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そもそも、ローゼリットの父親たるウルズ王は美しい青年だった。そうして、若い頃はその美しさと立場を存分に楽しんでいた。それこそ、幾つもの浮名が立つような。
で、20歳になった時、隣国からお妃様を迎えた。当時はまだ先王が存命だったから、王妃、じゃなくて、王太子妃になる。その王太子妃は、ウルズ王とは正直釣り合わないと誰もが思ってしまうくらい、地味で大人しくて――つまり、冴えない女性だった。だから、誰もが王太子妃はこの婚姻を喜んでいるだろうと思っていた。何せ、美貌の王子に嫁ぐわけだから。
恐らく、ウルズ王――当時は王子か。でも面倒だから、ウルズ王で揃える。ウルズ王も、そう思っていた筈だった。
王太子妃は粛々と嫁ぎ、粛々と子供を妊娠して、大きな事故もなく出産した。そこまでは良かった。
そうして大問題が起こった。
生まれた姫が、ウルズ王に全く似ていなかった。顔立ちどころか、髪の色も、瞳の色も似ていなかった。
そして、王太子妃にも、全く似ていなかった。
王太子妃が、祖国から連れて来た騎士にそっくりだったのだ。
これはまずかった。というか、まぁ、最低だった。大臣や大貴族たちはそれこそ卒倒しかけるほど怒り狂った。王太子妃と姫君の2人を処刑せよと言う声も上がった。あわや隣国と戦争かとも囁かれ――そうして、当の不貞を働かれたウルズ王はあっさりと言った。「まぁ、そういったこともあろう」と。
御自分も随分と楽しんでおられたから、という陰口はあったが、とにかく事が荒立たないのなら何よりであった。もちろん、王太子妃と姫君は蟄居、即座に新しい妃が用意されたが、王太子妃――今の正式名称は、第一王妃と第一王女は今でもウルズ王国の王族として、日陰者とは言え不自由なく暮らしているという。
そうして2番目の王妃――やはり隣国から嫁いだ彼女は、本当にウルズ王との婚姻を喜んでいた。公式な発言として、第一王妃は何て趣味が悪いのかしら、とすら無邪気に言い放ったという。とにかく、美しいウルズ王に誰が見ても夢中で、浮かれていた。
そのはしゃぎ振りに、迂闊だとか軽薄だとか眉を潜める人は多かったけれど、でもまぁ、地味で、貞淑な顔をしてとんでもないことをやらかした第一王妃よりは、ウルズの貴族達からずっと好意的に受け入れられた。
そうして、王女が生まれ、王子が生まれた。
最終的に、3人の王子と2人の王女が生まれ――そうしてその5人は、第二王妃の生き写しのように、ウルズ王に全く似ていなかった。
この件に関して、第二王妃に非は無い。全くない。我らが父に誓って、彼らはウルズ王の血を分けた子供だった。
でも似てなかった。
その頃には、先王が他界し、王位に就いたウルズ王はやはりあっさりと言った。「まぁ、そういったこともあろう」と。
そうして、第二王妃との間に生まれた王子を王太子に定めた――のなら良かったのだが、口では気にしていないと言いながらも、正式な王太子に定めるのは渋り続けた。
で、第三王妃である。
彼女は、元は王の近衛僧侶であった。まぁ、王様専属の医者みたいな感じだ。貴族では無かった。若くして、しかも女性で、王の近衛僧侶の1人になるくらいだから、僧侶として物凄く優秀ではあった。でもそれだけの筈だった。
のだが、先王亡き今や、叱る者が誰も居なくなったウルズ王は気紛れのように彼女を娶って第三王妃とした。あまりの身分の低さに、止める者も少なくは無かったのだが、何かの思し召しのように上手く話は進み、第三王妃は2人の姫君を産み落とした。この双子がリーゼロッテとローゼリットである。
で、だ。
ローゼリットだけが、似ていた。
ウルズ王に。
奇跡のように。何かの祝福のように。
美貌で名を馳せた王の娘に相応しい容貌を、生まれたばかりのその時から、ローゼリットだけが持っていた。神話で語られる天上の者のような完璧な美貌も、雪花石膏のような白い肌も、空のように淡い青い瞳も、麦の稲穂のような独特の髪の色も、ウルズ王の生き写しのようだった。
ウルズ王は、またあっさりと「まぁ、そういったこともあろう」と言うと思われていた。
でも、言わなかった。
狂喜した。
第一王妃の振る舞いや、罪が無いとはいえ、自分に似ていない子供を産み続ける第二王妃に対して、やはり思う所はあったのだなぁと周りが改めて同情するくらい、喜んだ。本来ならば女子は継嗣たり得ないのに、生まれて間もないローゼリットを継嗣に定めようとし始めるくらいに、もう大喜びだった。
おぉローゼリット。可愛いローゼリット。そなただけが余の娘だ、と。
その言葉に慌てたのは第二王妃と、その取り巻き達だ。そらまぁ驚くだろう。身分の低い女が第三王妃になったと思ったら、その娘が継嗣に定められようとしている。理由は、顔が王に似ているから。そんな馬鹿な話があって堪るかと思ったに違いない。
そして、聡明故に第三王妃――ローゼリット達の母親も気付いていた。「こいつに娘を任せたら、駄目だわ」と。
第三王妃の動きは素早かった。娘の将来と安全の為、と称して、ウルズ王が何かを言う前に娘2人をメーティス女子修道院へ放り込んでしまった。国内で最も戒律が厳しいと言われるメーティス女子修道院では、王女と言えど、我らが父の御許で全て同じ人の子として扱われる。
ウルズ王は後になって猛烈に反対したが、第三王妃は全然聞く耳を持たなかった。王宮内に不要な騒ぎをもたらすわけには参りません、と涼しい顔で応じ続けた。
政治に関わろうとしない第三王妃の方針は、冷静な大臣や貴族達には歓迎された。彼等にとって、ローゼリット姫は愛らしいにせよ、ただそれだけの姫であるべきだった。
王は可愛い姫に会えなくなることを渋ったが、僧侶とすることには賛成せざるを得なかった。ローゼリットの立場の微妙さは国王自身、ほんの少し落ち着けば十分に理解できるものだったし、僧侶になると言う事は、万一政争に巻き込まれて傷付くことがあってもすぐに自身で治癒できる。
何より、僧侶を害した者は我らが父の加護を失う――具体的に言うと、僧侶の魔法が効かなくなる。下手人だけでなく、僧侶を害せと命じたものも我らが父の加護を失う。
これは、万一の時に犯人探しが簡単なことこの上ない。容疑者に疑われても、潔白の者はほんの少し手の甲に傷をつければ済むのだ。逆もまた然り。天網恢恢疎にして漏らさずとは言ったものだ。だから、僧侶になっておけば安全だと説いた第三王妃に、ウルズ王は強く反対できなかった。
そんなわけで、王女様だけど僧侶、と言う奇妙な姉妹がこのウルズ王国に生まれた。
双子はすくすく育った。ウルズ王との妥協点として、戒律が許す限りの頻度でローゼリット達は王城上がっていたという。でも、王城があまり好きではなかった第三王妃は、国王と面会する時以外はすぐに王都にある実家で過ごしていたらしい。両親と、姉と、入り婿だった姉の夫と、その子供たち――つまりローゼリットの従兄妹であるアランとアランの兄弟がいる家で。
ローゼリットの母親は貴族では無かった。祖父母も僧侶だったけど、つまり平民だ。アランの父親はもともと騎士階級の身分の生まれだったらしい。でもまぁ、騎士階級は3代限りの準貴族だし、アランの父親は僧侶の家庭に入り婿になることで、騎士の相続権とかを色々放棄した。
だから、完全に平民の少し裕福な一般家庭に、第三王妃と、2人の姫君が押しかけていたことになる。冷静になると滅茶苦茶な話だな、と、話しているアランも苦笑していた。
とにかく、ローゼリットの母親は聡明で、そして何より、自分がやりたいように振る舞う人だった。その為に、自分の全能力を活用する人だった。お陰で、頻繁に自宅に泊まりに来る姉妹とアランはすっかり親しくなってしまった。双子の片割れが冒険者になると言い出した時に、仕方ねぇなぁという謎の理由で一緒に冒険者になってしまうくらい。
そう。ローゼリットは冒険者になった。何故か。別に、マリアベルのように熱烈な理由があったわけじゃない。なるしかなかった、とアランは言う。
王城にはあんまりいないようにしていたとはいえ、ものには限度があった。第三王妃と子供たちのために離宮も用意されていたし、それなりの期間はその離宮で過ごしていた。
うんと子供の頃は、良かった。第三王妃と姉妹の3人で慎ましくも平和に暮らしていたという。
ローゼリットがめきめきと美しく育っていくと、話が少しずつ変わって来た。
娘と会うたびに、王は感嘆の溜息を吐いた。おぉローゼリット、可愛いローゼリット、そなただけが余の娘だ。と、お決まりのやつだ。
継嗣云々の話は流れたにせよ、第二王妃は面白くない。その息子や娘たちも、本当に面白くない。事実美しいローゼリットへの嫉妬もあった。王の目の届かない所で、ローゼリットは異母兄姉たちに随分苛められたという。
それにしたって、何不自由なく育てられたお坊ちゃんお嬢ちゃんのする苛めだ。巧妙さは無いに等しいし、王城のあちこちには侍従や侍女、護衛の兵士や騎士などが掃いて捨てるほどいる。目撃者は枚挙にいとまがなかった。
寓話で良くある話だ。美しいが性格の悪い娘と、平凡な容姿だが心優しい娘の、どちらを愛するかと。
現実は易しかった。平凡な容姿の性格が悪い王女と、美しくて心優しい王女。どちらが愛されるかと。
考えるまでも無かった。意地悪な異母兄姉に苛められながらも、僧侶として健気に慎ましく振る舞うローゼリットの人気は、まず侍従や侍女や――比較的身分の低い者たちの間でうなぎ登りだった。
そうなると、身分の高い者達も、そういえばと気付き始める。意地悪な姉姫様に、数少ない持ち物である猫の人形を取り上げられても、「どうぞ可愛がってあげてください」と涙をこらえて微笑むローゼリット姫の健気なこと! あるいは乱暴な兄王子に足をドレスの裾を踏まれて転んでしまっても、決して誰かを責めたりしないローゼリット姫の慈悲深いこと!
そうして、大臣や貴族たちも考え始める。隣国から嫁いで来た御方の御子はどうにも。やはり、両親ともにウルズ人であられるローゼリット様の方が、ウルズの民を導くのに相応しいのではないか? と。
いつしか、国王への媚態を多分に含んでいるにせよ、そう言った声が宮廷内で公然と聞こえて来るようになった。
困ったのは第三王妃と、ローゼリットだ。
ローゼリットは王女兼、僧侶としての暮らしに不満は無かったし、女王になるなどとんでもないと思っていた。
第三王妃も、甚だ不安であった。適当なことを言う輩は簡単で良いが、ローゼリットにとっては一生の問題だ。隣国からの不興を買い、老いて美しくなくなっても女王を続けられるというのか?
そして2人は我らが父の導きのように、1つの法を思い出した。
ラタトクス細則、第8則――緑の大樹の頂点へ辿り着いた者へは、ウルズ王より褒美を与える。
冒険者として富を得、第8則の報酬として王女としての権利を全て放棄すれば良いと。
もちろん、簡単に幾多の冒険者が挑戦した緑の大樹を踏破出来るとは考えていなかった。けれど、ともかくウルズ王が檄文を発行した通り、緑の大樹への挑戦は奨励されている。父王に忠実な娘として、ミーミルへ住居を移してしまえば、いつしか王宮の人々から忘れられるだろう。追々、ウルズ王が諦めて第一王子を継嗣に定めたら、お祝いがてら王都に戻ってくれば良い――第三王妃とローゼリットは考え、そうしてローゼリットは冒険者になった。