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どれくらい休んでいたのか。そんなに長い時間じゃないだろう。うつらうつらしていたマリアベルがひょこっと起き上って、「にゅ。行こうか」とかおもむろに言い出したから探索を再開する。
マリアベルが何を感じ取ったのか分からないけど、みんな十分休んだからそろそろ良いよねって歩き出す。いくらかも歩かないうちに、ハーヴェイが遠くを見た。
「あ。冒険者」
「珍しいな」
「ね。珍しい……知らない人、かなぁ」
入口とか街中ですれ違ったことはあるかもしれないけど、知らない人だ。何ていうか、一目で冒険者っぽい冒険者だな、と思う。強そうで、あんまり礼儀正しくなさそうな。
「……あそこ、曲がろうか」
ハーヴェイが少し戻ったところにある小道を指差すと、マリアベルが頷いた。
「そうだねぇ」
マリアベルは躊躇いなく来た道を戻る。ハーヴェイがグレイ達を抜いて先頭に出た。ちょいちょい、とグレイとアランを手招きする。
「ほらほら。安全第一、だよ」
「ほんとにねぇ」
ローゼリットの手を引いて、マリアベルも笑う。困ったようにローゼリットがマリアベルの頬っぺたを突っついた。
「心配性ですね」
「にゅにゅ? ローゼリットに言われるのは意外です」
アランも溜息を吐く。
「アルゼイドさんも言ってたしな。迷宮の探索は、人と人の戦いだって」
そこまで言われると不安にもなる。グレイは最後尾について、振り返る。不機嫌そうな声を上げて、冒険者達は歩いている。「畜生、あの合成獣」「キマイラはさー。ほんっと上層階当たってるギルドが責任持って狩るべきだよねー」「ねぇ、誰か俺の怪我治してよ。もういないでしょ」「毎度逃げられて、少しの稼ぎにもならねぇ」「まぁまぁ。最初っから手負いだったから、追い払うのも楽だったじゃん」「だから俺の怪我ー!」わぁわぁと話しながら、グレイ達とは別の道を行く。これなら鉢合わせしなさそうだ。
ハーヴェイはあの人たちの進行方向に気付いてないのか、急ぎ気味だ。けっこう太い道と交差したので、1人で先行して辺りを見回している。
「なぁ、あの人達、別の方行ったよ。あと、やっぱりこの辺りに――」
キマイラいるっぽい。そう言おうとしたら、こちらを振り返ったハーヴェイが横に吹っ飛んだ。本当に酷い時は、悲鳴も出せない。自分より10倍以上の体重を持つ生き物に轢かれたら、そりゃ声も出ないだろう。
アランとローゼリットが立ち竦む。マリアベルが2人を押しのけて走って行きそうになる。だから毎度な。
「魔法使いは後ろ!」
マリアベルの腕を掴んで小道に押し込む。
キマイラに横から襲撃されたハーヴェイは、地面を赤く染めながらしばらく転がったらしい。小道の出口から少し離れたところに倒れている。
ある程度は躱したのか、ぱっと見ではどこかがとれたり、中身がはみ出している様子は無い。良かった。いや、足が変な方に曲がって骨が飛び出している。ハーヴェイはぴくりとも動かない。気絶してるだけなら、良いんだけど。
ハーヴェイを跨ぐように、キマイラが立っている。先ほどの冒険者にやられたのか、ライオンの左目が潰されていた。どっかの茂みの奥に引っ込んで、1月くらい療養しててくれればいいのに。
「ヴェェェェェエ……!!」
成人男性の叫び声のようにも聞こえる鳴き声が、ヤギの口から零れる。グレイが動きかけると、ローゼリットに手を引かれた。
「動かないで! ハーヴェイからキマイラを離さなくては。グレイとアランはここで待機。マリアベルは『氷槍』を使ったらすぐに小道へ逃げてください。助走付きで襲って来るでしょうから、最初だけ何とか避けましょう。その後、私がハーヴェイの所に向かいます!」
「ならローゼリットは始めから隠れてて」
グレイが軽く肩を押すと、ローゼリットは傷ついた顔をした。
「私だって、仲間で、冒険者です!」
「……うん? うん。知ってる。ローゼリットしか、ハーヴェイのことを助けられないから」
ごく当然のことを答えると、ローゼリットは真っ赤になって「ごめんなさい」とすぐに小道に隠れてくれる。良かった。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
マリアベルが杖を掲げて高らかに叫ぶ。ヘーレの趣味なのか、気合の入れ方なのか。『氷槍』の詠唱は普段よりも声が高い気がする。マリアベルは結果を見届ける前に、大きな木の陰に隠れる。ハーヴェイにライオンの頭を寄せていたキマイラは、嫌そうに首を振って『氷槍』を躱す。そのまま、冒険者を睨んで体をたわめる。
来る、とは分かっていたけど、キマイラの巨体が迫る様は圧巻だ。
避けろって言われたけど。そらま、轢かれたら怪我人が増えるだけだ。僧侶からしたら、絶対にそう言うだろう。キマイラは突進してくる。避けられるか避けられないかじゃなくて、避けなくて良いんじゃないかとか戯けたことを思う。だってもうライオンの鼻先が届きそうだ。喧嘩の時は。元聖騎士らしくない、グレイに剣を教えてくれた人は悪ガキみたいに笑って言っていた。
喧嘩の時は――鼻先をぶっ叩け!
『盾強打』の要領で、襲い来るライオンの鼻先を掬い上げるように殴りつける。馬車に正面から轢かれる様な衝撃。轢かれたことないけど。天も地も分からなくなるくらい地面を転がる。キマイラはキマイラで、ライオンとヤギの2つの口が絶叫を上げた。「にゅぐ……っ!」マリアベルが詠唱を途切れさせる。どうもヤギのこの声は、魔法使いにとって鬼門らしい。
「我らが父よ、その貴き御業で愛し子をお救いください!」
ハーヴェイの元に辿り着いたらしいローゼリットが、覚えたばかりの『祝福』を使う。それだけ酷い怪我だったんだろう。確か1日に1回しか使えないって聞いた。
何とかグレイが起き上ると、アランがキマイラに斬りかかった所だった。炎の咆哮を上げかけたライオンの口に長剣を突き刺す。「あっちーな、くそっ!」アランは毒づきながら、更に喉の奥に押し込む。ライオンの上顎が、アランの肩に噛み付く。何処か太い血管を傷付けたのか、派手に血が噴き出すけどアランは下がらない。
「2人ともかっこつけすぎ!」
復活したハーヴェイが、キマイラの背中に飛び乗る。たたっ、と軽やかにキマイラの背中の上を走って、振り返りかけたヤギの後ろ首に深々と短剣を突き立てた。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
マリアベルも負けじと『氷槍』をヤギの頭目がけて放つ。「もう少しです!」ローゼリットが叫ぶ。「何の根拠があるんだそれ!」だらだら血を流しながら、アランが更に長剣を押し込む。ライオンの後ろ首から、長剣の先が突き抜けていた。「あるから、あるの!」マリアベルがまた詠唱を始める。グレイも駆け寄って、ヤギの首を狙う。キマイラはもう前脚を折って、ライオンの潰されていない右目は白目を剥いていた。もう少しだ。
根拠は無いけど、グレイ達は何となく知っている。重い盾を手放す。キマイラの前脚を踏み台にして、背中に飛び乗る。振り上げて、振り下ろす。それだけと言えばそれだけだし。角度や勢いやタイミングを極めたらきりがない。『激怒の刃』。戦士の、最初に習い、最強に成り得る特技。ハーヴェイがヤギから短剣を抜いて飛び退った。
「っ、ああああああああっ!」
ハーヴェイと入れ替わる様に、ヤギに長剣を振り下ろす。首の半分くらいが千切れて、ヴェ、と絶叫が不自然に途切れる。あ、やべ。と思いながら、傾くキマイラの巨体に巻き込まれるようにグレイはまた地面を転がった。