマリアベルを眺めた。感慨深そうに、呟く。
「しかし、魔法使いと言うものはそういう生き物なのかも知れない」
「にゅ?」
「いや何。思っていた以上に、魔法使いと言うのは夢想家では無いと言う事だよ……さて、その通りだ、マリアベル。我らは真なる善を体現する訳では無い。だが、為さぬ善よりは、為す偽善の方がまだしも救われると信じているのだ」