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「にゅ」
ぱちぱちと2回まばたきをして、マリアベルは立ち尽くす。流石に予想の斜め上だったか。
マリアベルは聡明だ。つまりローゼリットが何者かも理解しただろう。
『お姫様』の、初夏に相応しい、淡い水色の絹のドレスには幾つもの真珠が飾られていた。繊細なレースと青玉で飾られた扇で口元を隠してリーゼロッテは、迷宮帰りの双子に話しかける。
「まぁ久しいこと。冒険者の真似事をしていると聞きましたけれど、その格好は何ですの。始めは気付きませんでしたわ」
この程度の短い会話からでも、マリアベルなら十分に2人の関係性を理解しただろう。その筈なのに、なお勇敢に魔法使いは口を挟む。
「真似じゃ、無いよぅ」
近衛騎士達が色めき立つのも構わず、チェシャ猫の笑みで告げた。
「ちゃーんとした、冒険者だよ。お姫様だか、ローゼリットの双子だか知らないけど、失礼なこと言わないでねぇ」
うげっ、とか、ひいっ、とかマーベリックとグラッドが呻いた。えぇっ……と、ハーヴェイがマリアベルを見上げる。マリアベルは平然としていた。リーゼロッテは眉を寄せる。
「無礼な。何ですの、貴女は」
「あたしねぇ、マリアベル。ローゼリットと同じパーティの魔法使いだよ。ローブはね、ローゼリットが寒いって言ってたから、貸してるけど。でもちゃんとした魔法使い」
「あら、そうでしたの――同じパーティとは言え、ロゼの出自は知らなかったようですけれど? その程度の仲で、冒険者ごっこは出来ますのね」
リーゼロッテの嘲るような言葉に、ローゼリットは肩を震わせた。
「別に、意地悪で隠していた、わけでは……」
マリアベルは、にゅーん、と唇を尖らせた。「あのねぇ」と言い掛けた時、ひょいっとグレイが立ち上がる。ローゼリットは叱られる前の子供みたいに首を竦めた。「ご、ごめんなさっ……」ローゼリットが言い終わる前に、グレイはローゼリットの肩に手を乗せる。
「そんなこと、どうだっていいんだ」
「え……っ?」
グレイは、当然の事のように言う。事を理解していないのではない。理解した上で、ただ真摯にローゼリットと向き合う。
「そんなこと、どうだっていいんだ。謝らなくても良いよ。俺は、どれだけローゼリットが俺達の怪我を治してくれて、マリアベルを守ってくれたか、知ってるから」
そう言って、迷宮の中でするみたいにローゼリットを背後に庇う。マリアベルはうんと幸せな猫みたいに笑った。
「グレイは、ほんとに大事なことは間違えないよ。知ってる。アランは……何やってるんだろうねぇ。良いけど」
ちらり、とこちらを振り返ってマリアベル。許してもらえた、らしい。やっぱり迷宮の中でするように、ひょいっと杖を掲げる。
「あなたなんて、ミノタウロスやキマイラに比べたら可愛くって仕方ないよ。あたし達のローゼリットのこといじめるなら、やっつけちゃうからね」
マリアベルが勇敢なのは知ってたつもりだが、それはまずい。王族直属の近衛騎士は飾りではない。
「マリアベルっ……!」
アランが喚いても、近衛騎士が無言で抜剣しても、マリアベルはチェシャ猫みたいに笑っている。
「あなたの騎士だって、全然怖くないよ」
「「無礼者っ!」」
やはり双子なのか、綺麗に声を重ねて2人の王女は叫んだ。リーゼロッテは怒りに顔を歪めて。ローゼリットは、小さな魔法使いを抱き締めて。二の句を継いだのは、ローゼリットだけだった。
「仮にも王の娘に、武器を向けるとは何事ですか!」
マリアベルはローゼリットの腕の中でにゅいにゅい笑う。
「ほらね、言ったでしょ」
酷い話だ。近衛騎士には同情するしかない。この手を使われたら、マリアベルを害せる筈がない。
「ローゼリット姫……」
「にゅっふーん」
苦い顔で騎士は魔法使いを睨み付けるが、どうしようもない。マリアベルは歌うように告げる。
「ほらね。知ってるんだよ。ローゼリットはあたし達の仲間で、あたし達のことをぜーったい助けてくれるって。他に何を知ってなきゃいけないって言うの? 言葉の通じないミノタウロスやキマイラの前で、お父さまの名前がそんなに大切? ギルド“ゾディア”に勲章を渡しに来たのに、そういうのは、良くないと思うよぉ」
威嚇するように、マリアベルは杖を掲げる。ローゼリットが手を伸ばして杖を引き戻した。
「……でも、やっつけないで」
「にゅ? どうしても?」
「どうしても。お願い」
「にゅぅん。そうだねぇ。じゃ、やめとくねぇ」
マリアベルは杖を下ろして、じぃっとリーゼロッテを眺める。何か思いついたらしい。珍しく邪悪な感じに微笑んだ。
「あとは、そうだね。ローゼリットがいつも良い匂いだとか、着痩せする方だとか、いろーんなこと知ってるよぉ。だから、その程度の仲なんて、もう言わないでねぇ」
その言葉に、ローゼリットは「え、そ、そうですか?」とか恥ずかしそうに顔を赤らめ、リーゼロッテは「ぐぅっ……」と胸を押さえて苦しそうに身体を屈めた。可愛い顔をして、マリアベルは残酷だ。豪奢なドレスを着ていても、リーゼロッテがスレンダーと言えば響きが良いが、ローゼリットに比べると色々貧相なのは自明だ。恐ろしい魔法使い。つーか、やっつけてるじゃねーか。
戦慄しながらアランが立ち尽くしていると、するっとローゼリットの腕から抜け出したマリアベルがとことこ歩いて来る。アランの頭から兜を外して、グラッドに返した。
「グラ……衛兵さんの兜、勝手に取っちゃうのは良くないよ。他人のフリしたのは、そうだねぇ……」何かを思い出すように、ほんの少し目を細めた。「……あたし達は、精霊と魔法使いじゃなくて、人間と人間だから、許したげるよぉ」
「……すまん」
いつぞやの会話を、マリアベルは思い出したのだろう。予防線を張ったアランを責めることなく頷いた。
「にゅふふ。それじゃ、帰ろうか」
ローゼリットと手を繋いで、マリアベルは歩いて行く。
恐れるように――と言うより、関わりたく無いというのが本音だろう。多くの騎士や、王都から来たらしい文官や、ミーミルの大公宮の大臣までもが小さな魔法使いと、姫君、兼、僧侶の冒険者に道を譲る。グレイとハーヴェイとアランも、どさくさに紛れて付いて行く。
花道を歩く演者のように、途中まで行儀よく歩いていた。ある程度リーゼロッテから距離を取ると、合図も無く全員で脱兎の如く駆け出す。ばたばたと駆けて行くマリアベル達を見て、他の冒険者や、ミーミル衛兵が怪訝そうな顔をする。大公宮を出ても、人混みから逃げるように、猫の散歩道亭に向かって走り続ける。走りにくいだろうに、マリアベルとローゼリットは繋いだ手を離さない。
すっかり喧騒から離れて、宿屋街に辿り着いても全員で走ったままで、楽しくなってきたのかマリアベルが小さな子供みたいに声を上げて笑う。つられたように、ローゼリットも、ハーヴェイもグレイも笑い出した。アランは笑えない。
「何が、面白いんだー!」
「びっ、くり、したー!」
にゅふぁー! と変な笑い声付きでマリアベルが言う。
「全然、びっくりしてるように見えなかった!」
ハーヴェイが突っ込むと、「俺は、割ともう駄目かと思った!」と、グレイはグレイでとてもそうは見えなかったことを言い出す。
「だから見えないってば!」
あはは、とハーヴェイが笑う。猫の散歩道亭の看板が見えてくる。つんのめりそうになりながら、宿屋の前でマリアベルが止まった。ふわふわの金髪を煌めかせて、魔法使いは仲間を見回して笑う。
「――何処へだって行けるし、何だって出来るよ、あたし達」
普段通りの、傲慢で、可愛くて――そうして、それを本当に現実にしてしまいそうな、笑顔だった。
思わずアランが頷くと、マリアベルはほにゃほにゃ笑って猫の散歩道亭の扉に手を掛ける。
「ほら、アランまで保証してくれた。これは、凄いよ、珍しいよ、にゅふふっ……でもまぁ、今日は疲れたから、もう休もうか」
カラン、と扉につけられた木製のベルを鳴らして宿に入る。
冒険はまだまだ続くのだろうけど、何処へだって行けるし、何だって出来るし――これから、何者にでもなれるような、気がした。




