3-33
ローゼリットがキマイラの左脚に錫杖を叩き付けた。グレイやアランに比べたらずっと非力だけど、遠心力を使って、かつ正確に関節を狙った攻撃はキマイラの巨体を傾がせる。
グレイが立て直すと、ローゼリットは深追いせずにすぐに下がった。
「Goldenes Urteil wird gegeben!」
すかさずマリアベルが『雷撃』を発動させる。ヤギの背中に直撃した――けど、あんまり効いていない感じだ。巨体の所為でそう思うだけだろうか。アランとグレイが斬りかかっても、ヤギの首は魔法使いを探すように辺りを見回している。
「にゅー……?」
マリアベルは唸って、ローゼリットの背後に隠れる。
「マリアベル、『氷槍』の方が効いていたようです」
「やっぱり?」
ローゼリットに後押しされて、マリアベルはまた詠唱を始める。2人の会話は聞こえているようで、グレイには聞こえてこない。ただライオンと睨み合う。前脚が振られる。盾で防ぐ。腕が折れるんじゃないかと思うくらいの衝撃。だけど折れてない。ならまだ大丈夫だ。盾で前脚を押しやって、また長剣を振るう。キマイラの喉元に、掠り傷。
キマイラが飛び退る。それから、また襲い掛かって来る。防ぐ。盾の影から斬りかかる。防ぎ損なったら、たぶんまぁ死ぬだろう。良くても酷い怪我をするだろう。だけどグレイはまだ無事だ。ハーヴェイが矢を射かけたらしい。キマイラは下がろうとする。させるか、と踏み込む。何でこんな事が出来るのか不思議だ。俺ってこんなに勇敢だったのか。こんなに丈夫だったのか。ガツーン、と盾が鈍い音を立てる。丈夫だったらしい。「は、はははっ!」笑えた。他人事のように感心する。お前、凄いな。ほんの何ヶ月前に、こんな神話の中で語られる様な怪物と渡り合う日が来るなんて思ったか?
アランかハーヴェイが、蛇の胴体を切り落としたらしい。牙を剥いた毒蛇が地面に転がる。3匹は感覚をどこまで共有しているのか。ヤギの口が絶叫する。ライオンは怒りに目を燃え上がらせてグレイに前脚を振るって来る。控えめに言っても、腕の骨が『もう駄目です』みたいな音を立てた。盾を持った左腕が燃えるように熱くなる。それでもまだ立っているから、キマイラを睨み付ける。見て良かった。
ライオンの口が、半開きになっている。咆哮、ではない。息を吸っている。喉の奥が見間違えようも無く輝いていた。
「―――グレイっ、避けてくださいっ!!」
ローゼリットの声が、響く。
大変、ありがとうございます。
「ォオオオオオッ!!」
ライオンの口から、咆哮と炎が迸る。ローゼリットの声に従って避けたつもりだったけど、肩に炎の塊がぶち当たった。マリアベルの『火炎球』みたいな、自然現象では有り得ない炎の塊。
「あっづぅっっ!」
腕が炭になるんじゃないかと思った。なってないけど。とはいえ酷い火傷になっただろう。たぶん。ただ、その傷をグレイが見るより早く、後ろに引っ張って下がらせられる。錫杖が向けられた。
「我らが父よ、慈悲のひとかけらをお与えください」
時間を巻き戻すように、痛みが引いて行く。火の点いた肩も、折れたんだかヒビが入ったんだかした左腕も治療される。僧侶、ほんと凄い。
グレイが引いた代わりに、アランが前に出る。マリアベルも、後の事は一切考えていない勢いでキマイラに氷の槍を放つ。盾を捨てたアランと、紙みたいな防御力のマリアベルでは、キマイラが反撃する隙も無いくらいに攻撃を叩き込み続けるしかない。もしくは避けても良いんだろうけど、お互いを気にしてか引けていない。
「えいっ!」
アランが息切れしかけた時、絶妙なタイミングでハーヴェイがヤギの左目に矢を突き立てた。ヤギとライオンの口が同時に絶叫して、転がって離れて行く。背の低い木がなぎ倒される。道が広がる。
「うわっ、わーっ!?」
転がるキマイラの進行方向にいたハーヴェイが悲鳴を上げて大木の陰に隠れる。大丈夫だろか。
「ローゼリット、俺はもう平気だから!」
錫杖を軽く押して立ち上がる。ローゼリットは小さく頷いて、ハーヴェイを探しに走る。走りながら、キマイラを眺めて叫んだ。
「マリアベル、出来るだけヤギの頭を狙ってください! 3匹が独自に考えられるとしても、身体機能を制御しているのは1匹に限られるはずです!」
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
まかして、という返事の代わりみたいにマリアベルは氷の槍を振らせる。今までのように自分の近くからキマイラに向かって放つのではなくて、キマイラの頭上に氷の槍を生み出して、ヤギの頭目がけて垂直に落とす。
「せっかく覚えたのにごめんね! 今回『属性追撃』は諦めてね!」
「しっかたねーな!」
マリアベルがこんな時なのに軽やかに笑う。アランもヤケクソのように笑って答えた。
まー、分かるよ。脳内で変な物質が出てる。いくらローゼリットに治療してもらったからって、細かい怪我は治ってない。腕とかの細かい傷からはまだ血が出てる。だから何かと痛いはずだけど、全然分からない。行くぜ。倒すぜ。キマイラ。そんな事しか考えられない。
アランと入れ替わる。アランは不思議なくらい勘が良くて、言わなくても分かってくれる時がわりとある。単純に、実はあちこちに気を利かせているのかもしれない。ヤギとライオンの頭を混乱させるように、大きく避けてキマイラの背後に回る。ライオンがまた息を吸い始めた。
「Werden die Silbertragödie gewickelt!」
詠唱の声も高らかに、マリアベルがつららみたいな氷の槍を振らせる。ライオンは上を向いて、咆哮と共にぶわっと炎の息を吐いた。氷の槍が融けて滴になって落ちる。ハーヴェイの矢も紛れ込んでいたらしい。木で出来てる箆や、動物の羽で出来てる矢羽は燃えてしまう。だけど、金属で出来た矢じりだけは残ってヤギの後ろ首に当たった。熱されて、余計痛かったのかヤギが絶叫する。恐怖、というより不快感を駆り立てる声。
「にゅ、ぅ……っ!?」
耐えられなかったのか、マリアベルが詠唱を中断して、耳を押さえてしゃがみ込んだ。
魔法は遅れたけど、グレイとアランは棒立ちのキマイラに猛然と斬りかかる。当然と思うべきか、意外だと驚くべきか、キマイラの血も赤い。この辺りは普通の生き物、らしい。
木の上に登ったハーヴェイが、キマイラの背中の上に飛び降りた。ヤギの頭もすぐに気付いて、ハーヴェイに噛み付こうとする。盗賊の特技『背面刺殺』とはいかなかったけど、正面からヤギの口に短剣を突っ込んで、横に斬り裂いた。
いけるんじゃないか。期待した。ハーヴェイはやる時はやる奴だ。無責任だった。ごめん。
キマイラが2つの口で咆哮を上げて、頭を滅茶苦茶に振る。「わわっ!?」ハーヴェイはすぐにキマイラの身体から飛び降りた。キマイラはそのまま茂みの中に逃げ込んでいく。盛大な音を立てて細い木をへし折ったと思うと、巨体の割に、猫の様にしなやかな動きですぐに木々の奥に消えて行く。
「……え、逃げた?」
顔とか頭に葉っぱだの土だのを付けたハーヴェイが呆然と呟く。たかとことこちらに走って寄って来たマリアベルも肩で息をしながら言う。
「にゅーん……そういえば、ローズマリーさんが言ってたかも。キマイラは逃げるって。賢し過ぎていけないって」
「あー、そういやなー……」
アランは地面に座り込んで、ローゼリットに怪我を治して貰っていた。いつやられたのか、脇腹がキマイラのぶっとい爪で削られている。酷い出血だ。よく笑ってたな。
「もうっ! どうしてこんなに酷い怪我をしながら、笑ったりしているのですか!」
ローゼリットもグレイと同じことを思ったのか、ほんの少し唇を尖らせて俯いた。アランは当然のように返す。
「何か笑えたからな。お前には分かるまい」
「分かりませんよ!」
「ほーら見ろ。ちなみにマリアベルは分かるぞ。グレイも分かるからな」
いや、怪我のせいでちょっとおかしくなってるのか、アランは浅い呼吸で引きつる様に笑った。マリアベルも疲れたのかぺたっと地面に座って「そうだねぇ。ごめんねローゼリット。ちょっと分かるなぁ」とか謝った。これはローゼリットにはけっこうショックだったらしい。
「グレイも……?」
悲しそうに瞳を潤ませて、上目遣いで見上げて来るローゼリットの可愛さと来たら、『世界征服してくれませんか?』とか『鴉の羽の色は白ですよね?』とか言われても「もちろん!」とか頷いてしまいそうな破壊力があった。
「えぇ……と……」
パーティの仲間だ。しかもハーヴェイはこの子のことがずっと好きなんだ。そんな言い訳を目いっぱい浮かべる。だから駄目だ。適当な事を言っちゃ駄目だ。
「……そう、だね。ごめん。俺も分かる、かも」
「にゅ、にゅ、にゅい」
変な効果音と共に、マリアベルが座ったまま移動してくる。膝を揃えて座ってるローゼリットの横までくると、ころんっと転がって頭をローゼリットの膝の上に乗っけた。
「とっても疲れました。休憩を、所望しますです……キマイラまた来るかなぁ……?」
ふわ、と小さく欠伸をしてマリアベルは目を閉じる。ローゼリットはグレイとマリアベルのことを悲しそうな顔のまま見比べて、「仕方ありませんね」と小さく呟いてマリアベルの髪を撫でる。
「少し休憩しましょうか。でも、寝てしまっては危ないですよ」
「にゅーん……善処します……」
「善処する、って大抵断り文句だよな」
アランが、平常運転に戻ったのか冷静に突っ込んだ。
「にゅー……アラン、大人語を解説するの良くない……」
呻くように言って、マリアベルは目を閉じる。一応寝ていないらしく、ローゼリットの僧服の裾を掴んでいた。
ハーヴェイはごく当然のように、立ったまま辺りを見回して警戒している。
「ハーヴェイも座ったら?」
「んー、僕まだ大丈夫そうだから」
3人に倣って地面に腰を下ろしたグレイが声を掛けても、ハーヴェイは笑って首を振る。
「駄目そうになったら、悪いけど変わってね」
「うん」
ハーヴェイが駄目そうになることは、ないだろう。とんでもない大怪我をするとか、そういうの以外は。でもハーヴェイは笑って言ったから、グレイも大人しく頷く。
何か視線を感じると思ったら、マリアベルが緑の目をぱっちり開けてグレイを見上げていた。
「……何?」
「にゅふっ。何でも、無いよぉ。ハーヴェイは頼りになるなって、思っただけ」
「そっか」
「そう」
幸せなチェシャ猫みたいに笑って、マリアベルはまた目を閉じる。確かにハーヴェイは頼りになる。キマイラは何処かに逃げた。グレイ達は疲れている。
少しくらい休んでも、良いだろう。




