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ラタトクス大公の紋章が掲げられる大公宮に入ると、街の熱気が嘘のように遮断されていた。涼しい。寒いくらいだ。
「少し寒いですね」
ローゼリットも腕をさすっている。「そんなに寒い?」マリアベルは目をまたたかせた。ハーヴェイもグレイも、そうかなぁ、と不思議そうだ。
「寒いよな」
アランが言うと、「そうですよね」とローゼリットも早足に歩き出す。
気温差か――もしくは、悪い予感のようなものだったのか。
入口のホールの案内板に従って書庫に向かおうとすると、大公宮の警備に当たっていた衛兵と、ミーミルの官吏の青年が立ち話をしていた。遠くから見ただけで、会話がギクシャクしているのが分かる。
「あ、グラッドさんとマーベリックさんだ。こんにちはぁ」
ててっ、と小走りにマリアベルが寄って行くと、2人は露骨に安心したようだった。
「やぁ、マリアベル」
「おう、良い所に来たなー」
2人とも、マリアベルしか見ないで話している。元々はパーティを組んでいた仲間だというのに、難しいものだろうか。まぁ確かに、ハーヴェイもマリアベルもローゼリットも迷宮で死んでしまって、後日アランとグレイが会話をするとしたら、こんな感じになるだろう。
「良い所なんですか?」
にこにこ笑ってマリアベルが尋ねると、グラッドが書庫とは逆の通路を指差した。
「凄く良いタイミングだよ。今日、王都から王女様が来てな。これから冒険者登録所で、“ゾディア”に勲章を授与されるんだ」
グラッドは辺りを見回して、他の衛兵に聞こえないようにマリアベルに囁く。
「内緒だけど、そろそろあちらの通路からいらっしゃる予定だぞ」
「わぁ! お姫様!」
マリアベルは嬉しそうに言って、グレイが慌てて口を押さえた。マーベリックは苦笑している。グラッドの兄貴が小声で言ったの、台無しだ。
だけど、アランもローゼリットもそれどころじゃない。ちらりと見ると、隣のローゼリットの顔色が青いのを通り越して真っ白になっている。燃え尽きるのはまだ早いだろ。
まだいける筈だ。いくらマリアベルが運命を引き寄せまくる魔法使いだとしても。
「ロゼ、帰るぞ。速攻で走れば、まだ間に合うかもしれん」
小声で囁くと、はっ、と息を吸って再起動したローゼリットがこくこくと頷く。指先がかたかた震えていて、今にも錫杖を取り落としそうだ。落ち着け。
「……ローゼリット、大丈夫かい? 随分と顔色が悪いようだが」
宿屋で話した時とはまったく違う、ミーミルの官吏らしい口調でマーベリックが言う。状況を忘れて、一瞬笑ってしまいそうになる。改めて見ると、なんつー大人の対応。
「にゅあっ!? 本当だ。さっきも寒いって言ってたしね。帰ろうか……あ、あたしのローブ、着る?」
マリアベルがもそもそとローブを脱ぎ始める。ナイスだ魔法使い。僧侶の白と青の服は目立ち過ぎる。
「あ……あの、いえ……あの、ですね、実は……」
だいぶ混乱しているのか、ローゼリットが余計な事を言い掛ける。「借りるぞ」四の五の言わせずにマリアベルから真っ黒なローブを受け取って、ローゼリットの肩に掛ける。ハーヴェイは得も言えぬ顔だ。
「遠慮しなくて良いよぉ。女の子は身体を冷やしちゃ駄目よ、ってあたしのお母さまが言ってた」
マリアベルがローブの上からローゼリットの背中を撫でる。それからグラッドとマーベリックの方を見てチェシャ猫みたいに笑った。
「お姫様は……そうだねぇ、あたし達が女神さまと会ったら、きっとお目に掛かれるだろうし。今日は良いかなぁ」
何ともまぁ傲慢な言い草だが、相手はグラッドとマーベリックだ。2人とも、ローゼリットを案じるように言って来る。
「まぁ、君達ならそうだろうね。早く帰って温まりなさい」
「ぶふぉっ。いや、うん。そうだな、お大事に」
最初にグラッドが噴き出したのは、色々堪えきれなかったからだろう。マーベリックは額に薄く青筋を浮かべて「どうしたんだ衛兵?」「いや、くふっ……何でも。管理人殿」と愉快な会話を交わしている。
早く。早くほら行くぞ早く。祈る様に思う。でないとこういう事になるから。
「――姫殿下のお渡りである!」
「にゅ。あらら」
ぞろぞろと奥から出て来た騎士が、グラッド達のような現地の衛兵と、何人かいた冒険者を押しのけるように告げる。「しばらく通れないかな」黒い帽子と杖だけになったマリアベルが、肩に杖を乗っける。
これはもうあれだ。これしかない。
「グラッドさん」
「おう、どうしたアラン」
「一生のお願いです。兜貸してください」
「はぁ?」
怪訝そうなグラッドの了承も得ずに、兜を借りて勝手に被ってその場にしゃがみ込む。後はもう祈るしかない。いや、上手く行くはずだ。行くに違いない。ちなみに根拠は無い。
「……どしたの、アラン?」
小さいくせに、妙に良く通る声でマリアベルが言う。出すな。俺の名前を出すな。頼むから。
「……あ、お姫様」
マリアベルが背伸びしている足元だけ見ていた。グレイもグラッドもマーベリックもそちらを見ただろう。ハーヴェイは動かない。動き回る動物の方が、迷宮では目立つことを知ってるから。
「……あ、れ?」
マリアベルが怪訝そうな声を上げる。兜があってもミーミル衛兵の見分けがつく魔法使いだ。どんな要素で人間を見分けていても、アランはもう驚かない。
「んー……あの、お姫様……」
とか思って俯いていたら、グレイまで怪訝そうな声を出した。グレイにまでばれるなら、駄目か。
諦めて、立ち上がる。アランとは逆に、グラッドとマーベリックは慌てて膝を突いて臣下の礼を取った。何だよもう、と思う。
「――ロゼ!」
似ているようで、似ていない、甲高い声。
何で話しかけるんだこいつは本当にアホか不仲なら黙って通り過ぎろ大人の対応を取れ馬鹿従兄妹ー!
脳内で一気に悪態を吐き散らす。
止める騎士たちを振り切って、『お姫様』――ウルズ王国第4王女、リーゼロッテ姫がずかずかと歩いて来る。
ミーミル衛兵の兜越しの、狭い視界でマリアベルとグレイを探す。2人ともきょとんとしている。
「……リ、ゼ」
ローゼリットが絶望的な声を出した。
にゅぅん? とマリアベルが変な声を上げて、『お姫様』とローゼリットを見比べている。グレイは、思い出したようにグラッドとマーベリックの真似をして膝を突いた。
似ていない。だろう。有り体にいうと、残酷なくらい。
髪の色は、同じだ。瞳の色も。背丈も、同じくらいかもしれない。
従兄妹のアランが見ても、2人の類似点はそれ位しか浮かばない。決してリーゼロッテも不美人というわけでは無いのだが、これは如何なる試練だと言いたくなるくらい顔立ちは似ていない。
王女への媚態は多少なりとも含まれるとはいえ、多くの詩人に『妖精の様な』『あらゆる少女の理想を集めた様な』『夢の中に咲く花の様な』と大仰に讃えられたローゼリットに比べて、リーゼロッテは『ご近所でちょっと有名な可愛い女の子』でしか有り得ない。同じ日に、同じ母親から生まれた筈なのに。
「……お知り合い?」
案の定、マリアベルは残酷な事を尋ねる。ローゼリットが首を振った。かすれた声で囁く。
「双子、です」